安敦誌


つまらない話など
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砂漠の民

えー、ダラダラと文藝春秋を読んでいます。

で、丹羽さんという経済界の論客と、例の派遣村の湯浅さんが対談していたりする。文春編集部の編集術というものはあるにしても、対談はときどき毒を含みながらも紳士的に進行していく。結局、ある人の意見を鋭く切り出して報道すると物言いを付けたくもなるのだけれども、その意見を発している人物の思想そのものというか、生き方と考え方を丸ごと受け止めてみたりすると、同じ意見がすっと腑に落ちたりする。変なものである。

そういう、人物の一部を鋭く切り出してしまう機能というのは確かにネットが抜きん出て強力なものがあるので、ネット批判というのも確かに理解できる部分がある。しかし、そういう切り取り機能を最初に発達させたメディアというのは、やはりなんといっても印刷物だろうと思う。手書きで書き写された書物が主流だった時代というのは、文字情報というのはそれほど鋭利な道具ではなかったように思う。ところが、自動車や電車の持つせわしなさの源流が蒸気機関車にあるように、やはり情報メディアの危険性の源流というのは活字メディアにあるのではないかと思う。

キャンディーズという日本を一斉風靡したアイドル・グループがあって、衆目を集めて華やかに立ち回ったが、次第に「日本中の人が私たちのことを噂している」という異常な状況に耐え切れなくなり、「普通の女の子に戻ります」というような宣言をしてしまった。それを、何でそんなことをするのか理解できなかったのが当時の一般大衆だったと思うのだけれども、今ではごく普通の人がMixiに書いたちょっとしたことが日本全国でさらし上げになるなんていう事態も目にするようになった。誰もが情報発信可能になるネットパワーは、誰もがゴシップネタになってしまうという、便所のオツリみたいなものとセットになっているというのが現状だろう。

こんな具合なので、一般大衆が戦国武将や近世フランス社交界の花形に共感する機会が増えるというのも、考えようによっては当たり前なのかもしれない。そして安楽なオフライン生活に戻ることで心の平和が取り戻せるのかというと、一度派手な注目を浴びてしまったキャンディーズのメンバーの一部は、今度は刺激の足りない生活に耐え切れなくなって芸能界に復活したという「史実」が待ち受けている。なんというか、後戻りできないところまで我々は来ているのだろう。先へ進むしかない。

後戻りできない、というところで、冒頭の対談に話を戻す。というのも、この丹羽さんという人が、対談の中で「東京砂漠」という言葉を使ったのが気に障ったからだ。なんだなんだ、こちとら東京生まれでい。おれっちの生まれ故郷を悪く言う奴は誰でい。なんて江戸っ子言葉を使ってみても、私の家系を江戸まで遡ることはできない。それでもやはり、いまさら東京生まれであることを否定できるわけでもなく、東京の持つ文化ではなく東京という装置そのものを批判されるのは心が痛む。

もちろん、現代日本の都市が抱えるコミュニティーの希薄さという問題も理解できるし、その問題を象徴的に表現するなら東京という最大の都市が最適だろうということも理解できる。ただ、なんなのだろう、かつて「上京して一人暮らしする」という行為が原理的に不可能な、東京生まれの人間としての宿命に苦悩し、代替手段として地方都市で10年余り暮らした身としては、「東京の20万円より地方の10万円」なんて言われると、ついバカヤローなどと言いたくもなる。

地方に故郷を持つ人が、自分の生まれ育った土地に戻るならば、そりゃ地方は暖かい感じがするだろう。しかし、東京生まれが地方へ出向き、「よそ者」と「都会者」という二重のレッテルに苦しみながら慣れない土地で暮らすストレスというのは尋常でないものがある。まだ学生時代は日本各地から学生が集まっていることもあってそういう苦痛は少なかったが、社会人として勤め始めるとその孤立感というのは切実なものがあった。仕方なく都市部の出身者が固まって居住し、「リトル・トーキョー」のようなものを作ってしまう。それじゃ、東京という装置の輸出にしかならないだろう。

そして、「空気のきれいなところほど住みにくいと、親父が言っていたよ」なんていう東京出身者の声を聞いてしまう。それはまぁ、空気の汚いところで生まれた人間の宿命なのだろう。智恵子が東京には本当の空がないと言えば、光太郎は福島には本当の街がないと言うだろう。どっちもどっちだ。

東京砂漠には、ギラギラした眼をして各地からやってきた流浪の民が住み着く。当初は痛い目にも遭うだろうが、そこは流れ者同士のよしみというやつで、やがて気の会う相手を見つけてくっつく。面倒なのは、砂漠生まれの人間だ。砂漠で生まれ、流浪の民の中で育ちはしたが、砂漠で生まれた身には懐かしむべき土地がない。砂漠こそが故郷であるということに、やがて気付くことになるのだが、これはあまり生易しい経験ではない。

中学時代に1年間、国語の作文課題をボイコットしたことがあったが、そのあとに初めて書いた作文は、そういう故郷のない自分の境遇に気付いたときの不安感を述べたものだったように思う。それに対して、横浜生まれの先生は特に何もコメントしなかった。東京周辺の街で生まれ育った人には、東京生まれよりもさらに微妙な気分が漂っているのかもしれない。

東京砂漠で生まれた人間は、砂漠で生まれただけに乾ききった心をしているが、それだけに心が乾ききった人間の気分というものを誰よりもよく理解している。イスラムという宗教は砂漠に囲まれた街で生まれたようだが、その教えというものはアッラーのもとに集う人間の団結というものを第一義にしている。なんというか、殺伐としつつもどこかしら共感しあう、そういうネット社会のありかたというのは、我々砂漠の民が最も住みやすい場でもあり、また同時に最も乾く場でもあるのかもしれない。

「女子割礼」に大反対キャンペーンを打っているアフリカ出身のモデルさんがいて、水の少ない地で生まれた彼女は、裕福になった今でも喉の渇きにだけは異常な欲求が抑えきれないのだという。

ああ あなたの そばで
ああ 暮らせるならば
辛くはないわ
この東京砂漠

そんな歌が流行したのは私がまだ小学生の頃だった。そういう街で生まれ育ち、そして地方生活に挫折した人間というものは、むしろ誰よりも共同体意識に根差した愛情というものを切実に希求してしまうものなのかもしれない。

安敦誌 : 忘れ易きふるさと
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by antonin | 2009-02-24 23:28 | Trackback | Comments(2)
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Commented by NAF at 2009-02-25 23:58 x
地方の方々による、東京に対する悪意(?)というのは
話では聞いたことがありますが、やはり理不尽なものなのでしょうか。
経験したことないので、理解しきれず申し訳ない。

ちなみに今の私は、生まれ育った故郷(といっても近い)に
全く未練も居場所も無い状況なので、このまま都民として
骨をうずめることになると思います。
Commented by antonin at 2009-02-26 00:23
>なふ~ん

ども。

いやその、私は高校の同級生と違って本物の田舎町に住んだ経験というのはなくて、せいぜい地方都市どまりです。だから私自身は排斥されたという経験は特になくて、単に「共感が得られなかった」というレベルどまりですね。

今どきは地方の人もけっこう都会人ですよ。むしろ、赤羽あたりよりは仙台のほうがはるかに洗練されていました。でも、「空気のきれいなところほど~」という話は本当に聞きました。団塊世代の人でしたけど。

「東京砂漠」批判にムカつくのは、「お前の母ちゃん出ベソ」って言われたときに、母ちゃんが本当に出ベソだとシャレになってないぞ、泣いちゃうぞ、みたいな感覚ですね。
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