安敦誌


つまらない話など
by antonin
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
検索
最新の記事
アキレスと亀
at 2017-05-02 15:44
受想行識亦復如是
at 2017-05-02 03:26
仲介したことはあまりないが
at 2017-04-29 03:36
サンセット・セレナード
at 2017-04-12 23:17
水分子と日本人は似ている
at 2016-06-04 01:49
ほげ
at 2015-06-05 03:46
フリーランチハンター
at 2015-04-17 01:48
アメリカのプロテスタント的な部分
at 2015-04-08 02:23
卯月惚け
at 2015-04-01 02:22
光は本当に量子なのか
at 2015-03-17 23:48
記事ランキング
タグ
(295)
(146)
(122)
(95)
(76)
(65)
(59)
(54)
(45)
(40)
(40)
(39)
(32)
(31)
(28)
(27)
(25)
(24)
(22)
(15)
最新のコメント
>>通りすがり ソ..
by Appleは超絶ブラック企業 at 01:30
>デスクトップ級スマート..
by 通りすがり at 03:27
7年前に書いた駄文が、今..
by antonin at 02:20
助かりました。古典文学の..
by サボり気味の学生さん at 19:45
Appleから金でも貰っ..
by デスクトップ級スマートフォン at 22:10
以前の記事

肉食是か非か

今日は祝日の代休で休みでした。
というわけで、明日は出勤。


今日の漂着地:「動物のお医者さんが見てきたこと
こちらは、エキサイトブログのトップからたどりついた「動物のお医者さん日記」のオーナーさんのサイトです。

獣医としての実務経験から、いわゆる「動物愛護」の問題を中心に幅広い話題に言及しています。感情的な部分を前面に出して動物にかかわる産業を批判する意見は多いですが、こちらはご本人の実務経験を軸にしている分だけ、意見に説得力があります。(といって感情的な表現が見られないわけではありませんが、それを補って十分な論理があります。)

話題に上っている議論は幅広く、全部は追えないので、そのうちのひとつ、「肉食の是非」について考えてみます。




まずは物質的・経済的な論点から。
自然界には食物連鎖というものがあって、一定の物質資源とエネルギー資源をすべての生物が取り合って循環しています。食物連鎖にはピラミッド構造があって、太陽光と無機物から有機物を合成する「生産者」である植物が、最も大量に生息しています。次に、その植物を食料とする草食動物が存在して、それらは植物より少なくなります。さらに、草食動物を食料とする肉食動物が存在し、これらはさらに少なくなります。最も少ないのが、肉食動物を食料とする肉食動物です。この草食動物と肉食動物は「消費者」となります。そして、これら動植物の遺体のうち、他の生物の食用とならなかった分を分解しているのが、ピラミッドの外に位置しますが、「分解者」であるバクテリアなどです。

食うものは食われるものより少ないというルールは、草食にせよ肉食にせよ、動物は自分の体重以上の食物を必要とするということを表しています。これを農業・畜産業に置き換えると、ピラミッドの上のほうにあるものを生産するほど、キログラムあたり(あるいはカロリーあたり)の生産効率が悪い=多くの農場面積を必要とする、ということになります。つまり、食肉を生産するよりは、穀物などを生産した方が、同じ農地面積で養える人間の数が増えるということになります。

一方の問題として、人間が直接口にできる植物の種類は限られているので、それらの植物を生産できる土地以外では、人間が農業で暮らすことはできません。自生している植物を食べて、乳製品や肉を生産してくれる草食動物は、穀物の栽培に比べれば生産効率は悪いものの、農業に適さない土地で人間が暮らすためには不可欠といえます。プランクトンなどの、人間が直接食料にできないものを食べている魚などにも、同じ理屈が成り立ちます。

上記をまとめると、農業生産可能な土地では穀物をはじめとする植物を、農産不適な土地では牧畜や漁業などをするのが効率的といえます。現在の組織的畜産では、食味向上を目的としてトウモロコシなどの、人間でも食べられるような農産物を飼料に使っているケースもありますので、この場合は明らかに贅沢ということになります。


