安敦誌


つまらない話など
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「簡単なこと」ほど難しいことはない(補)

こういうのを書いた。

「簡単なこと」ほど難しいことはない : 安敦誌

深夜というか未明というか、そういう時間帯だったので面倒でグダグダになったので、もう少し補足を。

もしある人になんらかの理由があって、普通の人にとって「簡単なこと」とされていることができない場合、それは「難しいこと」とされている場合に比べて、ずっと難しい立場に立たされる。そなことが言いたかった。

まず、普通の人にとっても難しいことというのは、できなくても恥ずかしいことではないし、異常なことでもないから、仮にできなかったり苦手だったりしても、普通の人もそれを理解してくれる。また、難しいと感じる人が多く存在するから、難しいけれどもなんとかうまくやる方法なんていうのをどこかの誰かが懇切丁寧に教えてくれる本や教室があったりもする。

そういう具合で、世間で難しいとされていることができなくても、案外なんとかなる。難しいのはその逆で、世間では簡単とされていること、あるいはできて当然とされていること、あるいは、そういう能力があると気づかないほど自然にできてしまうようなことなどが、もし何かの理由のために、全くできなかったり、できるにしても大変な苦労が必要だったりする場合、その人は非常に苦労するハメになる。

理由の方も難しいことが実は易しい理由の反対で、普通の人にとって簡単なことというのは、できないと恥ずかしいことや変なこととされている場合がある。口うるさい人たちの警告に従ってあからさまには口に出さなくても、本音では変だと思っていたりする。そして、そんなことはできて当然なので、できない場合にどうしたらできるようになるか、あるいはどうしたら少しでも楽にできるようになるかということを教えてくれるような、本も売っていないし教室も開いていない。

そういう中で、簡単なことだからと誰もがそれを当然できるものとして社会が構成されていく。例えば、複数のタスクを同時並行に処理しながら進めていくのは、多くの人にとってそれほど難しいことではない。そういう複数タスクの同時進行ができれば仕事の能率が上がるので、時間要求の厳しいビジネスの現場ではこういうスキルが誰に対しても要求される。けれども、作業に熱中すると気づかないうちに日が暮れてしまうよなタイプの人も世の中にはいて、そういう人はビジネスという枠からこぼれ落ちていくことになる。

簡単なことには、本当に簡単なことと、できる人が多数であるというだけで、実は途方もなく難しいことという2種類がある。そして、生命の神秘のワザと言うのか、人間社会で要求される基本能力というのは、大半が後者の、実は途方もなく難しい部類に入るように思う。二足歩行なんていうのはその最たるもので、ロボットのあのぎこちない歩き方をみれば、普通に歩くというのがどれほど高度な技能かということがわかる。

でも、赤ん坊は歩けないし、老人も杖を突くし、事故で歩けなくなる人もある。だから、歩くことが実は難しいということは、簡単とされる事柄の中では、まだ理解されやすい方の部類に入るだろう。

簡単と思われていて、でも実は難しいということはたくさんあるだろうけれども、情報革命後の時代に急激に顕在化してきたのは、情報処理をする内臓、脳の性能に関する作業能力だろう。理解力や判断力に関する性質のうち、数値やマルバツにして簡単に測定できないような能力で、暗黙的に最低基準がどんどんと作られていく。そういう最低基準をクリアできない人たちが、結局のところ、淘汰されて死んでいく。

淘汰といったけれども、ビジネス社会から脱落して自殺する人なんていうのはいかにも競争原理によって淘汰されたようなイメージがある。けれども、より原則的に進化論を適用すると、淘汰を生き残るということは、長生きすることではなく、遺伝子の一部を遺すというところにある。なので、子供を残して自殺する人は、実は淘汰を生き残っており、多くの財を残したが子を残さずに死んだ人は、純粋なダーウィニズムからすると淘汰された個体ということになる。

ただし人間は遺伝情報だけで生きているわけではなく、そもそも地球に生きる数十億人の人間の間で、遺伝子の構成要素にそう大きな違いがあるわけではない。人間の中だけで比べれば、どういう遺伝子を持っているかというよりは、どういう教育を受けたかという、ハードウェアよりはソフトウェアの性能の違いがモノを言うから、ゲノムよりはミームを多く拡散した人のほうが、淘汰を勝ち残った個体という言い方のほうが実情に合っているだろう。

脱線したけれども、とにかく現代というのは、肉体を司る遺伝子の優劣よりも脳を動かす教育の優劣のほうが、生きていく上で重要という時代になっている。けれども、生まれつき速く走るのに適した体型というのはありそうだし、生まれつき山登りに強そうな体型というのもありそうだ。同じように神経系の働きにもいろいろの生まれついたクセがあり、それぞれに長所短所があるだろう。そういう短所が「簡単なこと」に大きく影響してしまった場合、それは難しいことができないという場合よりも、ずっと厄介な結果になる。

