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weblog的なブックマークを少し。 Wikipediaでジェットエンジンの項を読んでいたら夜更かししてしまった。既に知っている情報も多かったが、無駄な蘊蓄が多くて面白い。用語定義に対する学者的執着ぶりが感じられる記述にも、目元が緩む。 次に、検索で比較的上位に上がっているページも読み始めて、更に夜更かしになってしまう。 参考資料(機体関連) 基本が分かりやすく説明されていていい。 ジェット機の原理に対する疑問がふたつあって、ひとつは「連続系のジェットエンジンで、なぜ高温高圧のガスは前方ではなく後方だけへ噴射するのか」というもの。おそらく後方のタービンは前方の吸気圧縮系に比べて通過抵抗が小さく出来ていて、結果として高圧のガスは後方へ抜けていくのだろうという予測を立てていたが、調べるとだいたいそれで正しいということがわかった。 もうひとつの疑問として、「飛行機ではジェットエンジンが後方へ噴射する気流の反作用が推進力となり、その推進力の一部と主翼を使って気流を下向きに曲げる反作用で鉛直揚力を得ているが、エンジン出力を下向きにすることで主翼をなくしてもエネルギー的には等価なのではないか」というものがあった。考えてみると、そのとおりに軸出力で直接鉛直揚力を得ているヘリコプターという乗り物があるのだが、垂直離着陸できるメリット以外では飛行機のほうが効率が良さそうに見える。このあたりの数値もだいたいのものが示されていて参考になった。 旅客機などではエンジンコアは相変わらず高温のジェット噴流を噴出する仕事をしていて、まず第一にそれを2次タービン(モノによっては3次タービン)を回し、その力を大径のファンに伝えてバイパス流を作り、推力を増すところに使っている。そして第二に、機体側に主翼を置くことで出力の更に一部を下降流の発生に使っているのだが、荒っぽく考えると、主翼もまたエンジンシステムの一部(巨大な固定フィン)であると解釈できる。そうなると、内部に燃料を満載してエンジンコアをぶら下げた主翼そのものが高性能エンジンであるということになるわけで、主翼後方の気流全体がエンジンの噴出流ということになる。 だからまあ、旅客機だってエンジンが斜め下方に気流を噴出して飛んでいるシステムだと言っても嘘ではないということになるわけだった。かなり強引な解釈ではあるが。 疑問が解消したところで、上記ページのURLを削ってトップページをひらくと、航空官僚たちの余生の楽しみのような文化的ページが登場した。 日航財団-JAL FOUNDATION- 俳句や旅行関係のページは読む気も起こらないが、中には面白そうなものもあった。 大気観測の最終的な目的(PDF) しかし「こんなことをやっています」という情報は多いが、「こんなデータが取れました」という情報はほとんどない。やはりタダでは出せるものではないのだろうか。 -- あと、過去の考古学的発見で「人類の祖先ではないか」と見られていた類人猿化石の多くが、実は人類の直系祖先ではなく近縁種だったということが次第に明らかになってきているが、そうした近縁種が相次いで絶滅していった原因が、現生人類の祖先に殺されたか、あるいは生存領域から追い出されたため、というような話もある。残ったのはゴリラかチンパンジー程度の知能を持ったものだけで、それ以上に知的な存在は人類にとって脅威であり、したがって人類の増殖とともに滅ぼされた、なんていう仮説があるらしい。 もしも本当にそんな経緯が有史以前に潜んでいるならば、論争では結論を出し難い問題については必ず戦争で解決するという人類の特徴も、進化論的に「それ以外の戦略をとったものは滅びた」というお墨付きのある性質ということになって、こりゃなんともならんわな、ということになる。なんだかありえない話でもないような気はする。今度はこうしたあたりを調べてみたい。 そういう人類の排他的な成長の過程で、あるいは今はなき近縁種との交雑が起こったために、現在に残るような人種の別が残った、などと考えるとロマンティックではあるが、実際のところは、海面上昇などで地理的に隔絶された状態で、別々の遺伝子プールとして進化を遂げる期間が一定以上存在した、というだけのことなのだろうな。 -- 「ディジタルとアナログってなんだろう」のときに書いた煮え切らない結論が、「『「区別できない』という能力」の考え方で幾分すっきりしたものに書き換えられそうなので、余裕があったら改訂版でも書いてみようかと思っているが、あまり余裕も気力もないので、ひょっとするとまた予告倒れに終わるかもしれない。 予告倒れといえば、こういうことを書いたことがあった。 「尖閣ビデオとか」 しかしまぁ、ネットライフとリアルライフ間の軟着陸というのも、そろそろ検討しないといけないかな、という感じはする。10年前と違ってネットなんて誰でも見ますからね、もはや。タイムリミットは、ムスコ1号がGeekになるまで、というところか。このあたり、小市民がネット上で実名をどの程度使うべきかというあたりとも合わせて、近いうちに何か書くかもしれない。 で、やっぱり何も書かずにウダウダしているうちに、ちきりんが答のようなものを書いていた。 ネットのちきりん・リアルな私 - Chikirinの日記 あちらはあくまで実名と仮名は切り離して、それでいてリアルとネットの融合は進めるというアクロバットを目指しますよ、という宣言をしていた。当方はあまりそういうアイソレーション管理をする気力もないし、ネット・リアルのどちらにも守るほどの無形財産は持っていないので、まあ適当にやってりゃよろしいんじゃないでしょうか、という気分になっている。でもまあ、安敦誌をリアルライフに融合したところで誰も喜びはしない気もするので、現状のまま中二病的何かをgoogle先生の記憶空間の中に垂れ流し続けていくのだろうとは思う。隠しはしないが、といって自分からは紹介しない、という程度に。
by antonin
| 2011-02-20 01:50
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