安敦誌


つまらない話など
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半分くらいがちょうど良い

松浦晋也のL/D: 知っていることと知りたいこと、知らないこと
「他人事じゃないよなあ。僕らの仕事も同じだ。知っていることしか知りたがらない人たちに、知らないことを伝えて行かなくちゃならない」


よくわかる。だいたい人は、こういう周囲の無理解を感じている。けれども、自分自身を振り返ってみても状況は似たようなものだし、松浦さんにしても興味も関心もない分野というものはあると思う。人間誰しも持ち合わせの知識というものがあって、持ち合わせの経験というものがある。

その知識や経験の上に、3点支持で立ち上がるような知識や経験については、理解や共感を示すことができる。しかし、持ち合わせの知識や経験の上には、どうにもうまく接続しない知識や経験というものも当然ありうる。そういうものに対しては、人間は無関心やうっとおしさというものを示す。ある人はベートーベンの交響曲に人間の深みを感じるが、また別の人はJPOPに生きる意味を感じる。それらは相互に無関心で対抗することが多いが、かといって完全に共存不能というわけでもない。

それでも人は、自分の理解や共感を他人と共有したいという欲求があり、さまざまな説得を試みる。説得に成功することもあるが、失敗することもある。失敗も慣れたものなら素直に引き下がるが、ときには苛立ちが攻撃的に出ることもある。

松浦晋也のL/D: 神と悪魔と罵詈雑言

科学を信奉する者も似たり寄ったりのところがあって、科学を自分のためのものとして強く信じるだけでなく、広く人間の信じるところとなるべきだという信念のある人は、科学的知識を遍く普及させようとする。しかしいつまでもその説得に応じない人を見ると、呆れてみたり、思考能力に欠けた馬鹿者であるなどと罵詈雑言を吐いて立ち去ったりする。私もよくやる。誰もがそうかというと、良くできた人もいて必ずしも全員でないところがまた人間の不思議であるわけだけれども。

本などを読んでいて、それを楽しめるためには、いくつかの条件がある。まず、読んでいて意味がわかる程度に、既に知っている情報で内容の半分程度が埋められていること。次に、読むことに意味が感じられる程度に、未だ知らない情報で残りの半分程度が埋められていること。最後に、自分が持っている既存の理解を覆すような情報が内容の1/4を超えないこと。もしこれを超えた場合には、文章を読み進めていても内容に共感することができず、「信用できない」とか「つまらない」という判断を下すことになる。

音楽についても似たようなところがあって、自分の知っている音楽に似ている部分が半分程度で、自分の知っている音楽にはない新鮮な部分が半分程度含まれた音楽を聴くときに、最も気分良く聴くことができるような気がする。もちろん、人間の脳は忘れる装置なので、同じ本を読み返しても毎回新たな発見がある名著があるのと同じように、何度聞き返しても新たな感動をもたらす名曲というものがある。

知りたいと思うようなことしか知ろうとしない、というのは当然として、知っていることしか知ろうとしない、というのは、どちらかというと人間の認知能力の限界によるものなのではないかという気がする。全く知らなかった知識を、一度に知ることはできない。遠い道を歩くように、一歩ずつ進まなくてはたどり着けない理解や共感というものがある。マンガで学ぶ、というステップも、最初はあっていいものだと思う。

けれども、これは性格にもよるのだと思うけれども、知識欲には暴走する性質というものがある。ひとつのことに深く分け入るタイプの人もいるし、多くのことに広く分け入るタイプの人もいるが、とにかく、一度理解の足場が生まれると、その足場から次のステップへと進むことが可能になる。そして、それを際限なく続けてみたくなる衝動に駆られる。

一度足場に上ると、上る前とは全く違った光景が見えるわけだけれども、数段手前からは、その眺めを知ることはできない。その壇上でなにやら物識りげに語っている人間を見ると、それを疎ましく思ったり、興味を持てなかったりする。それはおそらく、自然な反応なのだろう。これを意地の悪い老博士は「バカの壁」と呼ぶわけだが、さほど馬鹿にするほどのことはないようにも思う。それが人間として自然なのだろうから。
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by antonin | 2008-12-16 03:27 | Trackback | Comments(0)
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