安敦誌


つまらない話など
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先天と後天

かつて先天性障害と思われていた病気が、その後の調査で妊娠中の感染症によるものだとわかった、なんてものが結構あるらしい。そして、それがわかったからといって、特に名称の変更もないらしい。「先天性」というと遺伝子起因のものだけだと考えていたので、出産前の異常は全て「先天性」だと知った時は少し驚いた。まあ、古典的にはそうだよな、というのはわかる。医師に手出しのできない期間の原因は全部先天性とするしかなかっただろう。

受精から出産までの環境要因が「先天異常」になるのだとすれば、精神については、自分で自分をコントロールできる年齢までに受けた環境要因というのは、「先天性」ということになるんじゃないか。生老病死の四苦で、「生」の苦というのは、こういう本人の意志ができあがるまでの環境を指すんだろうと、最近は考えている。産院の取り違え訴訟のニュースなどを見ても、生苦の困難さというのが伝わってくる。

精神にも、脳の器質的な遺伝性の影響というのが少なくないのだろうけれども、学習性の臓器である脳のことだから、発育期の教育環境の影響というものも大きいのだろう。だらしない、弱い自分を振り返っていると、「いろいろと文句を言っているが、問題なのは環境ではなくお前の精神の方ではないか」というような、戒めの言葉が世にあふれている。で、普通の人はそういうのを読んで奮い立ち、変わっていくのだろう。

が、もう本当にダメな人間は、それで落ち込むことはあっても、一念発起して生まれ変わることができず、一生グダグダしていく。もちろん、成人してからでも本人のダメさを超越するようなスーパーメンターに出会えたりしたら、あるいは変われるのかもしれない。毎日励ましてくれたり悪いところを指摘してくれるかもしれない。しかし、本で読んだ言葉に感銘を受けたくらいでは、なかなか変わらない。変わるとしても、とてもゆっくりと、ほんの少しずつしか変わっていかない。

そういう、自分の悪い点に気づき、しかし改善しない自分の精神と付き合いながら生きるのは辛かった。つい言い訳や弱音を吐くのだが、それが強い精神を持った人たちをより一層イラつかせ、より一層辛辣な言葉をいただくことになる。辛かった。

最近になって、自分の悪い部分のうち、知識や装備ではなく、気力や注意力に関する部分は、遺伝的、あるいは幼児期の環境による、「先天性」の問題だと意識するようになった。これで、いくらか楽になることができた。私は原因と責任は切り離して考えるので、原因である遺伝子の組み合わせや、育ててくれた親を恨むこともないし、すっかり大人になった今になって、老いた親に何かの補償を求めるようなこともない。原因の一部は親にあるが、今存在する私自身を多少でも変えられるのは、ダメなりに私自身しかなく、責任は自分自身にある。

親にしても、当時の社会状況や家庭状況などの中で精一杯頑張って育ててくれたわけで、感謝することはあっても恨むことなどない。遺伝的にも気むずかしい気質の第一子を、親類も近所にいないマンションの一室で育てるのは大変だっただろう。それでも、雑誌や書籍や吉岡たすくさんの番組などを見ながら、母は一生懸命育ててくれた。それでも失敗だったのは気の毒だが、遺伝的気質からして、難しすぎるタマだったのだろう。

うちのコドモたちも厄介者揃いだ。まだ大教団に発展する以前のお釈迦さんも、生まれるから病気になる、生まれるから老いる、病気になったり老いたりするから死ぬ、とそういう因果を説いたのだけれど、人が生まれるそもそもの原因が愛着であると説いた。後の仏教による解説ではかなり哲学的なのだけれど、十二因縁説をストレートに読むと、なんとなく、恋をして所帯を持って子供を生むからまた苦が生まれるのだ、というようなニヒリズムを含み持っていたような印象もある。初期の教団は男所帯でもあった。死の間際にはもう少し鷹揚になったようだけれども。

でも、悩みは多いが、コドモたちが生まれてきてくれて良かったとは思う。まともに教育できない親に育てられて申し訳ないとは思うが。昔は、ある程度の年齢になると、実の親はダメでも、人格の優れた人が多くの丁稚を使った商売をしていて、そういうところに奉公に出すと、子供が人格的にも大きく成長して帰ってくるなんていう制度があった。渡る世間に鬼はなし、親は無くとも子は育つ。そういう時代があったのだなあ、と羨ましくも思うが、それはそれで気苦労も多かったのかもしれない。

東京大空襲の間接的な影響などもあって、私は常に子供を心配する視線の中で育った。生活にはいつも母の心配が寄り添っていた。祖母はもっと輪をかけて心配症だった。戦後、日本各地の親類を頼って、転々とした。母にきょうだいはなかった。祖父母は母を溺愛した。そういう人が、初めて子育てをする。アメリカなんかから入ってきた、今ではかなり否定されているような育児理論がどんどんと入ってくる。そういう中で精一杯育ててくれた。そして、ダメな男に育った。申し訳ない話だ。

テレビでの科学番組などは毎回見せてもらったし、科学技術館の1階で開かれるバーゲンのついでに連れて行ってもらい、一人で科学技術館を見学して回った。プラスチック製鉛筆立ての成形デモンストレーションなども印象深かった。顕微鏡も、天体望遠鏡も、無線機も、おもちゃのコンピューターも、年に1回だけ買ってもらえた。図鑑も、学研の科学も、買ってくれた。あれはありがたかった。

誰も恨む必要がない。自分自身に責任があるが、原因であれば半分くらいは自分の外にある。そう思うと楽になった。まだ言い訳は多いが、少しずつ前進はしている。しかし最近またヨメの具合が悪く、一日中コドモたちに怒りをぶつけている。私もそれを見て不機嫌になってしまう。家事でも手伝って、子どもとサッカーでもすればいいとわかっているのだが、体がダルい。最近また眠剤を戻したので、睡眠は比較的取りやすくなった。最近また少しずつ勤行を再開しているが、ペースも集中力も悪い。が、なんとか継続していったほうがいいだろう。

運動が神経系に与えるような単純な刺激が、脳の作用には案外に効く。運動に関しては不愉快な記憶しかないのだが、唯一自転車で走るのだけは楽しかった。末っ子が自分の自転車に乗れるようになったら、子供イス付きのママチャリをまともな自転車に買い替えてみたい。そうすれば、浜離宮からディズニーランドくらいまでは休日の日常的な行動圏内に入ってくる。まあママチャリでもいいのだけれど、そこは気分で。
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by antonin | 2013-11-25 00:05 | Trackback | Comments(0)
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