安敦誌


つまらない話など
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続・諦めない心

また考えが変わった。

諦めない心 : 安敦誌

学校とは、真実を見抜く知恵を与える場だと思っていて、そこで「諦めない」という言葉が出るのは奇妙だな、「諦める」という言葉の意味はそうじゃないのにな、というような感想を書いた。が、本当に、本来の意味でも「諦める」よりは「諦めない」方が、普通の人としては良い人生が送れるのではないか。そういうことを思うようになった。

【全世界の女性必見!?】自己の美しさを認識できる感動の動画、 1週間で視聴回数1500万回以上を達成 – SNN(Social News Network)

以前、こういう動画を見て思ったのだけれど、「あなたが見たあなた」「他の人が見たあなた」というのがあって、どちらが実像に近いかといえば、圧倒的に「あなたが見たあなた」の方だった。この映像に出てくる「他の人」というのは、モデルプロダクションの採用担当でも、VIPをもてなす窓口業務の採用担当者でもなく、特に利害関係のない普通の人々だ。そういう人たちは、客観的で的確で残酷な評価を下すことはない。人間関係を和やかに保つために、悪いところは言わずに良いところばかりを伝えるように、無意識のうちに訓練されている。だから、どうしても真実よりは評価が甘くなる。

ところが、現代人は常に「役に立つかどうか」「売上の向上にどれだけ寄与できるか」という評価軸で評価され続けながら生きている。だから、嫌でも自分自身の客観的で正確な評価を思い知らされ続けながら生きている。そして、自分自身の理想像からは程遠い、現実的な自己評価に傷付きながら生きている。しかし、経済的な利害関係のない他者は、社交辞令的で甘い評価を下してくれる。そういう評価を聞いて、人はほっと胸をなでおろし、笑顔になれる。

経済的功利主義で人を評価するとき、その評価軸は競争原理によって厳しく磨かれ、多くの場合により正しい評価を下すようになる。そして、残酷なほど正しい評価に、人は傷つき、うなだれる。が、そういう評価を下すことを恐れれば、経済競争によって組織は出し抜かれ、衰退し、崩壊していく。組織人は、個人的な感情は抑圧して、クールに振る舞い、真実を告げなくてはならない。

一方で、経済的目標を共有しないような、単に近所に住んでいるだけだとか、趣味で同好の仲間だとかが集まると、相手に多少悪い評価を持っていても、それより楽しく過ごす方が重要になってくるので、いちいち真実を告げる動機がなくなる。そういう場にいると、人々は心安らかに過ごせるようになる。

より生産性の高い経済活動は人々の生活を向上させる原動力なので、これを高めていくことは良いことだが、ひとりひとりの生活者にとっては、過酷すぎる場でもある。だから、いったん仕事を離れれば、経済的な利害関係を抜きにして、誰かの欠点が組織の命取りになるような緊張から解き放たれる、居心地のいい場所を持っている方がいい。

昭和の男たちは会社とか軍隊とかに属して、命を懸けた厳しいやりとりをする場と、一杯飲んで憂さを晴らす場でメンバーを共有していた。それによって家族的な結束を固めて最強になる組織もあったが、公私の区別がつかなくなって腐敗する組織も少なくなかった。

今はいろいろと制度も変わって、企業がそういう家族的な結束を保証することは難しくなった。そういう環境で、個人が経済競争に基づく冷酷な評価判定を下されても生きていける力を持つためには、職場とは別に、「役に立つかどうか」という原理で人を評価しない、馬鹿話で盛り上がれる、間違いに目くじらを立てずに済む、そういう場にも籍を置くことが重要になるんじゃないかと思う。

人は、客観的で正確な評価を受け続けるだけでは耐えられない。ある程度、甘い嘘を摂取しないと死んでしまう。一方経済的主体というのは、そういう甘い嘘が混入すると腐敗して死んでしまう。だから、入社しただけで「同じ釜の飯を食う」ことが前提だった時代の「会社主義」国家が滅びつつある日本では、経済から一歩脇に逸れた場所にも身を置くことが重要になってくるのだろう。

「諦める」というのが身も蓋もない真実を知ることなのだとして、それが良いことなのかどうかというと、あまり良いことではないかも知れない、と、少しずつ思い始めている。大人になってもサンタクロースの存在を信じているのはどうかと思うが、「サンタクロースなんているわけないじゃないか」と子供に教えて悦に入る大人もどうかと思う。それと同じで、大人でもどこか夢見がちに過ごしたほうが、実は健全なんじゃないかと思う。

あまり嘘の効用に溺れるのもまずいが、嘘を排除しようと頑張り過ぎると、廃人になるような怖さもある。真実は必ずしも人を幸せにしない。それでも真実を追究しようとする学者は崇高だけれども、やはり一般人の社会生活と真実とは相容れない部分が残る。真実を知り、そしてそれを適切に無視できるようになるのが最善なのだろう。なかなかに難しいが、取り組まないといけない。
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by antonin | 2013-11-24 17:04 | Trackback | Comments(0)
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