次に、安全面、栄養面からの肉食の是非について。

肉食の割合が余りに多いと、慢性病の発症率が増え、寿命が縮むと一般的に言われています。けれども、赤ワインのポリフェノール由来説で有名になった「フランス人のパラドックス」(高脂食の多いフランス人の心臓疾患罹患率が低い)など、肉食であっても、伝統に裏打ちされた食文化であれば、必ずしも不健康にならないという話もあります。(日本人が同じ事をしても同じ結果にならない可能性はありますが。)

また同様に、肉は高蛋白の滋養剤でもあり、ある種の必須栄養素も含んでいるという説がありますが、現在の物質流通が優れた市場では、海草なども含めたさまざまな植物を幅広く食べることで、肉食をしないでも、すべての栄養素を必要なだけ摂取できるようです。

ここからの結論は、食べても食べなくても良し、健康のことは個人の自由というところでしょうか。人間は本来雑食動物であり、肉を食べても食べなくてもやっていけるようにできているようです。


最後に、感性の問題としての、肉食の是非について。簡単に言えば、「かわいそう」だから食べるべきでないという議論について。

これには、感情的であって聞くに値しないという言い方も見られますが、ある意味、本質に最も近いところでもあります。つまり、食われるところの動物たちは、結局のところ人間に向かって「食え」とも「食うな」とも言っていないのであり、それを食うか食わざるかは結局のところ、人間の感情の問題でしかないように思うからです。ここのところ、漂着地のこちらのページの「命とは何か」の項に述べられています。

この「かわいそう」という感情についても、便宜的に2つに分類しておきます。ひとつは、動物がかわいいので殺したくないというもの。もうひとつは、動物が殺されるときに苦痛を感じているので、殺すべきではないというもの。

日本の歴史をたどると、縄文時代には、犬は狩猟・採集生活を営む人間のパートナーであり、犬が死ねば手厚く葬った跡があるそうです。一方弥生時代になると、米作が普及し、犬は非常時には食用になった形跡があるようです。また、私は魚屋にきらきらと光る魚を見ると「おいしそう」と思ったものですが、ダイビングで海に潜り、沿岸の魚と一緒に泳いでしまうと、なんだか食べるのがかわいそうになってみたこともありました。食用の植物だって、自分で種から育ててみるとなかなかかわいいもんです。

このように、生物に対し、どこまでを家族・友人のように見て、どこからを食料と見るかは、各人の経験と文化的背景に強く依存するので、個人の自由を認めることはできても、一般化はできそうにありません。

一方で、動物に不要な苦痛を与えているという批判は、ある程度一般化しやすいのですが、人間で考えてみれば、火刑・磔刑はダメで絞首刑・ギロチン刑はOKとかそういう程度のものなので、あるいは本質的でないのかもしれません。


結論としては個人の心情と信条に基づいて行いなさいというところでしょうか。「現在の肉食が当たり前」という議論も「肉は一切食べないのが当たり前」という議論も個人的には納得できません。世の中というのは「中庸」が理想だと思います。中庸というのは、世の中のすべての人が何事も中くらいという状態を指すのではなくて、正規分布になっている状態がいいのだろうと考えています。

つまり、肉をまったく食べない少数の菜食者が人の罪を指摘して、贅を尽くした肉を食べる少数の旦那衆が美食文化を成熟させ、そして大多数の人はその中間でどちらにも敬意を払いながら、少しの肉食を楽しむのが良いのではないかと思います。現代日本では、旦那衆が増えすぎている感がありますが、かといって全員で精進しても長くは続かないでしょう。

肉食の問題は、延長線上に「快楽」の問題へと続いていて、おいしさという快楽、便利さという快楽、気持ちよさという快楽のために自滅してしまわないための自制心の問題に至ります。ここで、つい「禁欲」と「奔放」が対比されるのですが、その間にある中庸をどう統制するかが重要で、また難しいのだと思います。


どこかのマンガで「屍肉を食らえ!」と叫んでフライドチキンみたいなものを投げつけているものがありましたが、確かにどの肉も切断された動物の死体なのであって、そんなことを時おり考えてみるのも何かの役に立つかもしれません。
[PR]
by antonin | 2004-11-22 18:39 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://antonin.exblog.jp/tb/1114376
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 思い出話 もしかして・・・ >>


フォロー中のブログ
外部リンク
外部リンク
ライフログ
ブログパーツ
Notesを使いこなす
ブログジャンル