安敦誌


つまらない話など
by antonin
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
検索
最新の記事
アキレスと亀
at 2017-05-02 15:44
受想行識亦復如是
at 2017-05-02 03:26
仲介したことはあまりないが
at 2017-04-29 03:36
サンセット・セレナード
at 2017-04-12 23:17
水分子と日本人は似ている
at 2016-06-04 01:49
ほげ
at 2015-06-05 03:46
フリーランチハンター
at 2015-04-17 01:48
アメリカのプロテスタント的な部分
at 2015-04-08 02:23
卯月惚け
at 2015-04-01 02:22
光は本当に量子なのか
at 2015-03-17 23:48
記事ランキング
タグ
(295)
(146)
(122)
(95)
(76)
(65)
(59)
(54)
(45)
(40)
(40)
(39)
(32)
(31)
(28)
(27)
(25)
(24)
(22)
(15)
最新のコメント
>>通りすがり ソ..
by Appleは超絶ブラック企業 at 01:30
>デスクトップ級スマート..
by 通りすがり at 03:27
7年前に書いた駄文が、今..
by antonin at 02:20
助かりました。古典文学の..
by サボり気味の学生さん at 19:45
Appleから金でも貰っ..
by デスクトップ級スマートフォン at 22:10
以前の記事

文藝春秋に「現代の名文」なんていう特集がある。私は文学の人ではないので名文なんてものには美人の化粧に対する程度の関心しかないのだけれど、まあ面白いので読んでいる。

で、宮城谷昌光さんが川端康成さんの名文について書いている。そこに、こういう文章が出てくる。

  国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

 この文は、そもそも変である。そうではないか。著者の川端康成は外国を旅行しているわけではない。それなのに、国境、ということばをつかっている。日本国内に国境はないのである。

いやいや、そこは「コッキョウ」じゃなくて、「くにざかい」ですよね、日本「全国」というときのアレでして、日本国内にも「くにざかい」はいっぱいあるんです。とくに、トンネルが掘られるような険しい山の稜線沿いなんかに、それが引かれることは多いのであります。私が住んでいるのは東京都だけれど、ここは「下総国」であり、都心は「武蔵国」なんです。「カソウコク」と「ブゾウコク」という独立国家の国境が川の中ほどにあるわけではなくて、かつて用いられていた「しもうさのくに」と「むさしのくに」という地域区分の境界を現在でも「くにざかい」と称して慣用的に用いることもあるのです。

が、この文章の論旨は「名文とは極限まで削られたものである」というあたりであって、スティーブ・ジョブズの美学と似たようなものを川端さんが述べていたというところにある。なので、別に雪国の冒頭の文章が変だとしていても、特段問題はない。けれども、著名な作家がこういうことを書いていて、彼が「変だ」といっているその意見を、私が「いや、その解釈のほうが変ですよ」と指摘できる。この、指摘できるということに、私は浮かれている。これはとても下品な感情だと思う。

いや、若いうちはそういうのって楽しいし勉強になるので良いと思うところもある。が、いい加減中年男になったら、こういう指摘をしてホクホクするのは品性下劣なんじゃなかろうか。最近になって、徐々にそういうことを思うようになった。もちろん建設的な指摘ってのはあると思うし、EPR論文みたいに練りに練られたツッコミというのは新たな世界を切り拓いたりする。けれども、単純な無知や勘違いから来る主張を、しかも本人から遠い所で突っ込むのは、あるいは若い人の仕事であって、これから自分も徐々に世界が見えなくなっていく中高年の仕事じゃないんじゃないか。そういうことを思うようになった。

放射線に関する「閾値なし線形仮説」ってのがあって、あれは、ある意味正しく、ある意味間違っている。例えて言うと、天動説程度には正しい。精密な軌道計算などをしようとすると圧倒的に地動説のほうがモデルとして優れているのだけれど、地面に立った人間の直感としては、天動説のほうがシンプルで扱いやすい。厳密なことを言わなければ、天動説のほうが具体的なイメージを喚起しやすいし、カトリックの教理哲学との整合性なんかまで考えると、やっぱり天動説は優れた説だといえる。

閾値なし線形仮説にも似たような性質があって、実際の統計データや高等哺乳類である人間の生理などから見ると「正しいとはいえない」部類の仮説ではあるのだけれど、一般の人が、それほど放射能の影響が深刻ではない場面で採用するアバウトな仮説としては、比較的優れているし、安全管理行政の法的根拠の導出あたりには有効に使えるだろう。が、例えば3.11以降の東日本に住む市民が置かれているような状況では、アバウトすぎて現実的な価値は低い。統計的には正しい部分があるのだが、個別具体的には何も語らないので、クリティカルな場面では全く使いものにならないばかりか、逆に問題を悪化させることもある。

で、かなり知的な人が閾値なし線形仮説なんかを採用して東日本について論じたりしていると、そういうのを本気にする人は宇宙線を浴びる旅客機にも乗れませんよ、なんていうツッコミをしたくなるのだけれど、それをするのはかなり下品な気がする。豊富な統計データや医療知見を持っている専門家ならまだしも、一般人がどうこう言う場面でもないような気がする。

で、何も言わなくなるのか。悩ましいのだけれど、そういう品性下劣な感じを自覚して恥ずかしい思いをしながらも、あたかも若い人でもあるかのように、いくらか思い上がりながら自分の考えのほうが正しいというような文章を表出すべきなんじゃないか、というようなことも思う。突っ込んだつもりが更に突っ込まれるのが嫌だとか、恥を知るというのはそういう防衛本能に過ぎないのかもしれず、ある程度厚かましく行ったほうがむしろ誠実だったりするのかもしれない。

あーもーめんどくせーなー。
[PR]
by antonin | 2013-05-27 01:53 | Trackback | Comments(2)
トラックバックURL : http://antonin.exblog.jp/tb/20502462
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by tel at 2013-05-27 15:48 x
君は「大2病」のままでOK。
Commented by antonin at 2013-05-30 23:27
>tel

こうやって大人の言い訳は承認されていく、と。
<< お客様は神様です。Godじゃない。 精神傷害 >>


フォロー中のブログ
外部リンク
外部リンク
ライフログ
ブログパーツ
Notesを使いこなす
ブログジャンル