安敦誌


つまらない話など
by antonin
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
検索
最新の記事
アキレスと亀
at 2017-05-02 15:44
受想行識亦復如是
at 2017-05-02 03:26
仲介したことはあまりないが
at 2017-04-29 03:36
サンセット・セレナード
at 2017-04-12 23:17
水分子と日本人は似ている
at 2016-06-04 01:49
ほげ
at 2015-06-05 03:46
フリーランチハンター
at 2015-04-17 01:48
アメリカのプロテスタント的な部分
at 2015-04-08 02:23
卯月惚け
at 2015-04-01 02:22
光は本当に量子なのか
at 2015-03-17 23:48
記事ランキング
タグ
(295)
(146)
(122)
(95)
(76)
(65)
(59)
(54)
(45)
(40)
(40)
(39)
(32)
(31)
(28)
(27)
(25)
(24)
(22)
(15)
最新のコメント
>>通りすがり ソ..
by Appleは超絶ブラック企業 at 01:30
>デスクトップ級スマート..
by 通りすがり at 03:27
7年前に書いた駄文が、今..
by antonin at 02:20
助かりました。古典文学の..
by サボり気味の学生さん at 19:45
Appleから金でも貰っ..
by デスクトップ級スマートフォン at 22:10
以前の記事

年のはじめの あのねのね

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

と、誰に言うでもなく。

--

年初なので特別なことでも書こうと思ったけれども、もはや日本の正月というのは子供のころに経験したようなしんとした正月ではなく気分もあまり平生と変わらないので、珍しくフルキーボードで入力できるという点のみいつもと違った感じで、適当に思いついたことでも書いていくことにしよう。

--

陸軍省と財務省は似ている。そんなことを思った。

野田政権が財務省の傀儡政権みたいな言い方をされることがあるけれども、今は財政が危険水域にある非常事態なのだから、財政のプロである財務省の意見に内閣が耳を傾けるというのはマトモな判断だと思う。基本的に菅政権が与謝野さんを引き入れたあたりからこの流れは確定路線だったので、それを野田さんが日本人向きのドジョウのような柔軟性と泥臭さで陽の当たるところに出し始めたということでしかない。

小泉さんが郵政という累代の宿敵相手に格闘していたとき、世間的な大儀として財政改革も旗印にしていたので、そのあたりの実務に竹中さんを引っ張り出した頃はまだ、国債も正攻法で何とかなる可能性をいくらか残していた。しかしその後に安倍さんが神州復活に怪気炎を上げて財政改革が一休みになったり、そうこうするうちにリーマンショックがあったりして、その後は累積国債も新規国債も安定した指数関数を描く発散路線に入ってしまった。

この段階になってようやく財務省が政治の主導権を握ったのだけれど、財務省というのは財務のプロであると同時に、財務の最高責任官庁でもあって、あからさまな財政破綻というような結末を自身で選択するという道は、あらかじめ塞がれているようなところがある。新書などでいくつかの説を読むと、日本国民が自暴自棄になって各自の仕事をぶん投げたりしない限りは、日本円の信用が底なしに低落するような事態にはならないらしい。とはいっても、やはりどこかで国と地方の「債務整理」みたいな事態は発生するのが必然らしく、公債がほぼ国内で消化されているという日本の公債構造上、そこで債権放棄を迫られるのは(その時点での)日本国民ということになる。

ものの本によると、全くの無策で残り3年、土俵際で問題先送りの粘り腰を最大限に発揮しても20年くらいで、日本の公債は「破綻」するらしい。その被害というのは、意外にも無策でドカンとやった場合が最悪で、粘りに粘った末では案外にソフトランディングに近い形に持ち込めるものらしい。まあ、頼れる奴が突然死するよりも、しばらく前からダメだダメだと言った末に息絶えるほうが、周囲の迷惑も少ないということなのだろう。で、そういう危機的状態、勝ち目は無いけれどもここまで来た以上は最大限の戦果を残して以後の交渉を優位に進めるべくプライドを掛けた負け戦をしている段階に、日本経済というのは入っているらしい。

そういう局面における責任をモロに負ったプロ集団ということで、日米開戦あたりの陸軍省と、今くらいの財務省は似通った位置づけにあるような気がした。日本軍が追い込まれた原因が欧米列強を刺激するほどの大陸利権拡張にあったとか、日本経済が追い込まれた原因が地価の過熱を止められなかった時点にあったとか、まあそういうことは言えるのかもしれない。けれどもそういうのはどうしても後知恵という面があって、国民の熱狂が冷める頃には局面がもう9割がた決しているということになりがちなのだろう。

自転車やスキーなどで空中に飛び出てからバランスを崩して、どう見ても怪我をするとわかりきっていても、なんとかダメージを最小にする姿勢を模索するときの妙な冷静さというものがあって、民主党政権を3代経験した日本国民の冷めた空気というのは、なんとなくそういうものになりつつあるんじゃないかという気がしている。

参謀本部でも、もとより負け戦だというのは戦略に通じた人ほど良く理解していて、それでも前線の士気というのは負けを意識した時点で使い物にならなくなるものでもあるので、最後の際まで「勝つぞ勝つぞ」で押し切る羽目になる。で、とうとう潮時がやってくると、中枢部は停戦を決議しなくてはいけないし、勝つぞ勝つぞで尻を叩いてきた末梢に対するけじめを付けないといけなくなる。実際には陸軍大臣が自決したりなんだかんだと物語があったようで、そのあたりは近いうちに本で読んでみようかと思う。

