安敦誌


つまらない話など
by antonin
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self portrait

面白いので、自分が崩壊していく場面を少しずつ描写していこう。

頭が痛い。それも、若い頃に感じた、ズキズキとするような耐え難い頭痛ではない。脳の特定の部分が働きすぎたような、皮膚が縮み上がるような鈍い痛みがする。頭頂部の、頭蓋骨に近い皮膚がピリピリとする。正確に言えば痛みとは違うが、痺れとも違う。交通事故などで体を痛打すると一瞬感覚が消え、数分後に徐々に感覚が戻ってくるが、そのときの触覚に近い。この感覚が、頭頂部、後頭部、側頭部などに、そのときの精神疲労状態に応じて現れる。

衆人環視の緊張感を沈めながら何かに集中したあとには、後頭部が痛くなる。自分の意思を主張したあとには、頭頂部が痛くなる。哲学的な思考に沈溺したあとは、側頭部が痛くなる。その原理はわからない。おそらく、グリアの栄養が欠乏するまで大脳皮質の神経を酷使したあとに、硬膜あたりの血行が悪くなったりするのだろう。困ったことに前頭部に痛みを感じることは少ない。理性によって大脳各部の働きを統合するのが前頭前野の役割だが、ひょっとするともう前頭葉は萎縮してしまっているのかもしれない。

最近は入眠剤の助けなしには眠ることができない。疲れて眠くなることはあるが、実際に眠るまでには朝方になってしまう。マイスリー10mgで入眠は問題なくできる。一時は翌日の午前中に眠気が残ったが、現在はその傾向もない。ただし、雑念が湧きやすく、長くても2時間程度しか思考が続かない。躁状態の想念爆発状態とは異なり、思考にノイズが載るような拡散になる。かといって無意識に落ちるのでもなく、細かい事柄、例えば自分の状態がどのようになっているか、であるとか、周囲の人間がどのようなことを感じているかというようなことを推論している。自己効力間の低下は続いているが、自分を消したいという感覚は大うつエピソードを経験したときの程度よりかなり弱い。感覚的に人間の感情が理解できなくなっているので、理論的に感情を推論しているが、周囲が厄介を嫌って変化を見せ始めているので、過去の経験によるこちらの推論が通用しなくなり始めている。

こういう状況はアスペルガー症候群の、高機能性の共感障害に似ているが、別に先天的にこういう状況であったわけではない。本音と建前を使い分ける人間に数十年ぶりに接して混乱を生じたために、一時的に他人の感情を把握する能力が喪失してしまったものと考えられる。疑心暗鬼を生ずというが、周囲の人間が暗鬼に見えているような感じに近い。(別に視覚的に鬼が見えているわけではないが、人間の姿を見ても、その気分がどうであるとでも受け止めることができ、正確に判断できない)

対人スキルをschematicに実行することで周囲の人間の不安を取り去ることで、こちらの感情察知の能力が元の水準まで戻るかもしれないし、このまま感覚が失われた状態のまま精神が分裂するところまでいくかもしれない。どうなるかは現時点では予測できないが、経済活動を継続しながら対人スキルの実行を習得できるようになるのと、精神の統合が崩壊するのと、どちらが先か、ということになるのだろう。

今後も経過は折を見て記述してみたい。主観的な立場からの記録というのもなかなか興味深いものだろう。回復して、あとから自分で振り返ることができることを望みたいが、専門の医師が資料とするのも良いだろう。過去10年分くらいのカルテは存在するので、双極2型であるとか人格障害であるとかの客観資料とこのブログを照らし合わせるのも良いだろう。法的な手続きを踏めば、死後に検討資料とすることも不可能ではない。癌で死にゆく自分を記録に残す人がいるくらいだから、精神が分裂してゆく自分を記録に残す人があってもいいだろう。美しい猫の絵などは描けないけれども、文字ならば打てる。
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by antonin | 2009-07-16 01:22 | Trackback | Comments(0)
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