安敦誌


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無限学習症候群

Chimaira.org

檜山正幸のキマイラ飼育記

こういうのを読むと、年甲斐もなくワクワクしてしまう。難しそうなのだけれども、意味もなくドキドキしてしまう。圏論って初めて聞いたよ。意味不明の術語がモリモリと書かれているが、図を使うと幼稚園児でも理解できるそうだ。(笑) あぁ、SICP読みたくなっちゃったよ。マンキューもろくに読めていないっつーのに、なんでこう興味だけやたらと広範囲へ広がっていってしまうのだろう。

計算機プログラムの構造と解釈

ジェラルド・ジェイ サスマン / ピアソンエデュケーション


マンキュー マクロ経済学 第2版〈1〉入門篇

N.グレゴリー マンキュー / 東洋経済新報社


でもまぁ、馬鹿でも馬鹿なりに理解可能な世界というものがあって、理解できなかったものが理解できる瞬間というのは、この歳になってもやはり楽しい。実は、初めて勉強が楽しいと思ったのは、大学に入って塾講師のバイトをしているときだった。中学生の頃あれほど苦しめられた数学の問題が、今なら楽に解けるということに気付いてしまったときだった。でも結局、ラプラス変換を使いこなして微分方程式を楽に片付けたりとか、ガウスの発散定理あたりからの道具立てでマクスウェル方程式の微分形をグリグリ計算するとか、そういうところまでは到達できなかった。

ただ、そんなものと格闘しているうちに、数学の形式的記号操作というのは将棋やチェスに似た訓練とセンスが必要だとしても、その概念構築の作業というものは、また別のセンスによっているのだということをほんのり理解できたりした。そして、そういうほんのりとした理解を繰り返しているうちに、ここまで来てしまった。で、そういう人間に果たして存在価値はあるのだろうか。レーゾン・デートルとかいうやつなのだけれども、これを解決しておかなくては、おちおち40歳を迎えることができない。

ひとつは、ジェネラリスト、言い換えると、知識の深さではなく幅のスペシャリストとして、それなりの地位を占めるというやりかた。現代というのは、人知の及ぶ領域が広く、かつ深くなってしまったので、ひとりの人間が学問の深みに到達しようとすれば、それなりに狭い知識に特化して研究を進めなくてはならないという前提がある。つまり、現代はスペシャリストを要求している。しかし、ある程度広い視野から隣接領域の研究成果なども流し込んでやらないと、視野の狭いスペシャリストはしばしば泥沼に陥る。

そこで、幅広い教養が必要となり、「T型人間」なんていう欲張りな要求が出てくる。クルックスさんか誰かが言っていたけれども、「全てのことについて、ひとつ知りなさい。ひとつのことについて、全て知りなさい」というのもこれと同じことだろう。ただし現代では、こういうやり方では追いつかないほどに学問知識というのは深く掘り下げられている。ノーフリーランチ理論の示すとおり、我々の脳が持っているメタヒューリスティックな問題解決能力は、やはり特定分野に特化すればするだけ、その分野では強い力を発揮するようになる。

そこで、不要論も出ているジェネラリストの復権になるのではないか、などと期待している。つまり、専門分野に深く踏み込んで研究するスペシャリストは、必然的に専門分野以外の学問に疎くなる。そこで、技術通訳としてのジェネラリストを介して、周辺分野の成果を紹介し、蛸壺での泥沼化を防ぐ。こういう、スペシャリストを尊重するための介在装置としてのジェネラリスト、なんていうのがあってもいいのではないか。

だがしかし。これは実は私には向いていない。これができる人というのは、フォン・ノイマンみたいな人物になるだろう。たまたま「通訳」という語を使ったが、現代的な学問における共通言語とは、英語と数学である。ギブスさんだか誰だかが、「数学とは言語である」と語ったそうだが、まさにそのとおりで、具象を取り去って抽象を抽出した形式的数学体系というのは、どの方言からも独立したラテン語のような存在になっている。これにより、応用分野が異なっても構造的に同形の学問が互いの成果を持ち寄って協調できるようになる。ある分野では実証が難しいような仮説を、別の分野で実証実験にかけたりすることが可能になる。

