安敦誌


つまらない話など
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冬の落葉樹

樹木の形というのは、複雑なものである。遠目には、ただモコモコと緑が積み重なったものにしか見えない。

ところが、世の中には落葉樹というものがある。秋には葉を落とし、冬には枝だけの姿になる。葉を落とした枝だけの姿を見たときに初めて、樹木の本当の姿を理解できたような気分になる。そこには整然とした秩序が窺い知れる。

しかし冬の落葉樹というのは、その樹木の本質ではない。やはり、夏の盛りに緑の塊となって光合成を盛んにしている時期こそが、その生命の本質である。それを理解する一助として、冬に見られる枝だけの姿というのは大変な参考になる。しかしそれは参考に過ぎず、本質ではない。

科学というのは樹木の枝葉を切り落として幹だけを眺めるような学問ではあるが、結局のところ枝葉の付いた姿こそが本質であるという謙虚さはやはり、どこかに残しておかなくてはならない。幹は幹として厳然と存在しているが、そこから連続的に枝に葉に葉脈にと、事実は連鎖している。

ある一枚の葉の面積は限られている。ある一枚の葉と別の一枚の葉を厳密に比較すれば、それは絶対に一致しない。しかしそれらの間に何かしらの共通点を見出すということが、人間の認識の基本機構であり、そこから逃れることは当面不可能であり、それを認めて活かさなくてはならない。

共通点だけを抽出した理想的な葉を知ることは大いに参考となるが、現実に存在するのはどれもが理想とは異なる特別な一枚の葉であることを、常に忘れてはならない。そして全ての葉を集めつくすことが不可能である以上、理想的な葉を知ることもまた諦めてはならない。
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by antonin | 2009-01-29 23:43 | Trackback | Comments(0)
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