by antonin
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サウジアラビアとイラクとカスピ海周辺の油田はまだ生きているけれども、その他の弱小油田はもうコスト的に合わなくなりつつある。今はエネルギー需要が強いからまだ成立しているけれど、需要が落ち着いたりしてしまうと、良質の油井以外はコスト的な面で廃坑に追い込まれる可能性が出てきている。 そういう意味で、20世紀の人たちが予想したとおり、石油は枯渇しつつある。ただ、需要が高いうちはカネさえ掛ければ採取はできるので、一見して枯渇しているようには見えない。そもそも、メタンハイドレートなんてのは、そりゃ取れれば燃えるけれど、コスト的に見て石油の比ではないし燃料としての価値はないと思われていた資源なので、これが有用視される状況自体が、石油が需要を満たせなくなってきている確かな証拠という言い方もできる。 石炭は別に枯渇していないのに石油にエネルギー源の座を奪われた。なぜかというと、採取するにも消費するにも、液体である石油というのはコストが安かったからだ。そして今や石油もかなり高コストになってきており、他の資源のコストパフォーマンスに急速に追いつかれつつある。一口に石油が採れると言っても、その質は千差万別で、穴を掘れば勝手に自噴する良質な油井もあれば、砂に含まれた原油を水圧で押してやってようやく採れる油井もある。また、採れる原油の不純物比率などもいろいろと個性がある。硫黄やベンゼン環を多く含む原油では、例えば乗用車の燃料にするには高度な精製が必要になり、一段の高コスト化を招く場合もある。 サウジアラビアなどの良質な油田はまだ最低100年は保つだろうが、他の「ギリギリの油田」は、どこかの時点でプッツリと不採算の海に沈む可能性が高い。石油も単なるエネルギー源から有機物原料資源へとシフトしていく可能性がある。 石油は化石資源なので、使い果たすと再生には数億年を要する。けれども、その炭素の出どころはどこかというと、かつて地球上にあった二酸化炭素を植物性プランクトンが固定化して、その死骸とともに海底に沈んだものである。その総量というのは、炭素を剥ぎ取られて残った酸素の量でだいたい推し量ることができる。地球の大気の20%は酸素なので、それを燃やし尽くすぐらいの炭素は、地球表面近くのどこかには必ず眠っている。一方、大気中の二酸化炭素は0.04%とかそういう水準でしかなく、それを生存の必須資源としている植物にとっては、大気の0.98%を占めるアルゴンよりもはるかに希少な資源と言える。 もちろん、20%の酸素を燃やし尽くしてしまっては、ほとんどすべての動物が死滅してしまうし、人間も例外ではない。けれども、炭素循環から外れ海底への沈降によって死蔵される炭素のロスに苦しんできた植物相にとっては、人類というのはその炭素資源を再び生物圏に吹き込んでくれた、長年待ち望まれてきた救世主的な存在とも言える。もちろんそれは進化論的な長い時間スパンで考えた時の話であって、あんまり短期間に炭素循環のルールを変えてしまうと、精妙な生命圏のバランスを崩してしまって肝心の人類が絶滅してしまう可能性も、ゼロではない。 人類の運命はともかく、そういう炭素循環から外れて長く経過したものが石油や石炭であり、もっと最近のものがメタンハイドレートということになる。石油や石炭は再生資源とはいえないが、メタンハイドレートはというと、ある程度の消費量であれば海底に堆積するマリンスノーの分解速度と均衡する再生資源となる可能性もある。 そういう道筋があって、次第に人類のエネルギー源に占める石油の割合というのは低下していくだろう。地球規模の資源の枯渇というのは、あるとき突然プッツリと消えるのではなく、今現在私達が見ているような形で、緩慢に消えていく。私達が日々ニュースで眺めているのが、まさに石油が枯渇しつつある場面なのだが、多くの人はそれにまだ気付いていない。 今もまだSLが現役で走っているのと同じように、まだまだ石油は残るだろう。一方で、徐々に別のエネルギーに道を譲っていくのをこれから目にすることになるのだと思う。どちらにせよ、その移行はパニック的に起こるものではない。隕石が衝突してアラビア半島がなくなったりでもしない限りは。
by antonin
| 2013-05-20 02:29
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