だからまぁ、数式の扱えない人間は、この手の技術通訳はできないのですよ。文系と理系の橋渡しというのもあるかもしれないが、それもこの手の、スペシャリストによる良質の著作の前には歯が立たないのですよ。文系の人が直接これを読めばよろしい。

熱力学―現代的な視点から (新物理学シリーズ)

田崎 晴明 / 培風館


統計力学〈1〉 (新物理学シリーズ)

田崎 晴明 / 培風館


統計力学〈2〉 (新物理学シリーズ)

田崎 晴明 / 培風館


はぁ。

となると残された道は、寺子屋業、ということになる。小学生でもわかる熱力学、というあたりまでブレークダウンすることができれば、何かしらの役には立つかしらん、というあたりになる。人生は何をか成すには短すぎるが、何も為さずに過ごすには長すぎるのである。だったら数世代で何をか為せばいいじゃない、ということになる。国家百年の計というのがあって、それは天才的才能による壮大な構想と思っていたが、歴史を見るとそういうものはたいてい継承されずに天才の死と共に崩れたりする。本当に百年を経る構想というのは、自分では全部はできないので、ここまでやったからあとは若い皆さんに頼むよ、という謙虚な姿勢から発していることが多い。

先人の書き残したものを理解して、それを後世に伝えることができたら、誰かがその「巨人」の肩に乗って、何をか成し遂げてくれるに違いない。ほとんどは真理の大海の波打ち際で、ひときわ美しい貝を見つけては喜ぶ子供のようにして終わっていくのだろうけれども、その喜びをそのまた後世に伝えてくれたらそれでいいじゃない、と思う。

で、高レベルの知識人は大学で研究と教育に従事すればいい。低レベルの知識人は、小中学校あたりで学習と教育に従事すればいい、ということなのだろう。公教育だといろいろと法的な縛りがあって難しいので、私塾という形がいいのだろうが、なにか面白い方法はないだろうか。まぁ、まずは自分の子供3人に注力するか。楽しめ。学問は楽しいぞ。そして、楽しんだ末に見つかる真実は、生きる上で結構役に立つぞ。実学でも形而上学でもな。そういうことを伝えたい。

野球やサッカーでも人間の才能や努力の質やチームワークの大切さなどを学ぶことができるだろうが、その根っこにはやはり運動を楽しむということがなくてはならないだろう。最初から苦行のスポーツなんて嫌だろう。学問も同じだ。昨日は知らなかったことを、今日は知っている。昨日は理解できなかったことを、今日は理解している。それって、やっぱり楽しいことなんだよ。そして、自分が楽しむだけでは終わらないというところに、学問の本当の楽しさがあるんだよ。今の学問に足りないのは、そういうワクワク感なんじゃないのか。

そりゃ、野球と同じで、プロになるには途中に苦行を経る必要はある。けれども、それって言うのはやはり、子供の頃に感じた、単純に楽しむ気持ちが根っこになければ健全ではないと思う。

子供の頃に見た"E.T."っていう映画で、宇宙人がキーボードのついたおもちゃに発音させて地球の言葉を覚えるシーンがあった。で、それを見ていた私は、「機械がしゃべるのか! 中はどうなってんだ!」って、無駄にそっちのほうに興味が行ってしまったのを覚えている。ADPCMあたりまでは理解できたけれども、ΔΣ変調なんかはまだ謎の部分が残っている。z変換とか懐かしいけれど、そのうち復習してみたい。学びて時にこれを習う。また楽しからずや。

で、まぁ、道楽で無限学習に陥ってしまっているのだけれども、この知的財産は、金銭的、あるいは物質的財産と同じで、あの世まで持っていくことができない。そればかりか、自分が死ねば完全に失われてしまう。これは、なんだかむなしい。だからその、まずは自分の子供たちに念力を送っておこう。「あなたはだんだん勉強したくなる」と。余裕があったら、他の子も呼んでみよう。草野球のコーチみたいなもので、教えるのが楽しいなら、それでいいじゃないかと思う。役に立つかどうかは運に任せるとして、まずはお互い楽しもうじゃないか。

そんなことを、うっすらと考えています。

算法少女 (ちくま学芸文庫)

遠藤 寛子 / 筑摩書房



オマケのリンク:オチコボレ100の法則 [物理のかぎしっぽ]
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by antonin | 2009-02-26 02:49 | Trackback | Comments(0)
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