by antonin
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浜離宮公園を一人で散歩すると、案外寂れた感じがする。浜離宮公園は「恩賜公園」であって、かつては天皇家の離宮だったのが下賜されたということになっている。離宮となる以前は将軍家の狩場で、更に以前はどこかの大名の土地だったらしい。それが今では東京都の管轄する都立公園の一つとなっていて、有料公園として運営されている。都立公園だと思えば手入れの行き届いているほうだが、天皇家の離宮にしては荒れている。 木々はどれも樹齢を重ねていて、枝振りも窮屈な剪定を受けていないためか自然な感じがする。足元に切り株があって、上を見上げると、周囲の木の枝が円く空間を空けている。その空間が何かというと、足元にある切り株がまだ生きた木だった頃に、枝を広げて日光を受けていた領域なのだろう。 花畑なども幾つかあるのだけれども、そのうちの一つが荒れていた。タイル状に花壇があって、花壇の中には銘柄の札が掛けられた苗木が植わっている。その花壇の中の苗は枯れ果てているのに、花壇の間を縫うように作られた通路の方に、勢い良く雑草が茂っていた。その雑草を靴で踏み倒しながら歩いていくと、少しグロテスクな外見をした大きいコオロギの類いが飛び跳ねて逃げていく。 ほぼ方形をした公園の一番海側に出ると、海が見える。かつて鴨場があった公園の周囲は海水なのだけれども、今では海というより運河の一部という感じしかしない。海沿いに並んだベンチから海の方向を見ると、埋立地に立てられた倉庫街が見えるばかりで、海面にも波がない。波がないので波音もない。ときどき魚が跳ねてビチャンというような音がするだけで、その音の響きによって周囲の異様な静けさに却って気付く。 そういうヌメヌメとした海面にときどき波を起こすのが水上バスで、突堤に開けられた船幅ぎりぎりの通路から公園脇の停留所に向かって入ってくるときにだけ、ヌメッとした水面に波が立つ。かつての灯台跡地には正確に八等分された位置に礎石が残っている。その小高いところに立って、水上バスの航路を眺める。 公園内には外国人観光客が多い。東京にはもはやオリエンタリズムを感じさせる場所が少なくなっているから、観光客はこういう場所を見つけてくるのだろう。池の中島には茶屋があり、抹茶が飲める。そこで一人で正座して茶を待っていたら、正面にフランス語らしき言葉を話す一団がやってきた。こちらを見真似て正座する。正座ではつらかろうと思ってこちらが胡座に座り替えると、その動作をすっかり真似て彼らも胡座に座り替えた。これも何かの作法だと思っているらしい。神妙というよりゲラゲラ談笑しながら真似しているのが、見ていても面白い。 東京湾には今も埋立の土地が広がっているから、古い埋立地の周辺にはもはや海辺という感覚が残っていない。かつては海に向けた砲台を据える場所だったというお台場にも海浜公園があるが、そこから眺める海も似たような感じになっている。ここにはまだ緩やかな波が到達していて、羽田に向かう海底トンネル入口の背面に渡された人道橋から海を見ると、いくらか波の当たる音がする。人工的な磯を眺めると、昔に比べて東京湾の水も透明になったのがわかる。 竹芝のフェリー乗り場から海を眺めていると、東京湾クルーズに乗り込もうという、同窓会と思しきご婦人の一団が談笑している。フェリー乗り場というのは駅にも似ているけれども、駅と違うのは波風によって頻繁に欠航があるというところだろう。その日も東京は晴れていたが南洋には台風が迫っていて、伊豆諸島へ向かう便は欠航していた。それでもベンチにはそれなりの密度で人が座っていて、こういう空間というのは都区内では貴重なのだろう。
by antonin
| 2010-03-19 10:42
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