安敦誌


つまらない話など
by antonin
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
検索
最新の記事
アキレスと亀
at 2017-05-02 15:44
受想行識亦復如是
at 2017-05-02 03:26
仲介したことはあまりないが
at 2017-04-29 03:36
サンセット・セレナード
at 2017-04-12 23:17
水分子と日本人は似ている
at 2016-06-04 01:49
ほげ
at 2015-06-05 03:46
フリーランチハンター
at 2015-04-17 01:48
アメリカのプロテスタント的な部分
at 2015-04-08 02:23
卯月惚け
at 2015-04-01 02:22
光は本当に量子なのか
at 2015-03-17 23:48
記事ランキング
タグ
(295)
(146)
(122)
(95)
(76)
(65)
(59)
(54)
(45)
(40)
(40)
(39)
(32)
(31)
(28)
(27)
(25)
(24)
(22)
(15)
最新のコメント
>>通りすがり ソ..
by Appleは超絶ブラック企業 at 01:30
>デスクトップ級スマート..
by 通りすがり at 03:27
7年前に書いた駄文が、今..
by antonin at 02:20
助かりました。古典文学の..
by サボり気味の学生さん at 19:45
Appleから金でも貰っ..
by デスクトップ級スマートフォン at 22:10
以前の記事

マジョリティ・リポート

はるかぜちゃん云々、JAL機に乗り合わせた赤ちゃん云々。子供や赤ちゃんに対して、優しさで接する人が多数でいくらか安心するのだけれども、そういうものにどうにも我慢ならない人や、怒りではなく冷静な意見として子供や赤ちゃんは公共の場に出てくるべきでないと唱える人もいて、モヤモヤとしたものが残る。

この傾向、この先どんどんと加速していくに違いない。

赤ちゃんが泣くのは当然で、泣き止ませることができないのも当然。これは誰もが理解している。これに対して、周囲の人が赤ちゃんの親の事情を慮って場の快適さを犠牲にするのか、赤ちゃんの親が公共の場の快適さを慮って個人的事情を犠牲にするのか、そういうところで意見が分かれているように見える。この部分は、明確な答えはないだろう。ただ、一度育児の大変さを経験した大人というのは、多くが赤ちゃんを抱える親に同情する方へと流れる。

赤ちゃんは痛かったり寒かったり喉が渇いたり、あるいは慣れない環境で眠れずにいるだけのことで泣いたりする。これは生物として未熟なためで、仕方がない。いずれ成長すれば解決する問題である。子供を持つ親の事情が理解できない人というのもこれに似て、子供の面倒を見た経験のない人には想像の付かない苦労でもあるから、経験の未熟によって状況が理解できない段階があるというのも避けれられない問題であり、言葉で説明して理解できる性質のものでもない。これは親の側も辛抱が必要となる。

ただ日本ではすでに、ほとんどの人がいずれ親になるという社会ではなくなった。社会が誰の子とも区別せずに地域共同体で子育てし、自分が子供を作らなくても子育ての経験なら共有できる社会でもなくなった。核家族化社会の中で、子持ちの大人は少数派に転落している。本当の子育ての苦労を知らない人が既に多数派であり、子育てを経験しないまま社会的に重要なポストを占める人がこれからますます増えていく。少数派である子持ちの親は多数派に配慮し、郷に入りて郷に従う必然性が高まっている。

私は赤血球型がABなのでよく感じるけれども、酒や食事を取りながらの軽口のたぐいである血液型性格判断でさえ、A型4割、O型3割、B型2割、AB型1割という序列の中で、A型は几帳面で真面目、O型はおおらかで寛容、B型は自己主張が強くマイペース、AB型は二重人格で変人と、少数になるほど扱いが悪くなる。このあたりは笑って済ませる範囲だけれども、逆に言うと、こんなところにまで少数派の置かれる立場というものが如実に現れてしまう。過去の社会で子供を持たない人の置かれた立場を想像すると恐ろしくなる。

子供は泣くし騒ぐし、何かというと走るし余計なことをして物は壊すし、挙句に自分でしたことの始末も十分にできない。その上働きもしないのに教育だなんだで税金をたくさん使う。大人に対する物差しをそのまま当てて考えれば、非常に迷惑な連中である。自分の子でも親戚の子でもいいけれど、身近な子供の面倒を見た経験がないと、子供という、この凶暴な生物の存在を、なかなか感情的に受け入れることは難しいだろう。

だから、もう既に起こってしまった未来として、子持ちの親はこれからますます肩身が狭くなっていく。正直、この傾向に抗うことはできないだろうと観念もしている。東京というのは全国平均よりもさらに少子化傾向の進んだ社会なので、子供を3人も育てるとそういう空気というものを痛いほど感じてきた。たまたま居合わせた人に助けてもらったりして感謝する場面も少なくないのだけれど、それは海外旅行先で同郷人に助けられたような安堵であって、どちらかというと例外事象に近づきつつある。


人の晩年と死を看取る経験がもっと豊富にあれば、宗教の本来の意味を知るのがもう少し早かったのかな、などとも思うけれども、僧職の世襲などというむごいことをして既に400年以上にもなるので、いろいろと仕方がないよなぁ、などとも思う。あの世というのは /dev/null に似て、馬鹿正直に無いものを無いよと言うと具合の悪い場面のために、仮にあるものと信じておきましょうというライフハックだったのだろうと思う。

自分の怒りを鎮めて他人の事情を思いやるには、脳の過程をある程度ソフトウェア的に制御してやる必要があって、その技術を脳の外部に書き出すと神になったり仏になったりするのだろうと、今では思っている。信じやすい性質の人を騙して操る技術ではなくて、自分の中の爬虫類的な脳の構造を新皮質側からコントロールする技術体系としての説教というのが、日常から失せて久しい。

「覚悟する」というのと「諦める」というのはどちらも、本来は同じものを指している言葉なのだけれど、今ではまるで正反対のような意味に使われていて、説教というのはなんだか難しいものだなと思う。つまりは「そういうものであると知る」という事なのだけれども、少数派として育児をしていくしかないと知ることは、覚悟なのか、諦めなのか、どちらなのだろう。
[PR]
by antonin | 2012-11-20 21:46 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://antonin.exblog.jp/tb/19532450
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< ヨタ話 必要悪としての正義 >>


フォロー中のブログ
外部リンク
外部リンク
ライフログ
ブログパーツ
Notesを使いこなす
ブログジャンル