安敦誌


つまらない話など
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典拠

文明とは何か、ということをしばらく考えている。

って、まあ、考えちゃいるんですが、んなのどうでもいいじゃん、という感じはある。

「反りが合う」ってのは、木工の板の乾燥に伴う反りだなんてことを書いたことがあったが、調べると剣と鞘の反りのことらしく、なるほど、ということに。板の経年による反りを職人が見分けるという話は確かにどこかで聞いたのだが、それは「反りが合う」という慣用表現の語源説とは別の話だった。「元の鞘に収まる」なんていう慣用句もあって、剣と鞘というのはその、プラグにmaleとfemaleがあるのと同じあたりを指している。そういうのも含めて、「反りが合う」の語源もやはり男女の仲を表すアナロジーとして自然な剣と鞘がいいのだろう。

「メルクマール」の例のアレも、書いて数日後に実は間違いがたくさん発見されたのだけれど、まあ場末のブログだしいいじゃねぇかと思って放置していた。しかし、5年も経って未だに辞書的に検索の定番になっているあたりを見ると、誰かちゃんと辞書的に正しいことを書いてくれよ、と思う。ネットのいい加減さのようなものを奇しくも体感してしまって面白くもあるんだけれども、無料情報ネットワークを構成するボランティア的市民の一員として若干の後ろめたさもある。Wktionaryあたりに自分でちゃんと書き直せばいいじゃん、というのはあるんだけど。

Wikiと言えば、シャノンの定理かなんかでここへ飛んでくる人がいた時代があって、それはさすがにかわいそうだと思い、Wikipediaに加筆し、調べたい人はそちらへ飛んでくれるように仕向けたことがあった。そして、その目的は果たされたのだけれども、先日ふと思い立ってそのページを見てみると、その時に書いた文章がほとんど手つかずのままに残っていた。そんなもんなのね。ネットの情報はやっぱり信用ならねぇ。まあ、編集の手が入った紙の書籍だって実はどっこいどっこいの部分はあるんだろうけれども。自分も嘘を書いたつもりはないし、一応大学で使った教科書なんかは軽く参照した覚えがあるけれども、どちらにせよ素人仕事だ。

あと、Wikipediaというと、ある花の種の写真が知っているものと違ったので、他言語版で多用されている、よく見慣れたものに差し替えた。そういうチマチマした編集などもやってみたが、ああいう公開データベースにコミットする作業はやはりドキドキする。メンテナがいるわけでもないからプルリクエストとか成立しないしなぁ。

まだ若い研究者の会見がテレビで一般中継されたりしたらしくわけわからんことになっているが、公開というのは恐ろしいものだよなぁ。前にも書いたが、平凡な人間にとっては目立たないということも幸せの要件になる。その点、駅風呂は生ぬるくて居心地がいい。出世というのは組織で管理的役職に上り詰めることを指すのではなくて、文字通り世に出ること、世に名が知れることなんだと気付いたのは結構最近の話だった。憧れなくはないが、物は良し悪しだよなぁ。

以前に商売の話で、商売の客は狐みたいなもんだと書いたことがあった。あの意味というのは、B2Bでお互い生活かかっているような場合は別として、消費者相手の商売なら、客というのは生活を賭けて買い物なんかしない。日常生活の一部として、半ば無意識的に店と商品を選んでいる。そういう、全身全霊を傾けているわけではない、パーシャルな注意の仕方をしているとき、どんなに賢い人だって狐並みの知能で判断をしている。商売人は生活かかって商売をしているが、客は別にそうじゃない。このギャップが狐狩りの風景になる。

著述も似たようなもので、本気のプロモードで考察している分野もあれば、力を抜いて流すように書く分野もある。ちょっと専門を外れれば、どんなに賢い人でも畜生になれる。そしてそれが人間の自然な姿である以上、多くを書く人の文章というものとの付き合い方も見えてくる。ある人の中の「賢人」が書いている部分なのか、「狐」が書いている部分なのか、パッと見は分からない。自分の中の「賢人」を引っ張り出して来ればそのあたりを判別することはできるが、私の中の賢人は老人らしく疲れやすい。気が付くとすぐ狐にすり替わっている。百匹の狐を一気に野に放つ能力があるような人もいて、それはそれで才能だなと思うけれど。

煮詰められたクルアーンでも妙法蓮華経でも、部分を拡大すればきっとアホな部分はあるだろう。教科書だってなんだって。そういう部分をサラリと流せるとなかなかいいものだろうけれども。
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by antonin | 2014-04-11 02:47 | Trackback | Comments(0)
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