私の家系には、そういう厄介な遺伝子が濃厚に堆積していて、父を見ても、母を見ても、かなり厄介な感じであり、自分自身を振り返ってみても、やはりそうだった。そして、コドモたちも当然その傾向が高い。特に上の二人はかなり厄介だ。一番上のムスメと、二番目のムスコ1号は、それぞれに全く違う性格をしているのだが、しかしそれぞれに厄介を抱えている。

好き嫌いが激しくて好きなものを目の前にすると他のことが見えなくなるだとか、ついさっき見たり聞いたりしたことでも覚えていられないだとか、そういう性質が強い。もちろんそれが長所として生きる分野というのはあるのだけれども、そういう長所が短所を補って余りあるような社会環境というのは、残念ながら日本国内には少ない。海外ならどこにでも楽園があるかというともちろんそんなわけはないけれども、まあ、列島の中だけを見て絶望しない程度には広い視野を持たせてやりたいな、などという程度のことは考えている。
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by antonin | 2013-03-06 00:05 | Trackback | Comments(5)
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Commented by tel at 2013-03-06 18:56 x
>社会システムのパフォーマンスに悪影響を与える平等は、標準個体にとっては
>全くの害悪に見えるが、辺縁個体にとっては自己の生存可能性を高める支柱

この話から補足で遺伝子の話に持ってくあたり、君も20年前から変わらんな(笑)

ま、ただ、実はそれほど単純な話で無くて、例えば、社会学で言われる「社会的包摂(Social Inclusion)」について書かれた文献を読んでると、標準個体が周辺個体を包摂することで結果的に「社会全体のポテンシャルを上げる、というような事も言われています。逆に「社会的排除」は社会全体のポテンシャルを下げる。

なので、「社会システムのパフォーマンスに悪影響を与える平等」ってのは、周辺個体の生存可能性を高める支柱であるだけでなく、、標準個体の生存可能性を高める支柱でもある、と。
Commented by tel at 2013-03-06 18:56 x
簡単な事なのにできない人って確かに多いですね。ただ、できないなりの理由はどこかにあるわけで、勝手に脱落してもらうのは簡単なんですけど、なるべくなら脱落させないで、受け入れる。実はそうする事で、回りまわってみんながハッピーになれる。「なんだか悠長な話だなあ」と自分でも思うんですが、最近はそういう落とし所でもいいかなと思うようになってきました。

なかなか一言ではズバっと言えないんですが、無理に端折って言えば「多様性や格差やマイノリティに対するバッファをどれだけ持てるか」って事を現代社会はもろに問われている、と私は思ってます。

最近、古典落語を聞くんですよね。あれは人間の愚かさとか業を肯定し包摂する文化だと思う。だから、困った人がたくさん出てくる割に、全体的に調和しているのです。そういうのって悪くないよね、と思ったりします。
Commented by antonin at 2013-03-08 01:05
>tel

コメントどうも。
読んだけど、今日はこれから書類書かなきゃいけないのにアタマイタイのでまた改めて。
Commented by antonin at 2013-03-10 16:40
つづき。

社会的包摂の云々ってのはあれかな、働き者のアリは常に20%とかそういうのかな。社会学は数ヶ月から数十年のスパンを見ていて、遺伝学は数万年のスパンを見ているから、原理が違うといえば違うし、社会学的な観点のほうが直接的な気はするが、なんか社会学ってつかみどころがないんだよな。

で、バッファという言葉が出たけれども、さかなくんが言うように、群生する生物は普段から生息密度が高いけれど、密度を高くし過ぎると弱い個体に対する「いじめ」みたいな現象が発生するらしい。人間の歴史を見ても、戦争や謀反の直前には飢饉とかそういうのが起こっている場合が多い。

バッファというか余裕があれば社会的包摂はプラスになるんだろうけれども、飢饉や不景気のときには、結局そんな余裕なんてなくなるんじゃなかろうか、現代社会と言えども余裕がなくなれば結局個々の生存を賭けた競争という露骨なところに落ち着かざるをえないんじゃないか、そんな感じなんですがねぇ。
Commented by antonin at 2013-03-10 16:51
落語も当時は今の「お笑い」と似たポジションにあったと思うので、結局は聞く人々の気分を抽出したようなもんだったんだろうと思います。

今は芸能人が学校の試験問題みたいなのを解いて競い合うような番組が受けている。ということは、大衆の側にそういう気分があるということなんでしょう。

で、古典落語には江戸時代の庶民の気分が反映していて、そこら辺に漂っている「甘さ」みたいなものの根底にあるのが、室町期に地味に大衆化していた仏教の影響なんだろうと、個人的には思ってます。武家の定める規律の几帳面さに対する面倒臭さみたいな気分もあったかもしれないけど。
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