by antonin
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明治に描かれた欧米のポンチ絵を見ると、擬人化された世界各国が国際政治ゲームを繰り広げているという図をいくつも見かける。その中でも、オスマントルコ、中国、日本などは、エキゾチックではあるが主要なキャラクターとして頻繁に登場している。 擬人化された中国というのは、しばらくは清国のイメージで、女真族の伝統を引き継ぐ清朝の衣装を着て辮髪を下げている。トルコはあのトルコ帽子をかぶって、多少近代化した軍装をしている。一方、日本というのは20世紀に入ってもだいたいチョンマゲに羽織袴という武士の格好をしている。あまりにもわかりやすいアイコンであり、便利に使われていたのだろう。 で、このチョンマゲという髪型が、随分と不自然なヘアスタイルだなと、子供の頃はずっと考えていた。時代劇に登場する役人も町人も、頭頂部は髪を生やさない月代になっていて、その部分はおそらく剃刀で髪を剃り落としたのであろう、青黒い色をしている。なんでわざわざそんなことをしていたのだろうと、不思議に思っていた。外観のスタイルというものにあまり合理的な理由を探しても良い答えは出てこないだろうという気はしつつも、ここ数年、ちょっと考えている仮説がある。 少し話が戻るが、ある時期に勤めていた職場で、上司というか先輩というか同僚というか、そういう人がいて、その人は仕事に厳しい人だった。性格としては基本的に穏やかな人ではあるのだが、仕事の要所に関しては容赦なく、自他に対して全く厳しい。その人は30代で頭頂部があらかた禿ており、普段はほぼ剃り上げた姿をさらけ出していたが、通勤中はニット帽をかぶっていた。またしばらくして、別の職場で年下の同僚から仕事を引き継ぐ機会があったのだが、その同僚もまた、性格として基本的に穏やかな人ではあるのだが、仕事の要所に関しては容赦なく厳しい人であり、また20代後半にして頭頂部までしっかりと禿げ上がっていた。 親しく接した人についてはこの2例だけだったが、間接的に見聞きした人の中にも、人格は穏やかなのだが仕事に対しては細部まで非常に厳しく、そして若ハゲという人を何人か見てきた。そして、彼らの性格の中に同居する、人間的な優しさと仕事に対する(私などから見ると異常なまでの)厳しさというのが、不思議に感じられた。そしてそういう不思議な感覚は、いつも彼らのハゲ頭のイメージを伴っていた。 武士道、というのがある。これは一種の哲学であり、文化であり、少しだけ宗教にも似ている。ある時ふと、武士道を形成したのはこういう姿と性格を持った人たちなのではないかと思いついた。室町期から江戸期にわたって、日本の政治というのは武家が支配したが、そういう人たちはかなり限定された血筋を持っている。もちろん、戦国期前後に活躍した大名には、源平だけではなく多くの地方豪族が含まれているので、その血筋が均一ということはなかった。が、結局最後に戦争に勝って支配階級に就いたのは、ある程度源氏と近縁の人々であり、彼らの血筋というのは、生粋の天皇家や公家の血筋とも、征夷大将軍の征伐対象であるアイヌや縄文系の血筋とも、かなり異なっている。 チョンマゲがどこから来たのかというと、昔から倭国には頭の両側に髷を結う習慣があったということが、出土する埴輪などから明らかで、大筋ではこのあたりが源流になるのだろう。ただ、直接の起源としては、遣隋使や遣唐使の後に日本が大陸の政治と文化を参照したあたりの時代に定着した、頭頂部でマゲを結い、そこに烏帽子なり冠なりをカンザシで留めるという、当時の大陸の王朝文化に由来するスタイルになるだろう。そしてこのスタイルを頭頂部が禿げ上がった人がすることになると、自然にチョンマゲのような髪型が出来上がるのではないか。そういうことを思った。 そして、チョンマゲを結った人たちが戦争に勝利し、政権を樹立すると、清朝に征服された大陸の人々が辮髪を強制されたように、チョンマゲの主君を頂く日本の武家たちも、強制されると言うよりは日本的に空気を読むという形式だったにせよ、フォーマルな髪型としてチョンマゲを選択していったのではないか。世間で主流の解釈では、合戦で使う兜の中で蒸れないように剃ったのだというが、それだと側頭部と後頭部だけを残した理由がわかりにくいし、重い兜を載せるにはむしろクッション代わりに髪が乗っていたほうが良いように思う。まあ、本当のところはわからないけれども。 鉄道が敷かれ四民平等が成立するようになってからの日本では、地域や職業などと遺伝的特徴の相関はそれほど強くはないと思うし、そもそも戦国期が終わって大名の領地が激しく入れ替えられたあとでは、祖先から引き継いだ遺伝的傾向と地域や職業の相関は徐々に低下を始めていたのだろうと思う。しかし、明治維新以前は社会階層や身分が婚姻関係に与える影響は強かったから、特定の社会階層の中には、古い時代の特定部族出身者の遺伝子が色濃く残っていた可能性はある。 