by antonin
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かの人を我に語れ、ムーサよ。 オデュッセイアーが確かそんな語り始めだったと思う。このムーサは詩をつかさどる女神で、7人姉妹か何かの一人だったと読んだ覚えがある。その姉妹たちはそれぞれ芸術の一分野を担当していて、優れた芸術家たちのインスピレーションはこの女神姉妹の誰かの恩寵によるものだということになっていた。ムーサをフランス語で言うとミューズになるらしく、英語でもこの表現を使う。そしてミューズ的なものがミュージックで、この楽曲の女神だけが現代の日本にまで知られている。ミュージアムなんてのもあるけれども。 今日は仕事を終えると外の風が土のにおいがして、暑くもなく寒くもないアジアの夜という感じがしたので、一駅手前で電車を降りて、暗い夜の川に架かる橋を歩いて渡った。車に轢かれない程度に注意しながら音楽を聴いていた。ほとんどがドヴォルザークかその手前のロマン派後期の人たちの曲なんだけれども、電車の中で時間に追われながら聞くタイプのものではないので、普段はジャズとか映画音楽とか、昔気が向いて買った歌謡曲とか、そのあたりを聴くことが多い。 今日は夜道を歩きながらだったので、初めて買ったCDを取り込んだ音源を聴いていた。フォーマットもAACか何かの高圧縮音源だし、それより深刻なのは自分の耳が悪くなったことで、中高音の残響成分が得も言われぬ臨場感と質感を持っていて大好きだった曲が、普通ののっぺりとした音楽としてしか楽しめなくなっている。これは残念なことだ。レーシックの耳版みたいに蝸牛に植毛して高音感度上げるなんていう手術はないもんだろうか。 で、初めて買ったCDというのはこれ。 高校生の頃、近所に電気屋ができた。そこに当時最新鋭のDATのデモ機が置いてあった。学校の帰りに店に立ち寄り、店員に迷惑がられながらも、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」の冒頭のアレが収められたデモテープを再生して聴いてみたことがあって、おお、これがディジタルの音なのか、ということでひどく感動したことを今でもよく覚えている。あれは本気のオーディオセットの品質であり、アンプからヘッドフォンに至るアナログパートもバブル時代のそりゃ贅沢な作りをしていたはずだし、音源は音源でオーディオ屋さんがデモ用に使うものだから、レコーディングやマスタリングなどのプロダクト エンジニアリングもコスト度外視で徹底的にこだわったものだったのだろう。 そんな万博パビリオンのような力の入りようのオーディオにはその後もついぞ縁がなかったのだけれども、それでも日本の民生オーディオは着実にコストダウンを続け、それに我が家の家業もバブル景気の裾野にあってそれなりの恩恵を受けていたので、高校3年生の時にCDプレイヤーとカセットデッキ2台を備えたラジカセを買ってもらえた。一応進学校らしきところに通っていたので、アルバイト禁止ということでそんな生活をしていた。CDの手持ちがないので、近所の蔦屋に行ってレンタルCDを物色すると、こういうのが置いてあった。当時の蔦屋にはまだこんな品揃えもあったのだ。 クラシックのCDをリッピングすると、その後に再販された廉価版レーベルに上書きされて、購入した当時のライナー表紙とは違う図柄になっていることが多いのだが、この盤はまだ当時のままの、スラヴの民族衣装の美しい女性の写真から変わっていない。このスラヴ美人にも誘われて手に取った盤なのだが、家で再生したときにはその音質の素晴らしさに涙が出るほど感動した。連日このCDを掛けまくり、返却日前にその一部を両面46分のカセットテープに収めた。このテープはヘッドフォン ステレオに入れて持ち歩き、大学受験に落ちた帰り道などにも聴いていたので、今でもスラヴ舞曲第6番などを聴くと、あの頃の何とも言えない感情が蘇ってくる。 この、プラハ スプラフォンの初期ディジタル録音は「東側」の録音だけあって、西側の名門、ドイツ グラモフォンなどと比べると技術的にかなり劣るところがあり、耳の肥えた今になって聴くとかなり不躾な堅い音になっているのがわかる。けれども、FMラジオのN響アワーだとかサンデー クラシック リクエストだとかを新聞の週間番組表を頼りにエアーチェックした音源ばかり聴いていた当時、CDから直接再生される音質のキレには本当に驚いたものだった。DACは4倍オーバーサンプリングなんていう初歩的なもので、汎用品になった1bit ΣΔ DACを使っている今のスマホにも劣るようなものだったが、それでもカセットテープしか知らなかった当時の高校生には十分な贅沢だった。 