安敦誌


つまらない話など
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私は忘れたい

あまりに退屈なので、花粉症の薬を飲み始める頃から少しだけ処方を戻してみた。吉と出るか凶と出るか。花粉症の薬との相乗効果なのか、睡眠の具合はあまり良くない。

--

「知っている」と「わかっている」の違いが既存の知識とのネットワーク化にあって、「知っている」のは単独の知識、それが周囲にある既存の知識や概念と「なぜ」というリンクで結節して、知識の想起が連想の数段階で扁桃体かどこかを刺激して、快と不快の情動に到達できるようになった時点で「わかっている」知識になる、みたいなことも書こうと思っていたんだけど、勢いで流れてしまった。まあいいや。若さの無駄遣いの話もあれでは不十分だし、惚れるパワーみたいなものについてはまた別の議論だし。それに、あの本の力は「簡単はパワーだ」みたいな部分もあるし。話を複雑にしてしまっては元も子もない。

--

震災についても書いたけど、やっぱりグダグダしたので一度消した。要約すると、「忘れない」とか言ってないで、そろそろ少しづつ忘れていこうよ、ということになる。悲惨な記憶は、当事者ならどうやったって忘れない。それを少しでも緩和するのは、結局は生活の安定感、豊かさだと思う。生活保護でパチンコ打っても全然OKだし、震災太りと言われて叩かれるぐらいでちょうどいいので、被災者の皆さんは国の金を使ってどんどん豊かになってほしい。彼らにはその権利がきっとある。

だいいち、「忘れない」とか言い出すのは忘れ始めたのを自覚した傍観者の取り繕いみたいなところがあるのだし、むしろ2年も経てば忘れるのが正常だ。被災地がいつまでも被災地然としているのが問題なんであって、そんなものとっとと復興させて、やっぱり日本スゲーとか言わせて、後ろめたさなくすっかり忘れてしまおうよ。防災の教訓とかそういうのはまた別の問題として。

死んだ人の言行というのは、生きている人の記憶に残っていて、ふとした瞬間にそれは動き出す。それを比喩的に言うと死後の霊魂になる。記憶の中にある死者が微笑んでいればその霊は天国にあるのだし、それが怒りや恨みや悲しみの形相なら地獄にいる。完全に忘れてしまえば極楽浄土にいる。そして、記憶の中の像が良い感情なのか悪い感情なのかは、生きている人の精神状態を反映する。

つらい記憶を忘れないためには「臥薪嘗胆」が一番利く。物理的あるいは精神的にひどい状態に人を置けばいい。でもそんな「忘れない」は嫌だ。物理的にも精神的にも幸せに過ごして、故人への後ろめたさより感謝や温かい記憶が沸き起こるような状況を作るべきだし、追悼とか供養とかいう儀式はこの世に残された人の心理を和らげるのが本義でもある。つらい記憶を思い出して涙を流すと、脳内にリラックスを促す物質が流れる。それによってつらい記憶が緩和される。むしろ忘れるために、ときどきはっきりと思い出そう。それでいいじゃないかという気がする。

悲惨な経験を忘れない、なんて言ってみても、120年もすれば人は死に絶える。関ヶ原までの数十年、戦乱のつらい時代の記憶を忘れない、なんていう人はもういない。どんなに頑張ったって、あの震災を知らない世代は生まれる。自分で経験した人は、完全に忘れようったって忘れられるわけがないし、経験していない人は、忘れないっていう前に体感として知りようがない。

津波で肉親や友人を失っていないし、放射能に故郷を追われたりもしていない身からすれば、震災の被害に対して今できることはといえば、徐々に高くなる税金をきっちり払うとか、徐々に高くなる電気代をきっちり払うとか、そういう充実感も達成感も連帯感も得られない、嫌になるほど地味なことしかないような気がしている。

この種の貢献にある、おそらくは復興に一役買ってはいるのだろうけれども全然実感が無い、という性質は、被災地の人達が全国の人達の負担で助けられているという時に、それに対して負い目を感じずに、システマティックに淡々と補助を受けられることの裏返しなんだろうし、それはそれでいいことなんだろうと思う。

東日本大震災。私は早く忘れたい。つらい人には特に早く忘れてほしい。まだ難しいとは思うけれども。

おんあみりたていぜいからうん
おんあみりたていぜいからうん
おんあみりたていぜいからうん

おんかかかびさんまえいそわか

--

そういえば、今年は昭和88年。12年後、無事生きていたら何を思うんだろうか。
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by antonin | 2013-03-13 01:58 | Trackback | Comments(0)
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