安敦誌


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星新一・チャップリン・バッハ

星新一さんの作品を収めた文庫本は、中学生時代にずいぶんと楽しませてもらった記憶がある。物語そのものはほとんど忘れてしまったので、今になって読み返してみればまた新鮮な楽しさがあるはずなのだが、未読の山に押されてショートショートにまでは手が出ない。

その星新一さんは、小説家にとってはある種迷惑な存在なのだという話を目にした。というのも、フィクション作家なら誰しも思いつくようなストーリーの基本骨格を、ほとんど骨格のまま千本も出版してしまっているから、構想した基本骨格に細かい修飾を施して一編の小説にする作家としては、あらぬ盗作の疑いを掛けられてしまう危険性が高く、したがって実に迷惑な存在なのだという。

しかしまぁ、基本骨格が同じだからといって作品の価値が下がると考える傾向があるのだとしたら、その傾向の方がどちらかというと間違っているような気がする。しかしそれが世間の常識なのだとすると、世間の常識に異議を申し立てたところでどうしようもないのだが、似たような状況はすでに音楽の世界では起こっていたりする。

というのも、現代の音楽のほとんど全てが、言ってみればバッハの作品の変奏曲のようなものになってしまうものらしい。楽器編成とかリズムの取り方にはいろいろなバリエーションがあるが、基本的なメロディ構成はほとんどバッハが骨格として作品に残してしまっているので、テクノだろうがレゲエだろうが、基本骨格としてはバッハの何かしらの作品と共通のものを持っている可能性が高いのだという。

これにはある程度仕方のない理由があって、というのもバッハの生きた時代というのは、現代音楽のほとんどが利用している平均律の誕生した時代だった。それまで使われていた純正律やピタゴラス律という、技術的な制限の強い調律法から、ほとんど無限の自由がある平均律に移り変わる最初期に当たった。そういう自由度を、最初に、かつ最も深く理解したのがバッハだと言われている。私は音楽的な詳細はわからないのだけれども、考えうる作曲の基本骨格はバッハの手によってほとんど絨毯爆撃されてしまっているらしい。

そういう、カンブリア爆発にも似た自由度の急激な拡大と多様性の爆発が、バッハの作品の中に存在するらしい。カンブリア紀のあとには生物種のバリエーションは落ち着きを見せるのだが、音楽でも同じように、平均律爆発のあとはバッハ自身もブランデンブルク協奏曲のようなイタリア的バロック音楽の典型を作曲するようになる。

昔は「だれそれの主題による変奏曲」という作品は当たり前に存在していたのだし、今でもカヴァー曲というのか、編曲と演奏を変えた音楽というのは数あるのだから、「星新一の主題による長編小説」というのがあっても一向にかまわないような気がする(タイトルはそれなりのものを考える必要があるだろうが)。文芸の世界ではそういう具合にはいかないのだろうか。

映画の世界でも似たような爆発点が存在する。写真フィルムの製造技術が高まり、尺の長いフィルムが生産されるようになると、連写写真から活動写真が生まれる。そして映画のスタジオ撮影の基本技術が確立して作品的な自由度が急拡大すると、チャーリー・チャップリンのような才能が現れて、自由度を駆使した映画作品の基本骨格を量産するようになる。現代の映画作品も、やはり基本骨格はチャップリンによって総ナメにされているという。

という具合なので、日本語小説という世界にソフトSFという新分野が誕生して作品の自由度が急拡大した時期に、星新一という才能が現れて奇想小説の基本プロットがカタログ化されてしまうというのも、ある意味必然なのだろう。現代の音楽とバッハの音楽の共通点に素人が全く気づかないのと同じで、よく練り上げられた文学作品の基本骨格が星新一のショートショートと共通しているからといって、作品の創作性に傷がつくとはどうにも思えないのだけれども、現実的にはそうでもないのだろうか。
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by antonin | 2010-05-25 22:42 | Trackback | Comments(0)
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