安敦誌


つまらない話など
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断言

ニーチェだか誰だかが、他人に信用されたいなら断言することだ、というようなことを言ったらしい。確かにそうだ。過去にそういうことを書いたこともある。

「頑張れば報われる」に騙されるな : 安敦誌

最後の薄字で書いてある部分がそれ。

ただ、こういう断定的な言葉にもメリットはある。「現段階での消費税率引き上げは必要であり、選択の余地はない」と断言したとする。そうすると、いやいやデフレ期の増税はセオリーに反するとか、いやいや今このタイミングでも既に遅すぎるから無意味だとか、いろいろと異議を唱えたくなる人が出てくる。そこから議論が活発になり、感情的なあれやこれやはあるかもしれないが、議論の中から様々な論点が明確になっていく。

一方、「現段階での消費税率引き上げにはこれこれのメリットがあり、今この時期に行うことは正しいといえるが、一方これこれのデメリットもあるので、そのあたりをしっかり対処しないと大変なことになる」という言い方もできる。こちらの意見のほうがより現実に近いかもしれないが、誰の目にも明確に白黒が付くような言い方ではないし、両論併記っぽいところもあるので、容易にはツッコミを入れにくい。こういう意見を起点とすると、議論は深まりにくい。

「クレタ人のパラドクス」というのがあるけれど、あれは「自己言及のパラドクス」として有名だが、もうひとつ、真か偽かしかありえず、その中間を認めないという排中律が成立する命題論理というものに固有のパラドクスになっている。嘘つきとは「嘘しか言わない人」と定義した時にはパラドクスになるが、これを、嘘つきとは「嘘を言うかもしれない人」であるとすると、嘘つきだって本当のことを言う場合だってあるのだから、パラドクスは解消する。こういうふうに同じカテゴリーに入る要素の集まりの性質を考えるのを述語論理という。

述語論理にしても、「全ての~は~である」とか「~である~は存在する」とかいう表現を使うと、その結果はマルかバツかに落ち着く。そうではなくて、結論の方も「どちらとも言えない」というのを認めて排中律を捨てると、直観論理というものになる。「どちらとも言えない」だけだと不便なので、「80%正しい」とか言い出すとファジー論理になる。

この直観論理というのは、おそらく正しさだけで言えば述語論理や命題論理より現実に近く、より正しい論理ではある。しかし、正しさでは上なのだけれど、この直観論理から論理的に導き出せる結論が命題論理に比べてずっと少なくなってしまうという問題がある。すぐに「どちらとも言えない」と言い出すのだから、当たり前かもしれない。一方の命題論理は、実世界で起こっている現象のモデルとしてはかなり荒っぽいのだけれど、その荒っぽさを一度許せば、そこから先は人間の想像を絶するほど多様な結論を導き出すことができるという魅力がある。

風が吹けば桶屋が儲かる、というのも命題論理による推論である。ただ、推論の各段階で使われている論理にかなり怪しいのが混ざっているので、段数の多い推論をすると、ほぼ間違いという結果になってしまう。99.99%正しい推論を10段進めると、全体の推論としては0.9999の10乗で0.9990、つまり99.9%正しい推論になる。ところが、これが60%ぐらいの確度の推論を10段重ねると、0.6の10乗で0.0060、つまり0.6%ぐらいの正しさにしかならない。

こういう具合なので、正しさを見極めるなら「どちらとも言えない」という可能性をしっかりと捉えた議論が必要になるのだけれど、人間の頭で可能な程度の推論では、「どちらとも言えない」がひとつでも出てきた時点で、そこから先に進めなくなる場合が多い。だったら、危険を承知で白黒はっきりした排中律を満たす論理で推論を重ねたほうが、面白い結論が出てくる。極論の面白さは、こういう危険だが実りの多い推論ができるという点なのだけれど、そういう極論を始点とする推論が実地に役立つかどうかというと、そこはバクチになる。

ただまあ、面白い議論をして、それまで気付かなかった可能性に気づくゲーム、みたいな捉え方をするなら、極論は有益だろう。現実問題の解釈については「どちらとも言えない」の効能はあるのだが、実務上は「どちらとも言えないが決断はしなくてはならない」という場面が多く、結局おみくじ的に命題論理をこねくり回してマルバツを決めるというやりかたは正しいだろう。ただそれは、おみくじを引いて決めるのと、実はそれほど違わない場合もあるのだけど。

「どちらとも言えない」というのは「決断してはならない」という意味ですらないので、正しいが、しかし使い道のない結論でもある。結果的に、「悲観的に準備し、楽観的に行動せよ」というような格率に至ってしまうのだろう。とはいえ、何ごとにも「どちらとも言えない」と言い続ける厄介者も、社会の外れに少々いるくらいなら有用だ。とりあえず、そう断言して終わりにしよう。
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by antonin | 2013-11-13 00:29 | Trackback | Comments(0)
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