安敦誌


つまらない話など
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三方一両得

「三方一両損」は、東京では大岡越前の名裁きのひとつとして知られる話だが、これも多くの大岡裁きと同じように、東京では知名度のある江戸町奉行大岡越前守忠相を主役として脚色されただけで、実話ではなくどこかに源流がある物語らしい。二人の女が子供を取り合って裁判になり、互いに子供の腕を引いて引き勝ったほうを親とする・・・という例の話も、知恵と公正で知られたソロモン王の伝説に由来する話だというし、そういうものはこの手の話には多いのだろう。

その「三方一両損」だけれど、三両という大金の入った財布を拾った男も、それを届けられた元の持ち主も、三両は自分のもんじゃねぇからいらねぇ、という具合に気風の良いことを言って、挙句に白洲沙汰になる。しかしこれを裁く越前守がこれまた懐の一両を差し出して騒動を解決するという、なんとも気前のいい話になっている。子供の頃はこの話を聞いて、昔の人はなんと立派だったんだろうなどと思っていたのだが、実はこの話、落語なのだという。

落語の舞台を歩くより第37話「三方一両損」

人情話ではなくて落語だということになると、この話の途中から客はクスリ、クスリと笑いながら聞いているということになる。いくら昔の江戸っ子の話だとはいえ、そこは同じ人間の話、拾った金が大金だと見れば持ち主に届けるというところまでは同じ日本人として理解できる。ところが、そんなものいらねぇ、こっちこそいらねぇと押し付け合うとなると、ちょっと話としておかしくなってくる。

そのおかしいところが落語の面白みになってくるのだが、「三方一両損」を「三方一両得」としてしまうと、人間誰しも得をしたいものだから普通の話になってしまう。しかし、それが大岡裁きの逆ということになってくると、トンチが効いておかしいはおかしいが、ちょっとこすっからい話になってしまう。

大工の吉五郎が財布を拾うと、三両入っている。同じ財布に入っていた書き付けを見ると、左官の金太郎が持ち主と知れる。そこで届けに行くと、金太郎はありがとう、ありがとう、と言ってそれを受け取る。しかし、財布には書き付けが入っているばかりで、肝心の三両が入っていない。金太郎が憤然と文句を言うと吉五郎が、一度落とした金は天下のもの、一度拾ってしまえば俺のもの、とうそぶく。

はてさて裁判沙汰になって名奉行大岡越前守が登場するが、奉行はひとまず三両を取り上げると、金太郎の前に一両を、吉五郎の前に一両を置き、そして残った一両を自分の懐に入れる。いわく、「一度落とした金は天下のもの、本来は無いものである。しかしこうして一両は金太郎の手許に戻った。これは一両の得である。そして拾った金は天下のもの、それをくすねるのは本来罪であるが、ここは拾った財布を持ち主に返した行いに免じて、吉五郎に一両を残した。これは一両の得である。最後に残った一両が私の懐に入った、これも一両の得である。これにて一件落着」

かくして大岡越前による「三方一両得の名裁き」となるのだが、なんとも後味が悪い。後味は悪いのだが、人間の強欲を題材にした寓話としては、ありそうな話でもある。「三方一両損」の、とうてい現実にはありえないが江戸っ子の縁者としては気分の良いストーリー展開に先行して、この苦笑いするしかない「三方一両得」の話が、実はどこかに教訓話か何かとして転がっているのではないかと思った。

そこで「三方一両得」での検索結果をいくつか眺めてみたのだけれども、どうやらそれらしい話は見つからなかった。おそらく時代と舞台が違っているだろうから、通貨単位が「一両」ではないのかもしれない。上のリンク先を読むと、平安京を舞台とした、「三方一両損」と同じく気前のいい物語があるらしい。京都だと通貨は金ではなく銀だから、単位も両ではなくて匁あたりではないかとも思うが、ひょっとするとこの話も源流は古代中国やメソポタミアあたりまで遡れるのかもしれない。もしそうなると、単純な検索では発見できないので、気長に探していくことになる。

最近"Win-Win"というお題目が流行したこともあったが、あまり猫だましみたいなトリックによる解決は見たくない。"Lose-Lose"も痩せ我慢が過ぎるが、あまりに声高に叫ばれる"Win-Win"には、どこかに落とし穴がないのか、よく眉に唾して、というより、自分が欲に目がくらんで何かを見落としてはいないか、少し用心したほうがいいのかもしれない。
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by antonin | 2010-07-15 01:22 | Trackback | Comments(0)
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