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今日、こういうのを読んだ。 もし明日死ぬとしたら、という問題設定について - 脱社畜ブログ 僕が最近思っているのは、「5年後に自分の人生が終わるとしたら」ぐらいの問題設定が、多くの人にとっては一番建設的ではなかろうか、ということだ。明日死ぬとか、あるいは1週間後死ぬとかだと、行動はやはりどうしても刹那的にならざるをえない。1週間後死ぬと決まっているのに、勉強をしたりは普通しないだろう。何かやりたいことがあったとしても、それをするために勉強や入念な準備が必要なものについては、諦めるしかなくなる。 なるほどね。うまい条件設定だと思う。で、自分がもしも5年後に死んでしまうならどうするだろう、と考えてみた。結論として、今のままで良いということになった。30代までに数回は三途の川のほとりに立ち、周囲の支えもあってようやくここまで来たという感覚があり、このペースであと5年生きてお陀仏というのは、実は理想の人生という気がする。上の引用部分にもあるが、人間が予測できるのはせいぜい5年くらいというのがあって、自分の場合も5年以上未来の生活というのは想像がつかない。 社会情勢というのは統計的なあれやこれやで漠然と予測が利くけれども、唯一無二の個人についてはこの統計的手法が使えないので、全く想像がつかない。自分は、無意識に5年先くらいまでを見て生活していたんだな、というのがわかって面白かった。日々の生活に追われていて、それ以上を考えずに済んでいる幸福ということでもあるかもしれない。で、逆に80歳過ぎまで自分が生きる状況というのを想像すると、なんだかゾッとして、自分はあまりそういう事態を想定していないということがわかる。 自分のコドモたちに白髪が生えたり皺が目立ったりして、生意気で愛想の無い孫が生まれていたりするかもしれない。知っている人はどんどん先立ち、自分自身の身体にも大小の不具合が目立つようになる。思考力は徐々に衰え、昔話が多くなり若い人に疎んじられ、昔は目をキラキラさせていた最新ガジェットも意味が理解できずに手が出せなくなる。人に頼られる機会というのはすっかり無くなり、徐々に赤ん坊のように周囲に頼る生活になっていく。改めてこういう想像をすると、厳粛な気分にさせられ、老いた人との関わり方を再考させられる。 平均寿命が長い今の時代、あんまり大往生というのは自分にも周囲にも負担が大きい。若くして死ねば、多少面倒な奴でもある程度は惜しまれつつこの世を去ることができる。50歳前後というのは、死に時としては理想的な気がする。そういう時期に自分は死ねず、長生きしてしまうかもしれない。統計的に見るならそちらのほうが普通だ。私の場合は、そちらの場合のほうを真剣に考えてみるべきなんだろうと思う。死ぬ瞬間というものは色々な感覚が巡って恐ろしいということを私は知っているが、それは別に20歳でも100歳でも大きく変わらないものだと思う。 一方、普通に明日死ぬなら今日をどう生きるべきだろう、というのも考えてみた。結論として、遺言を書いておいたほうがいいだろう、ということになった。たとえばこうして駄文を書き綴っているBLOGサービスにしても、外からSPAMコメントは付け放題である一方、親族によるコントロールができない状態になってしまう。自分が突然死んでしまった場合にそれを知らせて欲しい人の連絡方法なども、あまり自明ではない。利用しているサービスのパスワード一覧や連絡先リストなどを作っておき、そのありかをわかりやすく伝えておく必要があるだろう。 他にも月額や年額で利用料が自動引き落としされるサービスなどもいろいろと契約しているので、必要のなくなったものを速やかに解除できる連絡先のリストも必要だろう。もちろん、貯蓄や保険金類を適切に受け取るのに必要な書類などもまとめておく必要がある。明示的に契約した個人加入の保険だけでなく、健康保険などから支給される給付金の請求手続きなども事前に調べてあると便利だろうし、不動産の名義を書き換えたり相続税をどうこうしたりという面倒を誰に任せるかという手配もあるといいだろう。 明日死ぬというのをリアルに想像するとき、一番心配なのはそういう面倒な事務手続きで、あとは適当でいい。死んでしまった側にとっては墓とかは特に要らないが、残された側にとって拠り所が必要だったり社会的体裁が必要だったら、どこか安くて安心なところを探してあると便利かもしれない。両親ともに健在なので、妹夫婦に両親の世話をお願いする代償みたいなものも確保しないといけない。自分が早死にしてしまったら自動的に両親の財産の相続権を放棄するような手続きもしておいたほうがいいのかもしれない。自分の分は妻子に回すしかないだろう。余裕もないし。遠くにある父の実家の土地は家の名前を継いているうちのコドモがコミットしているほうがいいのか。そこは迷う。 死ぬまでに自分が自分のためにしておきたいこと、というのは特に無い。もう大抵のことは済ませた。BrainFuck処理系の実装ができなかったのが心残りだが、あの世での楽しみということでいいかもしれない。時間だけはいくらでもありそうだし。コンピュータサイエンスの大家もだいぶ鬼籍に入っているから、あちらにもマイクロプロセッサやコンパイラくらいあるだろう。あの世の存在を信じるのは妄想だが、死の前日ぐらいはそういう妄想が許されたっていいだろう。 というわけで、本気で明日死ぬとは思わないが、いつ死んでもいいように手はずを整えておくのはいいことだと思った。気が向いたらやっておこう。もし間に合わなかったら、面倒掛けてすまないけどよろしくやってください。
by antonin
| 2013-06-11 01:08
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