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ヲタクっていうのが厳密にどういう人種なのかちょっと見当がつかないが、漠然と考えると、身なりにあまり頓着しない性質の人たちなんじゃないかと思う。コスプレイヤーみたいな人たちもヲタクの範疇に入るのかもしれないけれど、あの姿で人前に出られる神経を指して、「身なりに頓着しない性質」の一種としても、そんなに外れていないと思う。そういう私自身も、あんまり髪型とか服装に頓着しない性質なので、アニメなんかにはあまり興味が続かなかったけれど、どちらかというとそちら寄りにいるのだと思う。で、もう少し掘り下げたコアの部分にヲタクがヲタクである根源が何かあって、そこから派生したものが、服装に頓着しない性質とか、特定の趣味に執着する性質とか、そういう形で外に見えてくるんだろうと思う。 その、コアの部分が何かと想像すると、おそらく、他人の気持ちを想像しにくいという特徴なのだろうと思う。別に私がここで推論しなくとも、多くの心理学者やそれに類する人たちが指摘済みなんじゃないかと思う。自閉症とかアスペルガー症候群とかいう病気があるが、あれは先天的な脳の障害なので病気の扱いになる。ただ、幼児体験として同世代の子供たちとバトルしながら育つ機会をあんまり豊富に取れないような環境で育つと、それはそれで、後天的な学習不全としてアスペルガー症候群に類似の性質を示すようになるんじゃないかと思う。特に、核家族化が進んで母子が隔離されるような都市環境だと、そういうことは結構簡単に起こるような気もしている。 身なりに頓着しないというのは、他人が自分をどう見ているかということをシミュレーションしてみる能力を持たないか、あるいはそういう習慣を持たないか、そのどちらかなのだろう。そうなると、本人さえ気にしなければどんなに地味な姿をしていてもいいし、逆に障害なく本人の希望のままに姿を飾ることもできる。なので、まったく服装に頓着しない人と、逆に常識を外れるほど奇抜な服装で外出できる人という両極端の部分に、こういう性質の人が含まれているのかもしれない。 他人が自分をどう見ているかということを意識しない人というのは、服装だけではなくて言動にもおそらくそういう部分が現れてくるだろうから、ある程度感情の予測がつく平均的な相手に対して、無難な言動よりもぶしつけな言動が多くなるだろうことは、アスペルガー症候群の診断基準からしても明らかだろう。そういうところがあって、見た目に頓着しない人が平均的な人から好かれないというのは、必ずしも見た目だけの問題ではないのだろう。 少し脱線すると、読者の多いブログを書く人というのは、おそらく読者が文章をどう読むかというところを常に意識しながら書いているのではないだろうかと思う。内容が真実や主張と一致するかはもちろん重要だけれども、それよりも読み手がどう受け取るかというのを常に考えながら表現を選んでいるだろう。一方の私のような性質だと、あんまり語弊のあることは書かないようにしているが、基本的に自分の書きたいタイミングで自分の書きたい内容を自分が読みたい文体で書いている。それが人目につけば楽しいと思うからこうして公開で書いているけれども、より多くの読者に読んでもらえるような工夫とか、そういうことは考えるのが面倒だし、実際考えていない。一時はPV欲求などもあったけれども、あんまり不特定多数の人に読まれても、その文脈のないリアクションに耐えられないということも判明したので、開き直っているというのもある。 話を少し戻すと、社会人入門のようなビジネス書の決まり文句は、必ずといっていいほど「相手にどう見えるか常に意識しなさい」というようなところを軸にして書かれていて、ヲタク体質の人間にとっては入り口からハードルが高い。平均的な人にとっては「歩くときは踵から着地するようにしなさい」というのと同じ程度に簡単な指示に感じるだろうが、ある種の人にとっては、QoSを高めるパケットルーティングを意識するとか、トラクションを安定させるクラッチ圧を意識するとか、そういうことよりもむしろ難しい指示になっている。 「空気を読めない」人には、先天的に無理な人と、後天的に苦手な人と、習慣的にできていないだけの人と、おそらくいろいろな水準があって、取るべき対応もいろいろなんだろうけれども、情報化社会というか、後期工業化社会というか、そういう局面で炙り出されてしまう性質というのが、確かにあるんじゃないかという気がする。 他人からどう見えるかを意識するといいというのは理解できるのだけれど、足腰弱いのに「階段はダッシュで上がるといいよ」というアドバイスを見ているような感じもあって、そのうち効果が現れる場合もあるのかもしれないが、ちょっとどうかなぁと思う。ただ、他人の視線を自然に想像できる人にとって、他人の視線を想像しにくい人の気持ちというものは、きっと想像しにくいだろう。なんだか非常にメンドクセー種類の話であるなぁ、と思う。