このCDは結局後日改めて購入することになるのだけれども、最初に購入したCDはというと、NHK-FMの放送で聞いた翌日に一日中頭の中で無限ループ再生になっていた「アニトラの踊り」を収めた、ペール ギュント組曲のほうだった。一般的なプラケースではなく紙ホルダに入った廉価版だったが、こちらも指揮はヴァーツラフ ノイマンで、オケはゲヴァント ハウス管という「東側」の演奏だった。比較対象を知らないので批評めいたことはできないが、まずまずの内容じゃないかと思う。オケはいいのだけれど、ソプラノが過去に聴いたソルヴェイグに比べると少し好きじゃなかったのが印象に響いている。 そういう、若いころに聴いた音楽は、最近ではあまり聴かなくなってしまっていた。でも、ネットで文字情報ばっかり追い続けて感情が腐っていたところに、久しぶりに当時溺れていた後期ロマン派だとか国民楽派なんかの、音楽の教科書に載っているような曲を聴いてみると、少しだけ気分が落ち着いたような気がした。音楽を聴いたから気分が落ち着いたのか、多少でも気分が落ち着いたから音楽を聴く余裕ができたのか、そのあたりは判然としない。アントニーン・ドヴォルザークの交響曲を1曲しっかり聞くには、相当の心理的な余裕が必要で、時間に追われているときはもっと刺激的な曲の山場をザッピングして終わりになってしまう。 薫香などと並んで、音楽は宗教的な場面で好んで使われるけれども、嗅覚や音感というのはどちらかというと人間の脳の古い部分に直接訴えかける刺激なので、心理を整える助けにするには色々と都合がいいのだろう。落ち着いた音楽を聴いていると気分もいくらか落ち着いてくるような気がする。私はクラシックと言っても騒々しい曲が好きなので、落ち着くというよりは踊り疲れるというほうが感覚的に近いかもしれないけれども。 今では、当時は経済的に手に入らなかったような品質の良いステレオ イヤホンを所有できるようになったのだが、それで音楽を聴いてみると、当時感じた光るような高音の艶が全く感じられない。おそらくは聴覚が衰えて倍音の深いところまでは届かなくなったからだと思うのだけれど、よく聴くと曲によってはいくらかましなのがある。そういえば、初期にリッピングした盤はWindows Media Playerで192kbpsあたりのMP3に落とし、それを新しい高圧縮フォーマットに変換したんだった。最近取り込んだ盤は直接これらのフォーマットにエンコードしたので、同じビットレートでもMP3みたいにスペクトルが可聴域内でシーリングされていたりはしない。 ひょっとするとこのあたりが高音の聞こえない原因なのかもしれない。耳のせいじゃないとするといくらか望みがあるのだが、またいちいちCDから取り込みなおすのもなかなかしんどい作業ではある。Appleがクラウドがなんだかというサービスを始めたようだが、iTunesだと手持ちのCDの大部分が画像なしになってしまうし、曲名や芸術家名もバラバラになってしまって、とてもじゃないが定額料金を払う価値は感じられない。やはり自分でCDからリッピングし、必要ならメタデータをチマチマ編集してやらないと快適には聴けないのだ。まあ、CDのアルミ蒸着面が錆びて消える前に、いずれロスレス エンコードはやっておかないといけない作業なんだろう。 なんというか、音楽は意外に心に効くもんだな、と。 [HD] Edvard Grieg - Peer Gynt Suite, Anitra's Dance | Limburgs Symfonie Orkest, Otto Tausk (3/4) - YouTube A. Dvorak: Slavonic dances No.5, Skocna, A major - YouTube ← コメントにもあるが、曲が第6番だった R.Strauss Also sprach Zarathustra op.30 Part 1 - YouTube ドヴォルザーク 交響曲第7番第3楽章 Dvorak Symphony No. 7 MOV3 - YouTube Antonín Dvořák Symphony No 8 [No 4] G major Karajan Wiener Philarmoniker - YouTube P. I. Tchaikovsky - Symphony No. 4 in F minor, Op. 36 (Sanderling) - YouTube
by antonin
| 2014-06-14 14:38
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