今の消費税増税論議も似たようなところがあって、消費税を増税することで財政破綻が回避できるというわけでもないのだが、かといって税制改革も未了の状態で財政破綻が直撃すると、「その後」が大変なことになってしまう。もちろん、国民の手前としては財政破綻を前提とした増税などというのは筋が通るはずも無く、あくまで財政の正常化を目指すという旗印を下げるわけにはいかないのだけれど、経済に通じた人ほど、それが実現不可能であるということを直視しているらしい。

まあ、とにかく具合が悪いらしいんですけれども、80年に1回くらいはそういうこともあるわいな、という気もしなくもない。願わくば東北の津波被害より小さい被害で終わるように、最善を尽くしましょう、と。

日本破綻を防ぐ2つのプラン (日経プレミアシリーズ)

小黒 一正 / 日本経済新聞出版社



決定版 日本のいちばん長い日 (文春文庫)

半藤 一利 / 文藝春秋



--

地球の丸さについて。

昔々、まだ20歳かそこらの頃、気まぐれに購入した天文手帳に載っていた天文定数表を眺めながら、アポロ探査機が月面にレーザー反射鏡を設置する以前は、どのようにして太陽までの距離を測っていたのだろう、などということを考えていた。

古代ギリシャの文化を生み出した人々は地中海貿易をする海洋民族で、地面が丸い地球と呼べるものであるということと、やはり丸い太陽が非常に遠くにあるということを経験的に知っていた。また、アレクサンドリアのエラトステネスは、シエネという町には夏至の日に井戸の底に日光が達する井戸があると知って、同じ夏至の日にアレクサンドリアの太陽南中高度を計ってみた。すると、シエネとアレクサンドリアには円の50等分角に相当する角度差があるとわかり、そこから地球の円周を25万スタディアと算出した、というような話が、理科の教科書に載っていた。

その後、ルネサンス以降のヨーロッパでは経度の等しい2地点間を精密に三角測量して子午線の長さを計るというプロジェクトが何度もあったらしく、フランス革命の余力を駆って、子午線(北極から赤道までの距離)の1千万分の1の長さを1メートルという科学的な測長単位とする、というような決定もされた。似たような感覚で、太陽系内の測長単位というのは地球の平均公転半径を1AU(天文単位)としているけれども、この1AU、つまり地球から太陽までの距離の測定方法というのが、ギリシア的な単純な方法でもなく、レーザー測距のような現代的な方法でもなく、その制定時点での手法としてはどのような方法だったのか、いろいろと考えてはみたものの、これといった結論は出なかった。

書店や図書館などで簡単に調べてもみたが、どうも直接的な回答を発見することはできなかった。そこで、当時のパソコン通信で、史実としてはどんな具合だったのかを質問してみた。史実はさておき、こういう方法だったんじゃないかという侃々諤々の議論などを経てから、プラネタリウム勤務の専門家の方から、幸いにも史実に基づく回答をしてもらえた。まずケプラーの法則から各惑星の軌道半径比率が求まっており、惑星軌道のかなり精密な定数は判明していたが、絶対的な距離だけはわからない、という状態があったという。次に、望遠鏡を使って金星、あるいは火星までの距離を三角測量し、そこから地球の軌道半径の計算に必要な定数を求め、結果として地球から太陽までの距離が求まった、ということだった。今なら検索で簡単に答えが見つかる。

参考:「暦と星のお話」より
星の距離を測る
金星の日面通過

のちには、軌道計算の済んだ小惑星の接近時にそこまでの距離を測定することで、徐々に計算精度を上げていったらしい。

で、太陽までの距離はともかく、地球が丸いということは確かに了解可能なのだと思った。現在の一人住まいは海沿いの道に面していて、海況によっては波音を聞きながら眠ることになるような距離にある。そこから太平洋を眺めると、大洋という印象に反して海は穏やかで、晴れた日には水平線がえらくクッキリと見える。もしも地面が世界の果てまで平坦だとすると、空と海を区切る水平線というのは無限のかなたにあるはずなのだが、実際に目に見える水平線というのは、あまりにもはっきりとしすぎている。地面というか海面が大きな球だとすると、水平線が近くにあってくっきりと見えることに矛盾が無くなる。

それから、港から出て行った船が、案外簡単に水平線の上に乗ってしまう。これも同じく、水平線が世界のかなたにあるとすると説明がつかない。教科書にあったように、水平線に乗った船が下から見えなくなっていくというのはまだ確認していないが、矯正視力0.7程度の私の目でも、水平線にきれいに乗った大型船を確認することができる。帆船の時代ではないので、仮に船が沈んで見えていたとしても貨物が重くて喫水が深くなった状態と区別することも難しいだろう。

そういう具合で、海沿いに暮らすと地球の丸さなども実感できるというのが面白い。大陸に1年とか、地球周回軌道に1ヶ月とか、月面に1週間とか、とにかく異質な環境で生活した経験があるというのは、その後の感覚に何かしら違いをもたらすものなんだろうなと思う。水面下に潜ることを趣味にしていた時期があって、それはそれで新しい感覚があって面白かったが、水平線の見える土地で生活したことは無かった。水平線だけでなく、この土地では月の無い夜には5等星あたりまで平気で見えたりするので、状況が許せば久しぶりに天体観測などもしてみたい。

--

宗教とか信仰とか、そういうものについても日々考えているが、あまり新しい解釈が出てきたわけでもなく、眠くなってきたのでまたいずれ。

おんぼうじしったぼだはだやみ。
[PR]
by antonin | 2012-01-02 01:42 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://antonin.exblog.jp/tb/17514748
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 財政とか また >>


フォロー中のブログ
外部リンク
外部リンク
ライフログ
ブログパーツ
Notesを使いこなす
ブログジャンル