安敦誌


つまらない話など
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向上心を捨てる訓練

だいたい、四十近くなってくると、人間というのは本質的に成長しなくなる。むしろ老化して衰退してくる。その流れの中で、自分ひとりの仕事を片付けることから、過去の経験を生かして後ろの世代を育てることに仕事の要点が移ってくる。が、それまでの人生で結果を出せずに終わった、いってみれば不発弾のような人間も一定割合で出てくる。そういう人間は、別に後進を育てる必要もない。周囲に迷惑をかけないように、静かに消え入るように余生を送っていく必要がある。

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さて、こういう人間はどんどん増えてきているが、若いうちに熱心な指導を受けたならば、ある程度の人間は成熟した大人となっていくだろう。一方で、基礎が腐りきっていて、煮ても焼いても食えないような人間も、一定数は必ず出てくる。そういう人間も、犯罪者とならないように穏やかな後半生を送らせてやらなければならない。もちろん売れ残った商品を廃棄するように処分が可能であればそれが一番効率がいいのであるが、人間に対してそれをするほどには現代というのは腹の据わった時代ではないので、そこまではできない。

人間を観察すると、その精神の骨格というものは大抵、義務教育が終了する15歳までには確立している。その後の人格形成とは、所詮骨格に対する肉付け程度のものとなる。栴檀が双葉より芳しいということは、経験的に多くの人が知っていることだろう。

中には例外もあるが、それでも四十までには結論が見える。問題は、世に出るだけの能力を身に着けないまま成長を終えてしまった人間の余生を、どのように扱うかというところにある。世に出るだけの能力を持った人間は、実務によって世界を支えることに忙しいのであり、改善の見込みのない不良資産となった人々の世話を焼く暇はない。不良資産は社会の辺縁に掃き出し、それ自身の余熱に任せてマイルドに醗酵分解させていくようにすべきである。


とまぁ、他人事のように書いたが、直近の書き込みから推察すれば明らかなように、これは私自身の問題である。小学校を出るくらいまでは完全な過保護下に育てられ、中途半端な学業成績のため本格的な挫折のないまま成人してしまった後遺症で、結局未熟な精神のまま中年後期に入ろうとしている、自分自身の処し方の問題である。

15歳くらいで自我に目覚め、その時点で自分自身の問題点に気付き、そこからの人生はそういうダメな自分自身をいかに修正していくかに労力の大半を割いてきた。成績本位で専攻を選んだり、興味のある分野に身を投じたり、一人暮らしをしたり、その他にもいろいろと手を打ってはきたが、結局精神の根本的な悪癖は直らなかった。部分的に高い能力を持ちながら、基本的な人間性の欠如により煮ても焼いても食えない中年と化した。

それはそれで事実として認められるのだが、この先どうやって「優雅なる衰退」を自分に課していくのか、その確たる方法はまだ見えない。自分の可能性を信じ、努力によって社会的評価を受けられるような立場を得るという試みは、ほとんどやりつくした。もちろん、人格基礎のしっかりしている人間の努力水準には遠く及ばないのではあるが、人格そのものに問題のある人間としては、最大限に努力してきた自負がある。であるから、外野の意見には目をつぶり、これからは世に出ないで終わる人間として覚悟を固めていく必要がある。

具体的には、自己愛的な自信を排除し、今後は大きく向上しない自分というものを受け入れる訓練を重ねる必要がある。これは非常につらいプロセスであり、精神の均衡をとるのは難しいのだが、最終的に大きく破綻しないためには、やはりこのプロセスを経る必要がある。過去の自分を冷静に振り返り、愚かな自分を受け入れていくという、反復的な作業が必要になるだろう。

そして、その原因はもっぱら自分の生育環境にあるということ、そしていまさらそこに訴えても何も変らないこと、さらにそうした不利な条件の中でそれなりに自助努力してきたこと、そしてそれでもダメだった部分は仕方がないことであると、冷静に認識していく。このように、自身の限界を冷徹に悟ることでしか、後半生を充実させて生きていくことは不可能だろう。

その過酷なプロセスでは、当然多くの憤懣や愚痴が出る。これは当然なのだが、それを周囲の人間に撒き散らしても仕方がないので、そういうものは自分の心の中にある神仏に向かって放出するようにする。現実世界の人間では受け入れ不可能なストレスも平然と受け入れ可能なのは、仮想的なメンターである神仏しかない。

不動明王の真言を低く唱えながら尊像を心に念じ、自身の不平不満が炎に焼かれて灰になっていく様子を心に描きながら、10分程度瞑想を続けていると心の平静を回復できるというのは、既に繰り返し経験している。これは超自然的な世界を妄信する必要のない、あくまでプラグマティックで認知行動療法的な自己修復作業となっている。

こういう状況での後半生とは、生きる作業というよりも緩慢な死のプロセスに近い。だから、宗教的なものと親和性がいいのだろう。それがうまくいけば、結果としては即身成仏、生きながらに平穏な心で衆生を導けるような人格者になれるのかもしれないが、なにしろ元が人格不全の人間であるので、生き仏を目指すというよりは、結果的にそうなったらもうけもの、という程度の心構えで残りの日々を生きていくのがいいのだろう。


こういうネガティブな方針に不快感を覚える人も多いだろうが、ここへ至るまでの二十年あまりの経緯というものは、やはり本人にしかわからないものでもある。まぁ、そういう人には路傍の石のように無視していただくのがいいだろう。

11月に入って、ベランダに最後の朝顔が小さく咲いた。おそらく実は結べないだろう。それでも、花は懸命に咲いたのだ。
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by antonin | 2009-11-05 13:11 | Trackback | Comments(5)
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Commented by tel at 2009-11-05 15:47 x
文章とはぜんぜん関係ないんだけど、安敦って生命保険どれくらいかけてる?
Commented by antonin at 2009-11-05 22:17
質問とはぜんぜん関係ないんだけど、体重は67kgくらいですよ。
Commented by NAF at 2009-11-06 21:47 x
んまあ!あたくしと同じですわね♩
Commented by fazero at 2009-11-07 19:58 x
なんか ゆお おもた けど、 やめた
(たいじう に かんして、 あほ な こと ゆい そーや から ^^ )
Commented by antonin at 2009-11-08 23:12
>なふん

電凸のオファーを頂いたみたいなんですが、あいにく寝込んでおりまして失礼いたしました。


体重か。体重なのか。(記憶を呼び出して混乱)
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