安敦誌


つまらない話など
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軛リサイクル

育児支援施設で子供と遊んでいると、書棚にそういうふうに読めるタイトルの本があった。若者向けらしいが、立ち読みしてみるとルビが少なく、おそらく彼らには非常に読みにくい書物になっているだろう。内容はどんなものなのか知らない。

EUにトルコ共和国が加盟したいと手を上げたとき、もしそれが実現した場合ヨーロッパとはなんなのだ、というアイデンティティに関わるゆらぎがヨーロッパ人たちの心に去来したというけれども、本当なんだろうか。黄禍という言葉があって、この禍いたる黄色い者たちとは、実は漢人ではなくトルコやモンゴルといった騎馬民族を指している。彼らは当の漢民族にも恐れられていて、天高く馬肥ゆる秋というと、栄養をつけた駿馬に乗った騎馬民たちがそろそろ農耕民である漢民族の収穫を狙って攻めこんでくるかもしれないという、面倒な気分を述べた言葉がその語源にあるらしい。

生物学的にコーカソイドというとイラン人やインドのハイカーストあたりまでを含むらしいのだけれども、いわゆる白人たちの中で一番黄禍をこうむったのはやはりスラブ系民族、特にルス(ロシア)人だろう。歴史の教科書で「タタールのくびき」という言葉を習ったが、このタタール人というのも、民族の切り分けが流動的で難しい、シベリアの草原からやってくる「黄色い」騎馬民族を指していたらしい。「くびき」とは「軛」とも書くが、意味としては「頸木」で、征服者が被征服者を拘束、連行する際に首や手首を固定するために使った道具を指すという。

タタールにしてもトルコにしても、それはヨーロッパに最近接するアジアの象徴であり、アメリカはともかくヨーロッパから眺めれば、トルキスタンのあたりからやってきて小アジアに今も陣取るトルコ民族は、アジアとしての印象の方が遥かに強いのだろう。もちろんギリシア文明の母体になったアナトリア地方には今も遺伝的にはギリシア人の血を引く人々が多く住んでいるから、そういう人々を受け入れるのだという意識はあるかもしれないにしても、やはり真っ先にイメージするのはドイツ語圏の都市に暮らすトルコ系移民の姿だろう。

2000年ぶりにカナンの地を回復したユダヤ人もずいぶんと突飛なことをしたように思えるが、知識と知恵を何よりも重視するユダヤ人の文化では、自民族の歴史を学ばないということはありえない。となると、私たちが桃太郎の話を聞くのと同じような感覚で、祖先がペリシテ人と戦った話であるとかローマ人に神殿を破壊されたという話を学んでいる。歴史上の神話というのは、語り継がれる年月が長い分だけ、純化された物語になって人間の行動規範の基礎になったりする。そう考えると、20世紀のユダヤ人が約束の地を奪還した気分も想像できないことはないだけに、厄介な気分になる。

日本の「大東亜戦争」先史を学んだ人が急激に先鋭化して排他的になったりしているが、私たちが戦後の「統治」に抱く感情よりも更に純化された感情を伴う歴史を、祖国を喪失したり分断されたりした民族は当然持っているだろうし、四大文明のうち唯一現代まで直系がたどれる漢民族としては、その中華思想を穢した周辺諸民族について、やはり純化されやすい感情を伴った歴史認識を学んでいることだろう。

「分割し、征服せよ」という程度のことは、ラテン語でも漢語でも似たような戦略が述べられている古典がある。米ソ二極が米中二極に移り変わりつつある状況で、合衆国と仲良くするのも人民共和国と仲良くするのもよろしいが、どちらにしても大国が望まないのは、ASEANやイスラム圏が日韓台あたりを軸に独自のまとまりを作ってしまうようなことだろう。日韓や日朝が対立するのは、東西どちらの大国も喜ぶ展開だということくらいは気がついてもいいような気がする。

国家、民族でさえそういう具合なのだから、家族の歴史をある程度知っている人間は、ルサンチマンというような、論理を超えた水準で何かと判断をすることが多いだろう。一族にかけられた軛は、そう簡単に外れることはなく、末裔たちに繰り返して引き継がれていく。その中で風化していくものもあれば、再発見によってかえって単純化、先鋭化してしまうものもある。個人の精神の輪廻は信じないが、こういう親族への想いが継代して繰り返していくことを、あるいは輪廻と呼んでもいいような気がしている。

そういう想いが、純粋なものも恣意的なものも含めて、内発的なものも外来的なものも含めて、ブロードキャストされるものもネットワークされるものも含めて、この国土を舞台にして飛び交っているように見える。個人の薄弱な意志は無力に流されてしまうことも多いのだけれども、ときどき目眩のような気分を覚えるときがあって、そういう想いの渦巻模様に気付くことがある。

ノストラダムスと同じで、詩的に書いてしまうと多くのことが台無しになってしまうのだけれども、それでも守るべきものはあって、詩的にならざるを得ない場面というのもある。顕教と密教のすれすれのところに少しずつ触れながら、そういうものを感じつつある。

軛は天災に似て、忘れた頃にやってくる。来年あたり、大陸から日本に再び金印が送られてくるかもしれない。「友愛」の証しとして。
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by antonin | 2010-02-07 23:13 | Trackback | Comments(0)
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