安敦誌


つまらない話など
by antonin
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
検索
最新の記事
アキレスと亀
at 2017-05-02 15:44
受想行識亦復如是
at 2017-05-02 03:26
仲介したことはあまりないが
at 2017-04-29 03:36
サンセット・セレナード
at 2017-04-12 23:17
水分子と日本人は似ている
at 2016-06-04 01:49
ほげ
at 2015-06-05 03:46
フリーランチハンター
at 2015-04-17 01:48
アメリカのプロテスタント的な部分
at 2015-04-08 02:23
卯月惚け
at 2015-04-01 02:22
光は本当に量子なのか
at 2015-03-17 23:48
記事ランキング
タグ
(295)
(146)
(122)
(95)
(76)
(65)
(59)
(54)
(45)
(40)
(40)
(39)
(32)
(31)
(28)
(27)
(25)
(24)
(22)
(15)
最新のコメント
>>通りすがり ソ..
by Appleは超絶ブラック企業 at 01:30
>デスクトップ級スマート..
by 通りすがり at 03:27
7年前に書いた駄文が、今..
by antonin at 02:20
助かりました。古典文学の..
by サボり気味の学生さん at 19:45
Appleから金でも貰っ..
by デスクトップ級スマートフォン at 22:10
以前の記事

LSEな人のための、もう少しだけマシな提案

その前に。

自信回復セラピー―なぜか、自信が消えてしまうあなたへ

マリリン・J. ソレンソン / PHP研究所



初めて、Amazonで古書を購入してみる。ありがとう、いい薬です。いや、まだあんまり効いていないんだけれども。

'LSE'ってな何ぞや、というところから話を始めると、これは"low self-esteem"の略で、ぶっちゃけて言うと「境界性人格障害」のことなんだけれども、これをもう少しマイルドに「自尊心が低い」状態と呼んだもの。自尊心の低い状態の人に向かって「人格障害」という呼び名はちょっとひどすぎるので。

でも、結局内容は一緒。障害の持ち主(オレオレ、オレだよ)の主観的な観点から見ると、「自尊感情が低い」という内面の状況で呼ぶのがわかりやすく、一方でその人と付き合う側の人(医者とか看護婦)が外側から見るのには、「人格に障害がある」という対外行動(というか迷惑さの種類)で呼ぶのがわかりやすい、というだけのことなのだろう。

で、この障害を外部対象として分析したり対処したりするためには、対象を「人格障害」として扱い、クリティカルな業務から排除したり、個人としてなら「なるべく関わらないようにする」という対応が正しい。ところが、これが「人格障害」のある本人であれば「なるべく関わらないようにする」というのは不可能であり、この強烈な自己ストレス反応から、自殺未遂を起こしたり自殺完遂を起こしたり、あるいは常習的軽犯罪者になったり無差別殺人犯になったりする。

で、こういう人を哀れんで、無理解な人がどういうアドバイスを与えるかという典型例が、こちら。

【秋葉原連続殺傷事件】 なんで犯人は凶行に至ったのか?彼の独白をよく読んでみる:Birth of Blues
とりあえず予備軍がこれ読んでたら、騙されたと思って、おいらからのメッセージです。手抜きせず一生懸命やっていたら、何か生まれるよ。
人生は偶然の連続だし。
それと、自分から手を伸ばさないと何も手に入らないよ。
空見上げてクチ開けても天から飴は落ちてこない。

まぁ、言いたいことは理解できないでもない。が、この手のアドバイスは、全く実効性がないばかりか、現実にその人生を「人格障害」とともに歩んできた人間にとっては、むしろ追い詰めるだけの逆効果にしかならないだろう。つまり、その手の「妄想」は、十分やってきたんだ。それで駄目だったんだ。これ以上、いったいどうしろと。そういう反応しか得られないだろう。で、

「そんなことだから、お前はいつまでたってもダメなんだ」
「そうだよ、こんなことだからオレはいつまでたってもダメなんだ。そんなことお前に言われないでもわかってる」

まぁ、だいたいこういうオチになる。

だから、ダメのダメ押しみたいな、死ぬほどオプティミズム全開のアドバイスはいただけない。本当にいただけない。実際に効くのは、言い替えると、本当に勇気を与えられる助言というのは、こういう感じになるだろう。

