安敦誌


つまらない話など
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web 3.0へ

エキサイトブログが10周年だということで、10年前に雨後の竹の子のように現れた無料ブログサービスの中では先頭集団最後尾あたりに位置したエキサイトブログが、やはりブログ10周年イベントの流れにやや周回遅れで登場してきたが、当時の時流との微妙な位置関係を10年ぶりに再現していて面白い。私も10年前の7月の終わりに最初の投稿をしたのだけれども、実は2004年の7月にサービスインしたのはエキサイトブログ正式版のほうで、ベータサービスのほうはもっと早くから始まっていた。

だから、本格的に登場し始めたブログサービスを比較吟味していたようなタイプの人たちは、このベータサービス時代からブログを開始しており、既に10年を少し超える経歴を持っている。もっとも、そういう時期にエキサイトブログを味見した人で、今もそれなりにエキサイトブログを使い続けている人というのはあまり多くはないので、そういう人達の意見を探すのは難しいかもしれない。

web 2.0ブームの時に話題になったサービスを指して「終わった」と語る人も多いけれども、「その」サービスに限らず、web 2.0的な、社会的な構造をぶち破って世界中をフラットな関係で結ぶ、といった理念が全体的に終わっている状況なんだと思う。当時のwebというのは、結局はコンピュータを使って情報を摂取したり提供したりすることが大好きな集団のたまり場だったわけで、インターネットを利用しているということそのものがある階層をフィルタリングできていた。ところが、スマートフォンなどを介して、かなり広い階層から様々な属性を持った人が無差別にweb 2.0の世界に流入することで、構造のないフラットなネットワークが色々と無用の問題を引き起こすようになった。今後は、ネットの世界にも実社会と似た構造を再現した、フラットではなくwell structuredなweb 3.0が必要になってくるし、必要である以上は程なくしてそういうものが作られるだろう。

個人的には、書籍のような静的な情報が上がっていたweb 1.0が、テレビや新聞と同じような動的で揮発性の情報を主体とするweb 2.0の時代に入った時点で結構白けた気分になっていて、blogでも好んでweb 1.0的な資料サイトを検索で拾っては記録していたころがあった。最近ではそういう資料にリンクするのも面倒になって、時事ネタを肴に無責任なオピニオンばっかり並べるようになったが、こういうあたりが死にかけのweb 2.xっぽくて、それはそれで気に入っていた。

これから登場するweb 3.0はおそらく実用的だが、web 2.0のようにオープンではないし、web 2.0のような狂った祝祭的感覚もないだろうから、あまり語り好きの人々の話題に上ることもないだろう。そしてweb 2.0の狂った熱狂は、技術的な熱狂期に人生のピークを重ねた人々によって、ノスタルジックに語られるようになるに違いない。フリーソフトが流通していた時代のPC文化だとか、マルクスや少年マガジンを小脇に抱えつつ政治を論じていた学生文化のように。

成熟とは素晴らしいことだが、退屈な場合も多い。退屈になりきらない偉人もいるが、そういう人は希少だからこそ偉人として尊重される。人類は月の次に木星を目指したりしなかったが、通信衛星や気象衛星などは当たり前のように現在の私たちの生活を支えている。そこに情熱的なドラマを見出すのは難しいが、サターンVよりもずっと洗練されている。web も今や成熟した産業であり、重要ではあるが保守的で地味な分野になっていくだろう。かつての鉄道のように、かつての自動車のように、情報通信はあこがれの存在から空気のような存在になっていくだろう。

さて、その次には何が来るのか。いま最右翼にあるのは生命技術だけれども、それが爛熟期を迎えるころには、チャペックが初めてロボットを描いた時のように人工生命の創造に手を染めたりするんだろうか。シド・ミードが描いたような退廃的な都市風景はないにしても、レプリカント的なものを生み出したりするんだろうか。あるいは、生命技術は最初から補助臓器のような地に足の着いた地味なもので満足するんだろうか。まあ、そのあたりは分からない。

映画「メトロポリス」に現れたような流線型の未来型車両が、空想の産物ではなくて当時実際に流行した鉄道車両をモデルとしていて、蒸気機関の末期には時速200kmを超える機関車も登場したなんていう話もしたくなったが、それはまた別の機会に取っておこう。

ある程度人生が長くなると、自分が子供のころの出来事が、歴史の一幕と思える程度に昔の出来事になる。隆盛を誇った文化が成熟して焚火から炭火のように変化していく様子も目に見えるようになる。私はまだアポロ計画が終わりきらないうちに生まれたけれども、自分が生まれる前にアポロ11号が月に到達してしまったことを悔しがるような時期があった。大阪万博が終わってから生まれたことを悔しがるようなこともあった。

twitterに間に合わなかった世代が果たしてそれを悔しがるような時代が来るんだろうか。あんまりそういう気がしないのだけれども、web 2.0の熱狂をノスタルジックに語る世代に育てられた子供は、ひょっとすると規制に縛られることで実用的になったweb 3.0に失望して、あるいはそういう懐古的な悔しがり方をするのかもしれない。

安倍総理率いるネトウヨたちの粋がりも、日清・日露戦争の熱狂に乗り遅れたことを悔しがっただろう昭和初期の青年将校たちと同じで、まあだいたいそんなあたりに位置しているんじゃないかと思う。戦争が大嫌いだと思っている私でも、子供のころには飛行機に乗って銃撃しまくるゲームで遊んでいたし、歴史小説で捨て身の総攻撃をするシーンを読めば、ちゃんとアドレナリンが噴出してきて、作中のBerserkerたちに感情移入できる。結局、ホモサピエンスのオスというのはそういうふうにできている。ディテールの汚さが忘れられる時代になると、こういう揺り戻しはある程度必然なんだろう。

今から20年後、web 2.0の熱狂があった「古き良き時代」を懐かしむ作品が作られ、時の若者たちはそれを見て白ける。更に30年後、その作品が半ば史実としてサブカルチャー好きの若者の憧れの対象となり、せっかく成熟したweb 3.0に対して、フラット化したwebの再興を謀る過激派が現れる。そういう時代の循環が見られるなら、それはそれで楽しそうではあるが。

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by antonin | 2014-07-06 23:00 | Trackback | Comments(0)
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