安敦誌


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「区別できない」という能力

私たちの住む世界というのは、非常に大きくて複雑にできている。それを、私たち人間の小さな脳漿が、一部にしても理解できているというのは、とても神秘的なことだと思われている。脳が世界を理解するための仕組には様々な工夫と特徴があるが、そのなかのひとつが「区別できない」という能力なのではないかと、最近思っている。本来別個のものを区別せずにひとつのものとみなすことで世界を単純化し、小さな脳に多くの情報をねじ込む。ただしこの高度な能力のために、私たちは無意識のうちに「区別できない」という代償も払っているのだろう。

フリードリヒ・フレーゲが数論と集合論を結びつける鋭い洞察をしている。リンゴの実を3個集めて集合を作る。すると、集合{リンゴA,リンゴB,リンゴC}ができる。人を3人集めて集合を作る。すると、集合{アルバート,ニールス,マックス}ができる。同じようにして要素数3の集合がたくさん作れる。そうした性質を持つ集合すべてからなる集合が、自然数3の正体なのだという。個々に区別できるものから共通の性質を抽出し、そうしたもの全体の集合(外延)を作り出すことを、抽象化という。

アルバートもニールスもマックスも具体的な対象だが、そこから共通の性質を抜き出して、「物理学者」とか「男」とか「人間」とかいう外延を作り出すことが抽象化で、そうして作り出されたものが抽象概念ということになる。抽象概念を持つことで、個々別々のものに関する情報を共通化し、コンパクトにして記憶することができるようになる。抽象概念を持つことのもうひとつのメリットは、未知の対象に出会ったときにそれが何か既知の抽象概念に含まれるなら、その概念が持っている性質をその未知の対象も持っているはずだ、という推論が可能になるという点にある。

アルバート・アインシュタインは常識を「それまでの人生で収集した偏見のコレクション」と呼んだらしい。偏見を"prejudice"とも言うが、これは「先立つ判断」という意味のラテン語から来ている。つまり、対象について知る前に、およその判断がつくようになるという意味で、人間の「偏見」には実用的な価値がある。ただし「偏見」という言葉の実際の使われ方を見てもわかるように、この能力にはデメリットもある。抽象概念を使った判断を信用しすぎ、具体的対象について知ろうとしなくなる傾向が、人間にはある。この場合、偏見を持った人間は誤った判断を生みがちになる。

人間の脳の機構は完全には解明されていないが、徐々に多くの知見が集められている。その中の基本的なものに、脳とそれに連なる神経系は、神経細胞という特殊な細胞が連結して出来ているという知識がある。神経細胞にも多くの種類があるが、人間の意識を司っている大脳新皮質の神経細胞には、多くの入力シナプスと出力シナプスがある。そのどちらも別の細胞に連結されているが、重要なことは、入力信号の種類は接続元の細胞の数だけあるが、出力信号は1種類しかないというところにある。神経細胞は、多入力1出力の関数としてモデル化できる。

個々の神経細胞は、複雑な情報を受け取り、単純な情報を受け渡すように出来ている。そういう神経細胞が多数集まって、脳が作られている。神経細胞の中でも感覚器や運動器に近いものは信号の入口と出口が決まった一方通行のつくりをしているものが多いが、中枢機官では信号がいくつかの神経細胞をめぐって循環するようなネットワークになっていることが多い。

複雑な信号から単純な信号を作り出す神経細胞が循環するネットワークを作ると、そこには信号を安定化する働きが生まれる。脳が感覚器から複雑な情報を受け取ると、まず一方通行的なネットワークが不要な情報を落として情報を整理する。そうして伝えられた情報がバックエンドにある大脳新皮質まで届くと、しばらく複雑な信号のやりとりをしたあとに、単純で安定した信号パターンが残る。これが連想記憶によるパターン呼び出しという機構で、心理学的には「想起」と呼ばれる現象になる。

この連想記憶を利用して、人間は具体的対象を感知すると、その対象に関連する記憶をいくつか連想する。その中には抽象概念も含まれており、抽象概念の信号パターンと目の前の具体的対象の信号パターンが、また別の記憶を連想する。その動作が「先立つ判断」を生むのだが、多くの場合、呼び出された抽象概念を使った推論と、目の前の具体的対象の観察による推論は、細かい点で矛盾する。そういう矛盾が発生した場合、観察による推論が呼び出す連想記憶パターンが優勢になれば人は現実を受け入れるが、抽象概念による推論が呼び出す連想が勝てば、人は現実のほうを否定することになる。

むやみに目前の観察を受け入れてしまう人間は「馬鹿正直」と呼ばれ、それはそれで問題となるので偏見にも十分な理があるのだが、経験豊富で偏見も豊富な年齢になると、人間というのはだんだんとわずかな現実しか受け入れない偏屈になっていく傾向があるらしい。もちろん、これも抽象概念であって、現実にはそういう推論を否定するような「具体例」があふれているのだが。

私たちは、今読んでいるブラウザ上の文字であっても、紙に印刷された文字であっても、手書きされた文字であっても、経験的に得た抽象概念を連想することさえできれば、それらを同一の文字として取り扱うことができるようになる。場合によっては、区別ができなくなる。有名な文字のゲシュタルト崩壊という現象があるが、あれはおそらく、具体的な文字のイメージが抽象概念を呼び出す神経経路が、短時間に続けて刺激されすぎたために疲労反応を起こし、経路が不活化して抽象概念が連想されなくなったために起こっている現象なのではないかと思う。

書き言葉や話し言葉から抽象概念の呼び出しができなくなると私たちは読み書きができなくなるのだが、その便利で強力な機能の影には、それなりの代償を払っているのだということに気づく。ディジタルというのは、センサが観測する物理量を抽象化してから取り扱う方式のことであり、それがシャノンの定理をはじめとする強力なメリットを生むということは、最近のディジタルメディアの発展からも理解できるところだろう。そういう新しいイメージのために、人間が使い始めた最初のディジタル信号が「言語」であるということは、あまり認識されていない。

言語を使った論理的推論の連鎖は高度な学問を生み出す一方で、そういう学問が現実の受け入れを妨げて問題を引き起こすこともある。どのみち私たちの脳は無数にある具象を記憶しつくすことなど不可能で、どこかで抽象化の助けを借りなくてはならない。しかしそれはあくまで「区別できない」という能力なのであり、一定の代償を払い続ける機能なのだということを忘れないほうがいいのだろうと思う。

具象を抽象に割り当てるときに、キーとなる一点を見て判断する西洋方式と、全体を見て判断する東洋方式というものがあるらしく、それもまた非常に興味深い話なのだが、それはまた別の話にしておくことにする。同位体がなぜ同じ元素として取り扱われるか、などという話も含めようと思っていたが、うまく話の流れに入れることができそうもないので、これも別の話ということにしておく。
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by antonin | 2010-12-19 00:42 | Trackback | Comments(0)
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