安敦誌


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保険と賭博の心理学、あるいは子ども手当について

数学的に見れば、保険と宝くじというのは似たような金融商品であると言える。統計的に安定した低確率で発生する事象に対して、「当たった」人が多額の賞金を受け取り、逆に事象が発生しなかった「外れた」人は少額の「かけ金」を失う。保険では「掛金」と呼ぶが、その原理的な意味は「賭金」と違いがない。例えば生命保険であれば、契約期間中に被保険者が死亡する方に賭けて保険商品を購入し、その賭金を利子付きで分割払しているのが月々の掛金ということになる。

一個人としては「ハズレ」を引く可能性が高いが、「当たり」を引く可能性もゼロではない。そこで一攫千金を狙うのが宝くじであり、もしもの補償を狙うのが保険ということになる。個々人としては結局のところどちらが出るか予測不能だが、多くの個人をまとめて統計的な規模の顧客を集める保険会社や宝くじの販売組織の側から見ると、それぞれの事象ごとにあたりの可能性は予測可能な範囲に収束し、そこから販売金額と当選金額や保険金額を調節すると、一定の利益を上げることができるようになる。

純粋に数学的に見れば確かにそういうことになるのだけれども、保険と賭博では「当たり」の事象が持つ意味的な違いがあって、賭博で当たった人は勝者であるのだけれども、保険で低確率の事象に当たった人というのは一般に敗者ないし弱者の立場にある人ということになる。賭博は勝者総取りの仕組みであるのに対して、保険は弱者救済という意味を持つ仕組みということになる。

とはいえ、金銭的な流れだけを見れば保険と賭博は同じものなので、経済的合理性という観点から見ると、保険はある種の賭博と同じ経済効果を持つという側面がある。宝くじをはじめとする賭博では、「当たり」の人は勝負に勝ったという精神的な利益に加えて金銭的な利益を得られるので、参加者は当然誰もが「当たり」を狙う。一方保険では、「当たり」の人は偶発的な被害者ということになるのだけれども、しかし金銭的な利益を得られるので、純粋理論的には保険は「当たり」への金銭的インセンティブとして働く。

不正な手段を用いて「当たり」を引いて当選金を手にする行為は、賭博では当然不正として禁止されるのだけれども、保険においては、弱者保護の観点から条件付きながら保険金の支給が認められる場合がある。生命保険での不正な「当たり」事象発生というと、殺人がそれに当たる。保険金殺人はもちろん犯罪であり、判明した時点で保険金は支払われないことになるが、犯人が被保険者本人の場合、つまり自殺の場合は保険金目当ての自殺であったかどうかの確定が難しいことから、一定の契約期間を免責条件として保険金の支払いが認められるという慣習になっている。

この自殺者への保険金支払いが、生命保険の被契約者に対する自殺インセンティブになっているというのは、あまり大きな声で言われることはないけれども、昔からいろいろと問題視されている。また同様に、自己都合で退職した場合にも3ヶ月の猶予期間ののち失業保険金が支払われることになっており、これも失業を誘発するインセンティブになっている。また統計によれば、自己都合ではない失業者についても失業保険が失業期間を長引かせるインセンティブとして働いていて、結果として失業率が引き上げられるという情報もある。

また時事的な話題では「子ども手当」というものが出生率低下を食い止めるための出産促進インセンティブとして企画されたが、これは子供を持つ親の立場とすれば、多額の育児費用を補填する国民皆保険制度のようなものと見ることができる。この制度が出産・育児を促進するインセンティブとして有効に働くためには、教育費用の肩代わりのような費用のかさむ割に目立ちにくい制度よりも、可処分所得として自由になる現金支給のような目立つ方法の方がインセンティブとしての効果がより高く、そういう意味では「子ども手当」のやり方は税金の使い方として非常に有効だということになる。

しかし、子供を持とうと願っても経済的あるいは身体的に子供を持つことができない人から見ると、子供を持つことのできるような経済的にも身体的にも恵まれた人が、更に税金から、しかも「自分たちの払った」中から支払われるのでは、勝者総取りの国家賭博であり、しかも後出しジャンケンのような極めて卑怯なやり方というように映る。実際に第二次ベビーブーム世代へのインセンティブとするには時期を逸している面があり、今更そんなインセンティブを与えられても結婚・出産まで至らないという人も多い。

子ども手当が可処分所得の少ない育児世代の親に対する「経済弱者救済」であればこれほど批判にさらされることはなかったのだろうが、実際にはそういう状況でもなく、経済的に余裕のある人ほど結婚や出産に踏み切る精神的余裕があるという状況では、新しい国民皆保険制度ではなく国民強制参加の賭博と捉えられてしまったのだろう。

国家が差配する制度の多くは統計的スケールで働くので、純粋に経済的な効果を重視するのが筋なのだけれども、個々人としてはその意味の階層で感情的な受け止め方がなされるので、実際の政治ではそういう大衆心理に最大限の配慮を払う必要が出てくる。

人間とは難しいもので、想いが裏目に出ることも多く、好意が怒りに迎えられることもあり、逆に蔑みが歓喜に迎えられることもある。参院選後の日本がどのような方向に進むのかはわからないけれども、国家の顔には役者を当てるのが案外妥当なのかもしれないと思うようになった。そういえば、「秘すれば花」というのは僧侶の言葉ではなく、能楽の役者であった世阿弥の言葉だった。政治はだいたいオープンな方がいいが、あんまり明け透けでもよろしくなく、理知的であるよりは演技的である方が、間接民主制においては良い政治家だと言えるのだろう。
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by antonin | 2010-06-22 19:41 | Trackback | Comments(2)
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Commented by アラーキー at 2010-07-02 01:02 x
大変勉強になります。

一点疑問があります。

>教育費用の肩代わりのような費用のかさむ割に目立ちにくい制度

めだちにくいとはどういうことですか?
Commented by antonin at 2010-07-05 15:17
コメントありがとうございます。

>めだちにくいとはどういうことですか?

児童手当や子ども手当は自分の口座に現金が振り込まれるので、その金額が税金から充当されているのがはっきりとわかるのですが、たとえば公立高校に1年通学した場合にいくら税金を利用したのかというのは金額としてはっきりと目に見えるわけではありません。

そういう意味で書きましたが、どうでしょう。
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