by antonin
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PC遠隔操作事件のアレ、長すぎるだろうという気がするが、まだ整理がついていない。 当時思っていたのは、一般的な冤罪問題としてではなくて、遠隔操作による犯罪予告という警察組織への挑戦的犯罪が、あたかも社会全体に対する挑戦的重大犯罪であるかのように報道され続けている、そのあたりへのイライラだった。STAP細胞みたいな未熟な論文が、未検証の段階でなぜいきなりあんなに大きく報道されたのか、というあたりにも似た違和感だった。 ただ実際のところ、保釈中のあの工作が発覚するまでは、8割くらいの確率で冤罪だろうと考えていたので、それが冤罪ではないと判明したとき、それまで持っていた、警察組織の国民個人への恨みによる悪質さの誇張があるという感覚が、どの程度まで「騙されていた」ことによるものだったのかという切り分けができていなかった。そして、今もまだその切り分けは完了していない。 冤罪でない場合、ではあの身柄拘束と報道の仕方は正しかったのか、という問題はある。身柄拘束については他の犯罪でも警察と検察に確信がある場合に同様なのだとしたら、問題は刑事起訴手続き一般の話になって、遠隔操作事件に固有の問題ではなくなる。あの事件に固有の問題というのは、猫カフェ情報あたりを含めた報道へのリークの仕方だけということになる。 事件の発端として、自白の証拠採用と、調書の勝手な作文が冤罪を生み出しかけたという根本問題はある。ただ、遠隔操作事件が特徴的なのは、「ネット上の犯罪予告により警察の業務をいたずらに妨害し、またその容疑者に対する不正な手続きを明るみにしたことで警察に恥をかかせた、容疑者個人に対する公権組織側の恨みによる執拗な反撃」と解釈できたからで、その部分が仮に全て妄想みたいなものだったのだとすると、当時の憤りの理由が根本から消えてしまう。 ただ、本当にそれで「騙されていました、今後は気を付けます」で納得できるのかというと、そうでもなかった。やはり、PC遠隔操作事件の特異的な部分は、新奇なサイバー犯罪というあたりではなくて、犯罪予告を利用した「警察への挑戦的犯罪」の中でも、一段と高度で、なおかつ途中までは成功したものだったからだ。 前後して袴田死刑囚の一件などがあって、遠隔操作事件のほうも確かに冤罪事件の範疇で捉えることもできたし、遠隔操作された側の人達の扱いで、確かにそういう実例もあった。冤罪は許されるべきではないが、そうは言いながらも、そこはどうしても確率的なものになるで、凶悪犯を無罪放免にするリスクと常にトレードオフの関係にある。ただ、そういう場合、弱い個人の側に有利であるべき、というのは憲法の文面にも近い立場になる。けれども、そもそも「犯罪予告は本当に凶悪犯罪なのか」という根本的な問題もある。 直後に起こった女児殺害事件の犯人逮捕の話を絡める人もあったけれども、冤罪リスクの話は別として、そこには警察に対する挑発は無かったので、同じ議論には乗らないという風に考えていた。同じ議論に乗せるなら統計プログラムで馬券を買ったら多額の追徴課税が来たという話のほうで、権力組織が自己保身のために、法令の解釈拡大によって国民個人への攻撃をできるようなら、それはマズいな、という感覚だった。 けれども今回、その攻撃された国民個人が明確に犯罪者と判明してしまった。しかも、その犯罪が権力への悪意による攻撃だということになった。この場合、どの程度まで個人の側を擁護できるのだろうという限度が見えなくなったし、まだ見えていない。涙を流した弁護士の気持ちがわかる。 以前、原発を扱う技術者も人の子なのだから、あまり極度に締め上げられたら正しいリスク開示ができなくなるし、そういう状況が軽水炉安全神話の発生と福島第一原発の爆発を招いた一因だ、というようなことを書いた。同じように考えるとするなら、犯罪予告を過度な執拗さで取り締まる警察の行動も、半分は警察に原因があるが、警察官も人の子なのだから、犯罪予告がありながら殺人事件が起こるのを許してしまった場合、極端に警察を責める市民の側に原因の半分があるということになる。 警察や検察という官僚組織が組織的保身行動に走るのも、原発の一件と同じで日本国民全体の懲罰的傾向が原因だ、という話になる。けれども私は、遠隔操作事件の真犯人を追い詰める検察の行動や、そこに至る警察の調査行動を、懲罰的に批判していた。私もまた大組織に対して懲罰的な日本国民の一人に過ぎなかったということになる。 要するに、自分の行動が自分の批判する日本人の行動そのもだったということを受け入れられないというのが、整理の付かない理由の核心かもしれない。自分の愚かさを認めるほど悔しいことはない。そして、まだ例の話の整理はついていない。ということは、私は自分の愚かさを認められるほどには賢くはないという結論になる。残念な話だ。
by antonin
| 2014-08-03 03:51
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