安敦誌


つまらない話など
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気は心

古くは「人間五十年」といって、平均寿命を計算するとたしかにそのくらいだったのだという。しかし昔の人が五十歳になるとバタバタと一斉に死んでいったのかというと、決してそういうことではなかったらしい。ある人は確かに五十歳で死ぬのだが、多くの子どもが幼くして死に、思春期にも死に、青年期にも死に、壮年期にも死ぬ。しかし一方で八十歳を越えても生きる人は昔にもいて、そういう人々の寿命をすべてひっくるめて平均すると、五十歳に届かないくらいの数値になったのだという。

私は詳しくは知らないのだけれど、80歳を超えると死に方の質が変わるらしい。80歳未満の死は、脳出血であるとか、心臓疾患であるとか、あるいはガンで死ぬにしても、いかにも病的な死に方をするらしい。その原因の一部は遺伝的なものであったりするのだけれども、おおかたは生活習慣病のようなものになるらしい。

一方、80歳を超えて死ぬ人は、風邪をこじらせて肺炎になったり、ガンで死ぬにしてもゆっくりと衰弱して、ほとんど老衰と変わらないような最期を迎えるという。そういう人達が生活習慣的に優れた健康的な生き方をしてきたケースはもちろん多いのだが、そうではなくて、飲酒であるとか喫煙であるとか、一般に不健康な習慣と考えられている生活習慣を持ちながら長生きしている人も、実は多いらしい。

遺伝的に免疫力と自己修復能力の高い人というのがいて、こういう人達は、ある程度どのような生き方をしていても、不慮の事故などに遭わない限りは長生きするようにできているのだという。そして、そういう長命の遺伝子というのは、実は日本に住む人達に古くから認められてきたらしい。というのも、あの魏志倭人伝にも、百まで生きる人が多いという説明がある。魏志倭人伝の信憑性の程はともかくとして、そういう噂が大陸に伝わる程度には人々の寿命が長かった可能性というのは考えてもいいのではないかと思う。火のない所に煙は立たないと言うし。

その免疫力なのだけれども、これはもちろん生まれつきの遺伝的な性質が与える影響が大きい一方で、最近は免疫系と神経系の相互作用というのがボチボチ研究され始めている。無意識のレベルで認知している現象が、免疫系に反映されるという研究結果も一部に出てきているらしい。つまり病気にかかったときに、無意識レベル、言い換えると感情レベルで記憶に残るような出来事が病気と同時に発生していた場合、あとでその無意識レベルの記憶が刺激されると、本来無関係のはずの免疫系までその病気に対する防御体制をとる、というような実験結果があるらしい。

もちろんこういう研究は肯定的なデータが出ただけでは不十分で、懐疑的な見方に対して「否定するデータはない」という対照実験を慎重に実施しない限り十分なことは言えないのだけれども、それにしてもそういう神経系と免疫系の相互作用というものに研究者の注目が集まっていることだけは確かなのだろう。実際、自己免疫反応の一種だと考えられているアレルギー性皮膚炎の治療に、アレルゲンの除去だけでなく心理療法も治療効果を上げているケースも報告されている。

アフリカの一部地域では、病院で西洋医学的な治療を施す医師がいる病院の病室で、伝統的な呪術的な祈りが併用されているという話も聞く。それを日本から見ると、無知蒙昧な未開民族が迷信に囚われて悪習を脱しきれていない、というような印象で見てしまうだろう。けれども、自分が手術の必要に迫られて白一色の病室に閉じ込められてみるところを想像してみると、身内に送られた病気平癒のお守りが、なんとなく心強く感じるなどということも想像できるだろう。彼らにとってはそれが、我々には文化理解不足のために荒唐無稽に見えるが彼らにとっては自然な、呪術的儀式によって得られるものなんじゃないかと思う。

もちろん、そういう呪術が近代医学を排除するようだと困るのだが、秩序立って構造的な知識体系である現代医学が取りこぼしている部分を補う範囲に留まるならば、デメリットよりメリットのほうが現れてくるように思える。

病気も景気も気の持ちようという面が確かにあって、もちろんそれだけではなくて栄養状態であるとか在庫量であるとかいう物理的因子がもちろん重要なのだけれども、それにしても最後は気分的な問題だけが残る局面というのはあるのだろう。あからさまな嘘は困るが、デメリットよりメリットのほうが上回るようであれば嘘も方便であって、景気の良くなるような冗談はあった方がいいのだろうと思う。
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by antonin | 2010-04-12 05:30 | Trackback | Comments(3)
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Commented by fazero at 2010-04-15 16:20
できる ならば、 ぶたまん お たべてる さいちう に あうと に なりと ないなー ^^
ぜんぶ たべて から あうと に なりたい わ
Commented by antonin at 2010-04-17 14:38
いや、食べてる最中の方が幸せかも知らんよ(笑)
Commented by fazero at 2010-04-18 17:21
ぎゃははは
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