つまり、日本の武家文化というのは、たまたま戦争で勝利した家系がもともと持っていた、集団的な性格の傾向を色濃く反映しているのではないかと思った。そしてその性格傾向に付随して、若ハゲという体質も伝わっていたのではないかという仮説も持った。遺伝的形質が性格と相関するというのは血液型性格診断と同じことを主張しており、ABO式の血液型と性格の因果関係が科学的に否定されている現在では、この手の主張はちょっと危うい。 ちょっと話は脇道に逸れる。「遺伝的因果関係」という意味では、赤血球のABO型と性格の関係は否定されている。一方で、日本人に限定すれば、赤血球のABO型とアンケートによる自己性格認識は、実は相関が検出されている。ただしこれは、遺伝的な影響ではなく、血液型性格診断がもはや文化的に定着してしまった日本では、人々が社会文化から心理的な暗示を受けながら成長したことが原因だろうと言われている。つまり、遺伝的にではなく文化的に、日本人の性格は血液型の影響を受けている。なので、日本育ちの人に限れば、血液型性格判断はある程度の確率で正しい結果を出しうる。 赤血球の凝固抗体の分類に関しては、性格と直接の相関関係がないことがわかっているのだが、ありとあらゆる全ての形質が性格と相関がないのかというと、そうこともないだろう。人間の細胞には23対の染色体があるが、減数分裂で生殖細胞が作られるとき、同一染色体に含まれる1対2個の遺伝子のうちのどちらかがひとつの生殖細胞に渡される。同一染色体の中では2本のDNA鎖にある遺伝子の乗り換えが結構な確率で発生するらしいのだが、異なる染色体との間で遺伝子の交換が行われることはまず起こらない。すると、若ハゲを司る遺伝子と、(そんなものが実在するのかどうかわからないが)仕事に対する厳しさを司る遺伝子が同一染色体に乗っていれば、それらがセットになって遺伝する確率は高い。 赤血球凝固因子と性格因子は相関がなかったが、若ハゲの因子と仕事に対する厳格さを支える性格の因子は、何番目かの染色体に乗って強い相関をもって遺伝されているのではないかと、ちょっと無謀な推測をしている。そしてそれは上級武士の家系に色濃く堆積し、幕府の崩壊とともに社会のいろいろのところに「悩める上級武士の末裔」として生活しているのではないか、なんていうことを考えた。 ある人の見た目と性格の相関というのは、骨相学や人相学という現代的には信用されない古い時代の学問として存在している。私も人相学などをまるまま信用したりはしないが、凝りすぎてウソだらけになってしまった人相学の中に、実は正しい判断要素が紛れ込んでいるのではないか、というようなことも考えている。そしてそのひとつに「福耳」があるのではないか、とも思っている。 もともとはお釈迦さんの耳たぶが長かったという伝説があるのだけれど、それとは別に、日本人の数%には耳たぶが前方に向かって折れ曲がっている形質が遺伝している。そして経験的に、そういう耳たぶをした人というのは押しなべて性格が朗らかで、恨みを根に持つようなところがないという印象がある。菩薩顔で有名なフィギュアスケート選手の浅田真央さんもそういう耳をしているし、またそういう性格のようにも見える。うちのムスコ2号もそういう耳をしていて、気難しい上2人のコドモに比べるとかなり朗らかな性格をしている。 そういうことがあって、ある特定の外見的形質と、ある特定の性格に影響する中枢神経系あるいは内分泌系の形質が、一定以上の相関を持って特定の人々に遺伝しているのではないか、などということを考えていた。ある時代の日本文化を作っていたのは、多くの経路から日本列島に渡ってきた諸部族の中で、ある特定の血筋を持った部族による支配の歴史だったのではないか。私個人にはちょっと窮屈な「日本人らしい」特質というのは、彼らの先天的な性格にマッチしたものだったのではないか。だいたいそんなことを考えていた。 これまで生きてきた中で、「オレって日本人に向いてないな」と思うことは多々あった。でも日本人以外の何かが向いているのかと自分に問うと、そういう答えも出てこない。ただ、父と同じ四国の出である空海という人の思想は、どうも自分自身の性格に優しいような気がしていた。だから、重層化した日本文化を層別して、武家の文化ではなく真言宗の文化を手繰っていくと、そこには自分の遺伝子にもいくらかマッチする日本文化があるんじゃないか。ある頃はそういうことばかり考えていた。 江戸時代には自分の先天的な性格とマッチした社会文化があって、その中で能力全開で生きてきた若ハゲ家系の男たちが、愛と平和と平等のぬるい現代を生きるのは難しいだろう、悩みも多いだろうという気がする。そういう苦悩を「考える生き方」にも少しだけ見た気がしたのだが、考え過ぎのような気もする。遺伝子と脳の科学が進歩していくと、こういうあたりも解明される日が来るのだろうか。待ち遠しいような、見たくもないような。
by antonin
| 2013-05-01 11:37
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