安敦誌


つまらない話など
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非論理的な合理性

まだ落語を聴いていないので、相変わらず重苦しい語り口で。

--

司馬遼太郎さんのエッセイだったと思うのだけれども、「理」という言葉の由来を読んだことがある。天然石にはそれぞれ特有の「スジ」があって、そのスジに沿うようにハンマーを打ち下ろすと、人間の力では到底割れそうもない大きな岩も案外簡単に割れたりするのだという。物が持っているそういうスジを「理」と呼び、このスジに合わせて適切に物事を行うことを「合理」と呼ぶのだという。

試しに漢和辞典で「理」の項を引いてみると、解字として次のような説明がある。
〔解字〕 形声。王(玉)+里[音]。音符の里は、すじの意味。玉のすじ・きめ、玉のすじ目を美しく見せるようにみがく・おさめるの意味を表す。
(電子辞書に収録の「新漢語林」より引用)

「理」には「ことわり」という訓読みも当てられていて、おそらくは「事割」か「異割」だと思うのだけれども、やはり物事を右と左に割るための知恵に関連する言葉なのではないかという気がする。物のことわりであれば物理となるし、言論のことわりは論理となる。

今、こういう本を読んでいる。

俺の考え (新潮文庫)

本田 宗一郎 / 新潮社


道に迷って困ったときには本田さんの書いた言葉を読むようにしている。松下幸之助さんなども優れた言葉を多数残されているのだけれども、どうも肌に合わないというか、立派ではあるのだけれども、吸収が悪い。本田さんにしても立派であることでは松下さんに全く引けを取らないのだけれども、それでも本田のオヤジさんには愛嬌があって、なおかつそれは人生経験と哲学から生み出された「わかってやっている」愛嬌らしいのだけれども、そういうものがあって吸収が良い。

本田さんは宗教を毛嫌いしていて、宗教的なものを批判する言葉を多く残しているのだけれども、そういう言葉を読んでも全く不愉快にならない。それでいて私は真言宗の教えを奉じることに決めたのだけれども、それでもやはり根底は科学の徒であって、宗教は科学が断定できる領域を外れたところをつなぐ混ぜ物という位置づけにしている。この点では本田さんと意見としてそう遠いところにはないと思う。

物のことわりは物理になるのだけれども、では人のことわりは論理かというと、決してそうではない。人には理性という大脳新皮質由来の精神だけでなく、その根底に感情という大脳辺縁系由来の精神がある。人間の精神というのはDOSにWindowsが巻きついたWindows 9x並みの面倒な構造をしている。たいていは論理という上位システムの範囲で話が通じるけれども、そこで話がこじれた場合には人情という下位システムに適切に働きかける必要が出てくる。これが人の理というものであって、必ずしも論理だけでは話が終わらない。

WindowsプログラムだってWin32 APIのようなものを叩いて済む処理だけなら楽でいいが、高度な処理の中にはデバイスドライバの関数を直接叩いてやらなければならないこともあるし、ひどいときにはBIOSを叩いたりシステムの再起動をかけたりしなくてはならない。理知的な話で済まなくなったら、土下座したり酒を飲ませたり美形を横に座らせたりしてでもして人を動かさなければならない場合もある。

そういうものに比べたら、仏像の前で線香をくべたり目をつぶったり、何も考えないでも口が動くような真言・念仏のたぐいを延々繰り返して唱えるなどして自分の感情を落ち着けるという手順は、それほど目の仇にするほどのものではないと思う。本田さんにしても、宗教の悪いところは排他的だったり物理を否定する頑固さだったり、あるいは無理な金集めのやり方だったりするだけなので、単に人の心を治めるための信仰であったならば、それほど毛嫌いすることなく受け入れてくれたに違いない。

そういう具合で、数千年の歴史を持つ宗教にはどうしても神話的な部分が多いのだけれども、そういう現代科学とは相容れない部分をよく洗い流して、人の情に合った話をかいつまんで拾って歩くと、どの宗教もそれぞれに人の情に対して「合理的」であったりする。論理の奥底には必ず動物的な情念が潜んでいるのが人間の「理」であるから、それに合わせた人の扱い方の中には、必ずしも論理的ではないが、それでいてちゃんと「合理的」であるものも多い。

長い歴史の中で、多くの人間が泣いたり笑ったり、怒ったり殺したりしてきた。それについて過去の多くの人が考え抜いた知恵の結晶が、大乗仏教にしても上座部仏教にしても、プロテスタントにしてもカトリックにしても、あるいはユダヤ教にしてもイスラム教にしても、長い歴史に裏打ちされた教義の中に必ず含まれている。科学の世界でも数え切れないほど多数の仮説が提唱されてきたが、その中で時間の試練に耐えて今日まで伝えられている物理法則というのは、十分に信頼に足る内容といえる。それと同じように、古くから伝えられた伝統宗教の経典もまた、それなりのことわりを含み持っている。

科学だけ信じていれば宗教など必要ないと素朴に信じている人は、科学技術を生み出した精神的土壌であるプロテスタンティズムが含み持っている宗教的信条を、それとは自覚無しに信仰している場合がほとんどである。デカルトが考えたように、科学的に、つまり懐疑的精神に則って分析的かつ実証的に思考を進めると、ほとんど全ての知識とは「今は否定できないので暫定的に信じることにする」という程度の確実さしか持たない、仮説の集合体でしかないという結論に行き着く。

そういう科学の出所をさておいて、ともかく皆が信じているし今までも特に裏切られなかったからという具合で、科学があれば宗教など要らないというのも、それはそれで一種の宗教といえる。だが困ったことに、現代ではそれが無自覚に信仰されている。カトリックが人の編み出した宗教ではなく、単に絶対的真理としてとらえられていた時代のヨーロッパ世界のようなもので、こういう世界の中で科学と宗教が持つそれぞれの限界を理解してもらうのは、非常に面倒な作業になる。

物のことわりは物を見たり触ったり、叩いたり壊したり作ったりしてだんだんと理解できるようになってくる。教科書に書かれている法則はとても役に立つが、結局のところ実験現場で得られる体験のほうが桁違いに情報量が多い。人のことわりも似たようなもので、経典には人の情の法則がいろいろと書かれているのだが、学びて思わざるは即ち罔しという具合であって、いくら経典を読んでも、人を見たり触ったり、叩いたり泣かせたり育てたりしないと、本当のところは理解できないのではないかという気がする。


石を割る話に戻るが、水晶やシリコンインゴットのような高純度の単結晶をきれいに割るのは、実は難しい。原子レベルまできれいに並んでいて不純物のない純結晶は、原子が熱振動で結晶の格子点からわずかに離れている具合であるとか、ほとんどがそういうランダムな要素でひび割れの進行方向が決まる。だから、人間が結晶の破壊していく方向を制御していくということが、案外に難しい。

一方で、大理石のようなすじ目の通った石は、そのすじ目に沿ってきれいに割れる場合が多い。石のすじ目は何でできているかというと、不純物であったり、混合物の組成のムラであったりする。そういう、不純なものを含み持った石のほうが、きれいに割れる。これは面白いことで、人間も不純なものを含み持った奴のほうが案外に扱いやすい。純粋で混ざり気の少ない人間というのは扱いにくいのだが、それでいて純度の高い人間に役目がないのかというとそうでもなく、複雑なシステムでは必ずそういう頭の固い奴が必要な箇所が出てくる。

そういう具合で世の中というのは面白いのであるが、なにしろ面倒でもあるので、今はもう少し遊ぶことにしたい。
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by antonin | 2009-12-06 17:58 | Trackback | Comments(0)
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