安敦誌


つまらない話など
by antonin
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
検索
最新の記事
水分子と日本人は似ている
at 2016-06-04 01:49
ほげ
at 2015-06-05 03:46
フリーランチハンター
at 2015-04-17 01:48
アメリカのプロテスタント的な部分
at 2015-04-08 02:23
卯月惚け
at 2015-04-01 02:22
光は本当に量子なのか
at 2015-03-17 23:48
自分のアタマで考えざるを得な..
at 2015-03-06 03:57
折り合い
at 2015-03-01 00:19
C++とC#
at 2015-02-07 02:10
浮世離れ補正
at 2015-01-25 01:21
記事ランキング
タグ
(294)
(146)
(120)
(94)
(76)
(64)
(59)
(54)
(45)
(40)
(40)
(39)
(32)
(31)
(28)
(27)
(25)
(24)
(22)
(15)
最新のコメント
>>通りすがり ソ..
by Appleは超絶ブラック企業 at 01:30
>デスクトップ級スマート..
by 通りすがり at 03:27
7年前に書いた駄文が、今..
by antonin at 02:20
助かりました。古典文学の..
by サボり気味の学生さん at 19:45
Appleから金でも貰っ..
by デスクトップ級スマートフォン at 22:10
以前の記事

漸悟

ムスメと一緒に、自宅のあるマンションの1階でエレベーターを待っている時だった。

「あのね、このまえ夢でね、この下に階段があってね、下におりると、木の板が立っててね、そこに頭がツルツルのおじさんが5人ぐらい立っててね、手をこうやって(合掌しながら)、『あ~~え~~~う~~』って言ってるのを見たの。金ピカの、頭がツルツルのも立ってた」

とか言う。

ムスメを、彼女の曾祖母であるバァさんの遺体を見せに連れて行ったりはしたが、ムスメは葬儀には参列していない。なんで坊さんの読経を知っているんだろう。マンションにはポンプや配電施設がある地下室が無いではないが、築3年のマンションの地下で坊さんがお経をあげている夢を6歳のムスメが見たなどと聞いたら、普通なら背筋に寒いものが走ることだろう。

ところが、その話を聞いた私の口を突いて出た言葉はこうだった。

「それは、いいものを見たねぇ」

自分でも意外だった。生きた人間より、死んだ人間のほうに親しみがわく時期というものがあって、あまり健全なものではないような気がする。





その後、頭を丸めてみた。それで、いくつかわかったことがあった。





まず、この剃髪という行為は、リストカットなどと同じ自傷行為であるということ。別に頭を丸刈りにしたところで死んだりはしないが、ストレスが臨界点を越えているというメッセージを自傷行為によって周囲に発している。悪く言えば、「構ってちゃん」行為になる。

睡眠薬とマイナー・トランキライザーの効果に任せてこういう行為に走ってしまうあたり、私は結局のところ、昔に指摘された「境界性パーソナリティ障害」、もう少し古い表現をすれば「境界性人格障害」、もっと古い表現をすれば「人格異常」であることがわかった。

そしてその人格異常の主要因は母親による過保護で、優しさ以外の対人関係に耐えられないという結果に現れている。成人として正常な対人関係を維持するためには、プライベートで誰かに異常な依存をする必要があり、かつては母親に、そして結婚後は妻にその役目を負わせていた。しかし大人同士の関係である夫婦関係ではこの依存関係は長期に成立しえず、依存する先を失ったことによって感情の異常が発生していたということがわかった。

そして、現在一般的な科学的精神医学では、このパーソナリティ障害に明確な治療スキームが存在しないことがわかった。そして、「治療」が不可能な「人格的に一般的でない」という意味の「人格異常」が、社会的に実害を及ぼさないように、つまりは「病気」が「発症」しないための方法は存在するということがわかった。

そして、それは信仰であるということがわかった。しかし、私が私自身を信仰によって救うには、まだ数段のプロセスが必要であることがわかった。

デカルトは「考えている私は存在する」という以上の何ものも絶対的真理ではないという絶対的真理に到達したのち、周囲の人々のうち、最も賢く最も穏健な人たちが信じる道理を自分も信じればそれで良いのだという認識に達した。そして、「考えている私は存在する」という懐疑の底から、「聖書が説く神への信仰が正しい」という周囲の人々が信じる穏健な道理への論理的再構成をおこなった。そして、理性的に信仰を獲得した。

パスカルは「デカルトが許せない」と書いた。「聖書が説く神への信仰が正しい」ということを、「理性によって疑いうる真理」ではなく、「何ものによっても疑い得ない真理」として、文字どおりの信仰を貫いた。

一方現代の日本では、「最も賢く最も穏健な人たちが信じる道理」が存在しない。過激な信仰が群雄割拠の体を成している。つまり、デカルト的な懐疑をする人間が、最も妥当な選択として決断できる、主流となる宗教が存在しない。量子論、相対論、原子論、情報論、各種工学、医学、経済学等々、現実世界を動かしている学問的知識と整合する宗教学が存在しない。

