安敦誌


つまらない話など
by antonin
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アーナンダという人

御釈迦さんがまだ生きていた時代の教団(僧伽)にあって、高名な十大弟子というのがあった。その中で一番若かったのがアーナンダ(阿難)という人なのだけれども、この人が女性に優しかった。

もともと御釈迦さんの救いというものは男の事しか考えていなくて、女性は何かと苦しみの元になるから遠ざけなさい、というようなことを言っていた。ユダヤの教えが女性の上手な扱い方を説いているのとは対照的で面白い。ともかく、当初の教団には男性の出家信者しかいなかった。ところが、教団が大きくなるにつれて状況が変化してくる。

まず、出家は食糧を生産しない。食のために未来を心配して気をわずらったりしては悟りに近づくことができないから、食事は他人に恵んでもらう。乞食(こつじき)をしてまわる。しかし、その乞食に応えるのは在家の信者であって、そういう人が存在しなければ出家は修行できない、という矛盾に突き当たる。そこで、自己研鑽する出家だけでなく、それを陰で支える在家の信者もまた救われなくてはならないという、大乗の芽が出てくる。

そして、そうした信者の中には当然女性も増えてきて、次第に生活を棄てて出家したいという女性が現れるようになる。しかし、教団に男女が混ざって生活するという状況に無理を感じて、御釈迦さんはこれを拒絶する。そして、出家にして優男の阿難比丘が登場する。つまり、バラモンもヴァイシャもなく等しく救済するはずの教えが、男を救済して女を救済しないというのは道理が通らないでしょうという。ここにも矛盾が現れてしまう。

そこで御釈迦さんは悩み、男女別々に過ごすなら、女性の出家が有っても良いだろうということになる。ここで女性の出家、比丘尼が誕生する。阿難なくして比丘尼なし。

結局のところ、那美さんの描写について「男」とあるところを「女」に、「女」とあるところを「男」に置き換えてみれば、あぁなぁんだ、それはAntoninそのものではないか。というような理解に達するのではないかという気がするのだけれども、どうだろう。結局、人間というのはいくつになっても構ってもらいたい生き物であるというあたり、そこらの子犬と変わらないのだそうです。
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by antonin | 2009-02-16 13:00 | Trackback | Comments(0)
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