by antonin
| 2011-08-04 15:27
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Comments(9)
空気を読める人が、他人の気持ちを推し量ることも上手いかというと
必ずしもそうとは限らないと思う。 他人が辛くて落ち込んでいる時に 「元気出して!前向きに!」 などと言うケースがあるが、これは正しいけれど 残酷でもあると思います。 (病気で食べられない人に「早く元気になるように」と ムリヤリ精のつくものを食わせようとするようなものです) おっしゃる通り、めんどくさい話です。
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fazero at 2011-08-12 11:04
ひと の まーり に たちこめて いる くーき わ、 たとえば
「まめ ごはん の よーな くーき」 とか 「うめしそ ふりかけ お ぱらぱら と かけた くーき」とか 「ぎうどん」 みたいな くーき とか 「みそしる かけ ごはん」 みたいな とか いろいろ あるある 「その かいぎしつ にわ うぇるだん びーふすてーく の よーな くーき が たれこめて いた じゃじゃじゃ~ん」 とか 。。。 そーゆえば おなか へった
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antonin at 2011-08-18 13:07
コメントありがとうございます。返事サボってました。ごめんなさい。
>なふん 確かに、早いボールが飛んできたとき、バットなりラケットなりをとにかく振れる人、一応当てられる人、的確に打ち返せる人、超人的な打球を打ち返せる人、と、自然な反応が取れる人の中にもその質というのはいろいろあると思うんですが、「あ、いまのは打ち返すべき場面だったなぁ」と、後になって気付くような人というのは、やっぱり別格として存在するんじゃないかと、まぁそんな話でした。 「相手の立場に立って」考えると、いい結論になることは確かに多いんだけど、相手の立場に相手が立ってるのを想像するんじゃなくて、相手の立場に自分が立ったらという想像をして、結果として大ハズレしてる人は確かに多いですね。人間って似てるけど同じじゃないから。
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antonin at 2011-08-18 13:14
>ふぁぜろ
うまそうな空気ばかりで(笑) 「とりにく の すえた よーな くーき」とか 「くさや あぶった よーな くーき」 「しゅーるすとれみんぐ あけた よーな くーき」とか 「ほんおふぇ きった ような くーき」とか 世の中広いので、そういう修羅場が大好きな人もいるかもしれません。私は私で「なっとう まぜまぜ したよーな くーき」が好きですが。
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ふぁぜろ
at 2011-08-18 14:39
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antonin at 2011-08-26 03:47
映画なんかだとホイホイ人が気絶してますが、現実に気絶してる人って見たことないんですけど、どうなんでしょうね。立ちくらみみたいに倒れちゃうんでしょうか。
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ふぁぜろ
at 2011-08-26 17:30
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いえ、 ほか から みたら、 うごいてん ねん けど、
なかみ わ きぜつ じょーたい w
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antonin at 2011-09-09 17:03
マンガだと目が白目になる、あの状態っすね。
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fazero at 2011-09-11 14:27
あい、 いちおー きぜつ してる と わからん よーに、わろたり おじぎ したり するある w (ごはん だされたら ぱくぱく たべて おせじ とか いうしww)
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