安敦誌


つまらない話など
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ひねくれ者のための適職相談

パンセ (中公文庫)

パスカル / 中央公論新社


三七四

 私をいちばん驚かすことは、世間の人たちがみな自分の弱さに驚いていないということである。人は大まじめに行動し、それぞれ自分の職務に服している。しかも、そういうしきたりなのだから、自分の職務に服すのが実際によいのだという理由からではなく、それぞれ道理と正義とがどこにあるかを確実に知っているかのように、である。人は、たえず期待を裏切られている。ところが、おかしな謙虚さから、それは自分のあやまちのせいであって、心得ていることを常に自分が誇りとしている処世術のせいではないと思っているのだ。だが、世の中に、懐疑論者でないこのような連中があんなにたくさんいるということは、懐疑論の栄光のために結構なことである。そのおかげで、人間というものは、最も常軌を逸した意見をもいだきうるということを示しうるのである。なぜなら、人間は、自分はこの自然で避けがたい弱さのなかにいるのではないと信じたり、反対に、自然の知恵のなかにいるのだと信じたりすることができるからである。
 懐疑論者でない人たちが存在するということほど、懐疑論を強化するものはない。もしみなが懐疑論者だったら、懐疑論者たちがまちがっていることになろう。

かつて高校の国語の授業を受けている教師がパンセを絶賛していたが、私はその教師が嫌いだった。しかし、大人になって改めてパンセを読んで見ると、非常に面白い。これはどう解釈したらいいのだろう。私を1年間の作文ボイコットに追い込んだ、あのカッコを多用する国語教師は、話してみればいったい面白い男だったのだろうか。今になって改めて話し込んでみようとは思わないが、彼の書いた文章を読み返してみたいような気はある。しかし、そういうものは全て棄ててしまって、手許にはもはや存在しない。

三五〇

 ストア派の人々。彼らは、人がときたまできることはいつでもできるし、名誉欲がそのとりこにしている人たちに何ごとかをやらせるので、他の人たちも同じようにできるだろうと結論する。
 それらは、熱病的な動きで、健康のときにはまねのできないものである。
 エピクテトスは、堅固なキリスト者があるということから、だれでもそのように堅固になれると結論する。

なんというか、現代の経済新聞あたりに論説を書く人々と似たような手合いが、いつの世でも人々の尻を叩いていたのだな、という共感を覚える。パスカルさんも、地所の経営なり、社交界での付き合い上必要な根回しなりの雑務から離れて、日がな一日、信仰や思索や実験に染まった毎日を送りたがるような性質だったに違いない。実際彼は貴族であったので、若い日にはそれが一部にしても実現したわけだが、やはりいつかは現実的な利益を生み出さなければならない立場に立たされる日も来るわけで、そうして思索は書籍としての体裁を得ることなく、パスカルさんは若死にしたのだろう。

芥川龍之介さんにしても似たような性質だったのだろう。実子に加えて親類の遺児なども転がり込んで、思想家や作家である以前に実業家として多忙な日々を送ることになったのだろう。思想家としては適性があったのだろうが、実業家には向いていないことが自分でもわかっただろう。しかし、周囲の期待はそうではない。出版業という情報流通産業の商品を生産する製造業としての作家業を営む業者としての芥川龍之介に対する期待はいやおうなく膨らみ、いや、そこまではできかねますという具合に彼は死んでいったのだろう。

懐疑論者にふさわしい、持続可能な経済上の職種というようなものは、果たして存在するだろうか。

参考:「中島敦 斗南先生
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by antonin | 2009-08-04 22:57 | Trackback | Comments(0)
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