成人が人間社会から受ける否定的扱い、つまり、承認の不足、意見の否定、成果の無視等の、それぞれは些細なものであるが、集積してしまうと個人の堪忍の容量を超えるような状況が常態化すると、その鬱憤は人間へと向けられる。この「負感情の貨幣」は人間社会を流通し、利子を取って太りながら社会に蔓延する。

しかし、信仰のある人間は、鬱憤を人間ではなく神仏に向けることが出来る。また、神仏から変わらぬ承認を受けることができる。これにより、閉じていた「負感情の貨幣」の流通経路に穴が開き、社会全体としてのストレス総量が無限に増大することが防げる。

ある人間が他人の些細な言行に傷つけられたとき、神道やユダヤ教のような父性的な宗教では、「お天道様」や「父なる神」が「見守ってくださる」、あるいは「見てござる」。認証欲求を満たす、non-zerosum-sourceになる。大乗仏教やキリスト教のような母性的な宗教では、「阿弥陀仏」や「マリア様」によって「許される」、あるいは「往生を遂ぐ」。怒りを受容する、non-zerosum-drainとなる。

上座部仏教やユダヤ教では、現実の苦難は変えられないが、人の認識を変えることで感情としての苦しみは消せるという認識論の立場に立ち、人間が苦悩を感じたときの認識を転換するための知識データベースを三蔵経ないしタルムードとして蓄積した。

大乗仏教やキリスト教では、三蔵経やタルムードの膨大な知識を理解し、厳しい戒律を守ったものだけが救われ、弱い大衆は救われないことに対する違和感に端を発し、知恵のあるものが自分を救ったあとは、知恵のないものさえ救う知恵を獲得して大衆を救うことを最終目的として、上座部仏教、あるいはユダヤ教パリサイ派に対して異議を唱えた。

しかし、結局のところは、ヤハウェ、キリスト、アッラー、ブッダ、マリア、毘盧舎那、阿弥陀、大日、天皇などの超越的な存在を心中に据え、自分の言動、他人の言動のいちいちに対して、宗教的に説かれた言葉を当てはめることで認識のあり方を変え、理性によって感情の爆発を抑える「技法」の体系が既存宗教の本質である。

これら世界の種々の宗教のどれをとっても、長い歴史の試練に耐えた伝統宗教であれば、この「技法」は十分な水準にあると考えられる。しかし、現実の社会習慣および常識体系としての文化との整合性の関係から、実生活上で選択可能な在来宗教の数は実生活する社会の性質によって制限される。

またより難しい問題として、産業革命以降爆発的に進展した科学技術のもたらす新しい知見を、在来宗教が吸収し切れていないという問題がある。また同時に、異なる宗教どうしが異なる文化背景を持ちながら摩擦を起こし、かえって人心に苦悩をもたらしているという問題がある。

ここで、「まったく疑いようがない」という「信仰」は必要最小限に留め、「精神衛生上信じておくべき」という「信仰」は豊かに持つというアンビバレントな欲求を満たす、「技法知識の体系」としての新宗教が求められる。これは、脳科学、神経科学の水準から、実験心理学、精神分析学などを経て、各種宗教が説く認識転換が脳内分泌にまで影響をもたらして人間の苦悩を軽減し、人間の実際的精神活動および肉体活動を良好に保つという学問体系を構築するということに他ならない。

この一貫した体系に、物質的取引に伴う感情バランスを盛り込み、さらに非線形現象の説明までおこなった上で学問を構築することで、経済学と、経世済民学としての政治学が成立する。これは、ソフトウェア工学の知識体系整理よりも格段に難しい作業となり、人類が生物的な脳を使って研究を行ううちは、有効な成果が得られる速度が、その知識が失われる速度を超えることがないだろう。電子的、あるいは生体工学的ではあるが非生物的な知識プロセッサが必要とされ、それが得られるまでの時間を考えると、あと200年から1000年程度は必要と見積もられる。






つまり、まずは安敦は親鸞あたりを学んでおけ、ってこった。

安敦、発狂まであと500日。残された時間は少ない。
[PR]
by antonin | 2009-06-05 00:46 | Trackback | Comments(2)
トラックバックURL : http://antonin.exblog.jp/tb/11173942
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by fazero at 2009-06-15 15:52
「い」 と 「お」 が ぬけて る よーな きが する ある ^^ ;
Commented by antonin at 2009-06-15 23:09
「あ~~~え~~~い~~~お~~~う~~~」

だと、発声練習になりますねぇ。遠い昔にやっていたことがあります。
<< 相対主義の彼岸 パソコンってやぼそうだよね。 >>


お気に入りブログ
外部リンク
外部リンク
ライフログ
ブログパーツ
Notesを使いこなす
ブログジャンル