「今までのお前はダメだった。でも、その本当の原因はお前自身にではなく、お前が育ってきた環境にある。でも、いまさら過去を変えることはできない。ただ、それに気付いて自分を許すことができれば、これから先は、少しずつだけど良くなっていく」

と、こういう質のものになる。で、こういう助言をすると、相手は助言者にしがみついてくるだろう。しかし、生身の人間には、この困った「人格障害者」、あるいは「LSEな人」を時間と空間を越えて面倒を見続けることができない。で、どうするかというと、生身を脱した人にすがるという手を教える。別に、神でも仏でも、あるいは死んだばあちゃんでも、なんでもいい。とにかく、どんな夜中でも、たった一人のトイレの中でも、どんな状況でもそういう救いのある言葉を教えてくれるような優しくて立派な人格を思い浮かべるようにトレーニングする。

すると、自分を尊重したり信頼したりするのが難しい"low self-esteem"な人でも、心に思い浮かべた優しくて立派な人格なら、尊重したり信頼したりできる。その人格が、「いやぁ、大変だったね。本当に大変だった。でも、済んだことは仕方がない。悪い面もあったが、良い面もあったじゃないか。これからこうしてみたら、少しはいい方向にいくから、もう少し我慢してみなさい」と語りかけてくれたら、その通りにやってみようという気も起きるだろう。

だが、そんな心に思い浮かべた人格なんていうのは外からは見えない。黙ってその人格の指導に従って行動すれば、それはハタから見れば"self-esteem"にしか見えない。そういうことなのだろうと思う。だから、私は仏法を修めることにした。とりあえず観音経を読んで、最悪の状況でも「念彼観音力」とすればなんだかうまくいくような気がするように、自分をトレーニングすることに決めた。でも自分ひとりでできることには限界があるから、そこは仏像やら経文やら出家在家の信徒の言葉に助けを求めることにも決めた。聖徳太子も十七条憲法に「三宝を篤く敬え」と書いている。

これは別に仏教じゃなくても、なんでもいい。聖書の言葉と教会という空間に安らぎを覚えるなら、キリスト者の集団に入ればいい。御霊が宿るという感覚と神社の空間に安らぎを覚えるなら、神道の徒になればいい。理性が全てを解決すると心から信じられるなら、尊敬できる学者の言動の仔細が思い浮かべられるなら、学術界に身を投じればいい。ただ、信じる対象はすでに死んだ人間であるほうが、実際に会って軽んじられたり失望したりする危険がない分だけ安心できる。

聖徳太子にしても、それが実在するとかしないとかはどうでもいい。とにかくその人格の言動を覚えて、それに倣うことができれば、それで十分ということになる。私の場合は弘法大師空海さんだったり、観自在菩薩さんだったりする。それは単に、子供の頃に笠地蔵なんかの話に感動した体験が残っていたからという「縁」があっただけのことだと思っている。

だから、なんだろう。頑張ろうとして頑張らなくてもいいんだ、頑張らなくてもいいんだけれども、逆にそういう力の抜けた先に、やっぱり頑張ろうと心から思えるような心境がやって来る。頑張るのはそれからでも遅くない。そこへ向かって一緒に何かを考えていこう、何かを探していこう。すぐにはなんともならないけれど、いつかはなんとかなる。今日もまたダメだったのは仕方がない。でも、明日はちょっとだけマシになるといいな。ま、その程度ならなんとかなるかな。

私なら、「予備軍」の人たちに、そういうことを伝えたい。

--

参考:「自尊感情の心理学
性別に関わらず、これを読んで思い当たるところが多い人は"LSE"な人である可能性が高いです。
[PR]
by antonin | 2009-08-02 03:48 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://antonin.exblog.jp/tb/11641252
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 異常者について ジャガイモ1909万トン、ニン... >>


フォロー中のブログ
外部リンク
外部リンク
ライフログ
ブログパーツ
Notesを使いこなす
ブログジャンル