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いつだかの漂着地:「財政赤字問題」 いつだか忘れたが、おそらく先月の上旬ぐらいに漂着したページなのだけれども、そこにある記述によれば、98年末あたりを最後に更新されていないようだ。当時Yahoo! Japanでも取り上げられたというから、当時は有名なページだったのだろう。 データは更新されていないにせよ、質的には変わっていないのだろう。むしろ赤字国債は増加しているのだから、状況はもっと悪くなっていることだろう。毎秒200万円余りの利子がかさむ様というのは恐ろしい。国民一人当たりにすると、増分は落ち着きを見せるものの、今度は総額の大きさにめまいがする。これが明日への遺産となっている。 借金というものは無形のものであって、「信用」という、やはり無形の財産を打ち壊すことで、なんとか無かった話にすることができる。けれども、無かった話には、なかなかできないこともある。 こうしてblogを書き込んでいるのにも、電気を使っている。電気を発生させるエネルギーの中には、水力・風力という再生可能なエネルギーもあるが、その割合は大きくない。火力発電は石炭・石油・天然ガスをバランスよく使っている。そのいずれもほとんど輸入に頼っているため、リスク分散の目的で複数の資源を利用している。原子力発電では技術的側面と軍事的側面から濃縮ウランが主な燃料だが、これも大部分輸入に頼っている。 国の基幹であるエネルギーのほぼ全量が輸入に頼っているのが良くないとか、そういうことは言わない。そうではなくて、石炭・石油・天然ガスを別名化石資源というところに問題がある。高純度の石炭は鉄の精製に、石油を蒸留して得られるナフサは化学原料に利用することができるのだけれど、大部分は単に燃やしてエネルギーを得ているに過ぎない。これは化石燃料という。 化石と名が付くのは、石炭は古生代のシダ類樹木の化石で(もっと新しい地層からも石炭が出ているようだけれど)、石油は海底に堆積したプランクトンの死骸の熱変成物だと言われているところに由来する。つまりは、化石資源はその生産に数億年から数十億年が掛かっていて、これを簡単に再生しようとしても、そうはいかない。 一方、ウランなどの重元素は、現在の太陽系が生まれる前に存在していた恒星が新星爆発を迎えた際に生じたものが、現在の地球に降り積もったものだと言われている。これに至っては、地球上で生み出された資源ではないので、再生は実質上できない。 これらの埋蔵資源は、探しようによってはまだ見つかる可能性があるし、これまで掘り出していた「質のいい」資源(純度が高い、掘りやすい、など)が尽きたら、それほど質の良くない資源を絞るようにして使うこともできるだろう。けれども、再生しない、持続的でない資源という本質に変わりはない。 SFマンガの「プラネテス」というのに、油田の枯れた中東某国出身のテロリストというのが出てきて興味深いのだが、そんな時代に人類はどうやって宇宙へ行っているのだろう。石炭と水を反応させて得られた貴重な液体燃料を燃やしているんだろうか。バイオマス燃料ではもっとコストが高いように思える。 原子力にしても化石資源にしても、気の遠くなるほど昔から地球が受け継いできた財産と考えると、19世紀からこちらの人類は、まさに伝家の財産を浪費する放蕩息子のようだと思える。 掲題の「放蕩息子の帰還」とはレンブラントが描いたイエスの説話の一節らしいのだが、これは結局「悔い改めればすべては許される」ということらしい。 果たして人類は悔い改めることができるのか。許しはあるのか。 参考: 「中東経済を解剖する」より「世界の石油・天然ガスの可採年数と枯渇年数」 "Masao's Homepage"から「千年持続学」 「原子力図書館ATOMICA」 「井桁研究室」より「用語集(聖書・正教関係)」
by antonin
| 2004-11-15 23:45
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