安敦誌


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批判の作法

そろそろ薬を飲まなくては。日に何度も文章を書くというのはある種の異常なので。

--

「代案の無い批判は良くない」という詭弁に、人は騙される。ひどいと、それを信念として自らに課してみたりする人なども現れて、なんだろうなぁと思うこともある。

良くない批判が代案を持つことはないわけだが、それは単に思慮の浅い批判だからであって、逆に代案を伴う批判が思慮深いかというと、必ずしもそうとはいえない。「AならばBである」という命題には「逆」と「裏」と「対偶」がある。「良くない批判であれば、代案がない」が真だとしよう。このとき、必然的に真となるのは対偶(BでないならばAでない)である、「代案があるならば、良い批判である」だけとなる。

残る「逆」と「裏」は、必ずしも真ではない。逆(BならばAである)というのは、「代案がないならば、良くない批判である」となり、裏(AでないならばBでない)というのは「良い批判であれば、代案がある」となる。これらは、最初の命題の真偽だけからではなんとも言えない。つまり、代案がなくとも良い批判というものがあるかもしれない。代案があるというのは、良い批判にとって十分条件ではあるが必要条件ではない。

代案を考えるためには、対象となる問題についてそれなりに考察しているだろうから、したがって批判も妥当だ、というようなことは言えるかもしれない。ところが、「良くない批判であれば、代案がない」の対偶である「代案があるならば、良い批判である」というのは、現実的に考えて筋が良くない。姑息で使いものにならない代案を添えられても、それが必ずしも良い批判であるとは限らないからだ。正確にはこうなるだろう。

「良い代案があるならば、良い批判である」
したがって、
「良くない批判であれば、良い代案がない」
となる。

同時に、
「良い代案がないならば、良い批判でない」
とは言えず、
「良い批判であるならば、良い代案がある」
とも限らない。

分かりやすくプログラムで考えてみる。プログラマーがプログラムを組む。テスターがテストを実施してプログラムのバグを発見して報告する。これはプログラムに対する良い批判である。これに対し、代案というのはパッチである。ここで「代案のない批判は良い批判ではない」とすると、「パッチを提出しない奴のバグ報告は聞くに値しない」となってしまう。実際には、良いプログラマーの資質と良いテスターの資質は別のものであり、テスターのバグ報告はそれ自身に価値があり、パッチを書くのはテスターよりプログラマ自身であるほうが望ましい場合が多い。

要するに、「代案を伴わない批判は悪い批判」というのは、批判を受け付けたくない人間の詭弁に過ぎないのだが、どうもこれは当事者意識を涵養する名言として流布しているらしく、ちょっと白ける。現代の社会制度に対する丁寧な調査と問題提起をする本が出ると、「問題はわかったが、ではどうしたらいいのかが書かれていないのでがっかりした」というような書評をよく見かける。これにしても根は同じで、有効な対策立案とは独立に、良質な問題提起はそれ自身が非常に重要なものだということを理解していない人が多い。

世間には、良質の分析と問題提起の後に、場当たり的で思慮の浅い対策案を書いてしまったがために、かえってその価値を落としてしまっているような言論も見受けられる。あるいは現状を批判していたつもりが、いつの間にか有効性の怪しい自分の代案を主張するだけの人に化けてしまうような場合もある。

相手の非をあげつらうような態度の批判は相手の反発を買うので、まぁあまり建設的な経過を取りにくいが、代案が思い浮かばないから批判は控えようというような勘違いをしている人がいるとしたら、それは間違った考え方だと気づいて欲しいと思う。

もちろん、プログラムの比喩で言ったときにバグの発見者もまたプログラマーなのであれば、パッチも添えてバグ報告したほうがカッコイイのは確かではあるが。その程度のことだろうと思う。
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by antonin | 2011-06-05 04:55 | Trackback | Comments(0)
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