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宝くじの売上が下がっていて、最高当選金額をまた1億円引き上げるらしい。宝くじというのは、法律で禁じられている「富くじ」の一種で、その中でも最も単純なスタイルのものなのだけれど、そこが最も取っつきやすい理由でもある。法律で禁じられているのに、なんで堂々とテレビで宣伝まで打って売られているのかというと、公共の福祉に利するから、と、一応そういうことになっている。賭博は法律で禁止されているが、公共競馬はテレビで宣伝して堂々とやっているのと同じ。 国の税金というのは国民の代表議会である国会で厳しく審査されることになっているのだけれど、これだと全てのカネのコントロールは財務省(旧大蔵省)に握られてしまう。これを嫌って、財務省以外の各省が独自財源の確保に奔走した時代があった。それで、旧農林水産省は畜産業を推進するという名目で競馬を始めたし、旧厚生省は高齢者福祉を題目にして国民年金を始めた。国民年金は人口ピラミッドが倒立状態になって支出超過になるという大失態を演じているが、他の各省が始めた事業というのは、だいたい手堅く推移している。 中でも、賭博と募金というスタイルは定番になっている。競馬もそうだし、競艇は笹川家(日本財団)の資金源みたいになっているけれども、一応旧運輸省の所管になっている。競輪は旧通産省の所管で、意地悪く言えば、パチンコも警察庁管轄の半公共賭博場とみなせる。totoは外国の事例をベンチマークした文部科学省がスポーツ振興という題目で導入した。民間企業には法律で禁止しており、また禁止されている理由というのも生産性がなく濡れ手に粟の商売だからという理由なので、これを実施できる官庁というのは文字通り特権的ということになる。こういうのを民間がやれば、ガチャのように国民保護という大義のもとで即座に禁止される。 で、宝くじだけれども、これは旧自治省の財源として、競艇が造船海運業の発展を支援することを活動内容としているのと同じように、宝くじの収益は公園に遊具を置くなどの自治活動支援に使われている。細かいところでは何に使われているのか、なにしろ国会の審議も何もない予算体系なのでわかりはしないが、国会や財務省にとやかく難癖を付けられることなく、自由に執行可能な予算として便利に使われている。こう書くと悪用しかしていない印象になるが、煩雑な手続きを避けて必要なところに迅速に予算を注入できるツールとなりうるので、上手く活用されているような局面もあるのだろう。 その宝くじも昔は商売が上手かったが、最近は売上が落ち込んでいるらしい。どうも最近のお役人さんには貧乏人の気持ちというものがわからなくなったらしい。昔の自治省などはそれほどエリートコースでもなかったし、また日本が一度焼け野原になったということもあったので、高級官僚でも貧乏人の気持ちはそれなりに知っていたのだろう。 貧乏人から見ると、5000万円くらいまではそのスケール感が把握できるが、その先は3億だろうが7億だろうが、感覚的にはほとんど差がない。射幸心を煽るという意味では、2ちゃんねるで言われるような当選率を上げるやり方よりも、最高当選金額を引き上げるほうが妥当なのだけれども、あれだけ一般市民に行き渡った宝くじの売上を維持するためには、過激な射幸心を煽るよりは、もう少し一般的でマイルド貧乏な市民に訴求する調整のほうがいいように思う。 「ジャンボミニ宝くじ」という自己矛盾を孕んだ怪しいくじも発売されているが、こちらは2ちゃんねるの助言を採用している。つまり、当選金額を下げ、当選本数を増やしている。しかし、単価は300円のまま。統計的にはミニじゃないジャンボ宝くじの10倍の1等当選確率なのだが、全体の販売枚数が少ないので、5億円が60本出る正統ジャンボに比べ、7000万円が80本のジャンボミニは印象としてひどく見劣りのする商品になっている。1千万分の1の確率が100万分の1になったと喜べるような数理感覚を持った人は、そもそも宝くじを買わない。ジャンボとジャンボミニはどちらも「1等が当たる確率も0ではない」という直感的な収束点に留まっていて、訴求力に違いはない。 最近の宝くじの状況を見ると、当たれば大きいが外れれば何十万も飲まれるようなギャンブルになって一般客が離れたパチンコと同じように、最高当選金が足りないというより、デフレにより平均所得が下がった中で宝くじの販売価格が高止まりしているというのが、売上減少の主要因だろうと思う。経済的合理性だけを考えれば誰も宝くじなど買わないわけで、それでも心理学的には宝くじは安定して売れる。そのはずの宝くじが売れないというのは、外れたときのショックがかつてより大きくなっているからではないだろうか。 宝くじは理論的には1枚から買うことができるのだけれど、AmazonやAndroid Marketで宝くじを購入できるわけではないので、お店のお姉さんに枚数を告げて買う必要がある。遠い昔は帯ゴムに挟んだバラ売りのくじ(番号だけバラバラになった10枚セットではなく、本当の1枚売り)が、宝くじ売り場には普通に並んでいた。それがバブル景気を経験して以降、ほとんどの宝くじ売り場ではこういう売り方は見られなくなり、スマートな10枚セットが主流になった。 しかし今はデフレが進行して、不景気もすっかり板についた時代である。スーツを着たサラリーマンが280円の牛丼を食っても白い目で見られることのなくなった時代である。そういう時代に、事実上の最低購入単位が3000円になったジャンボ宝くじは、夢が大きいメリットよりも外れたときの3000円が惜しい、なかなか気軽には買いにくい商品に変わってしまっている。 ちょっと酒を飲んだら1万円くらい飛んだ時代なら、夢を買うのに3000円だの9000円だのを支出するのに庶民も躊躇しなかっただろうが、中国人アルバイトが運んでくる料理をたらふく食って飲んで2000円とちょっとで帰れるような時代には、失った3000円の痛みのほうが精神的にキツい。なので、宝くじの販売額を回復させようと思ったら、あのピラピラのバラ売り展示を復活させて、最低購入価格を3000円からグッと引き下げ、ロングテールを取りに行くのが正しいんじゃないかと思う。 貧乏人の私が搾取元である自治省、もとい、総務省を応援する義理もないのだけれど、まあ、デフレが終わって経済が急回復するのでもなければ、夢を買う価格くらい手の出しやすいところまで帰って来てほしいとも思うのである。夏野剛さんあたりを役員に迎えて、宝くじが1枚からスマホで買えるようにするなんて面白いかもしれませんぜ。へっへっへ。
by antonin
| 2013-12-06 01:25
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