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安敦誌


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自分のアタマで考えざるを得ない生き方

数式の変換過程だとか、将棋の読み手だとか、そういう作業経過を覚えておく短期記憶に困らない人というのは脳の海馬が大きいらしいのだが、そういう人はきっと記憶の構造が違うのだろう。自分はどうやら海馬が小さいので、記憶というのは丸暗記ではなくて、たとえ嘘でもいいから何かしらの意味付けが必須だった。そうして、短期記憶をなるべく経由せずに、新皮質側の連想記憶でものを覚えていく。そうすると記憶は意味論でしかできなくなるから、細かいディテールは消えて、「だいたいこんな意味のことだった」という記憶の集合体になっていく。

私はこういうものの覚え方しかできないので、どんなに些細なことでも、学習というのは意味の考察とほとんど等価だった。理由、構造、関係、そういったものを、とりあえずでもいいので発見しないと記憶にならなかった。これが、小さい海馬を持って学校のようなものに通う義務を課せられた人間が、考えざるを得ない生き方をしてきた主な理由だった。覚えにくく忘れにくいので、定期試験には弱く外部模試のような出題範囲の広いものには強い傾向があった。

もちろん、特段の理由なんて無いんだからとにかく反復で覚えるしかない、というものもある。そういうことも全く不可能ではなかったが、非常に不得意だった。得意なのは、どうしても理由付けが可能なものになった。何事も既存の記憶に関連付けられるような、理由や背景や構造を必要とするので、ときには普通の人が気付かないような本質的な理由に気付くこともあったが、一方で、妄想に近いようなこじつけの理由付けで記憶されるようなことも多かった。記憶するためには既存の記憶と連合する理由付けが必要なだけで、それが必ずしも客観的な正しさと整合する必要はなかった。

どうしてそんなことまで知ってるの、というようなことを呆れたように言われることもあるが、たいていはそういう理由探しからトリビアルな情報にたどり着いたという経緯だった。そこまでしないとものが覚えられないので必要に迫られてやっているのと、単純にそういうのが楽しいからというのと、両方だった。

海馬の大きい人は「まずは深いことを考えずに記憶してみるといいよ」と言うし、海馬の小さい人は「とにかく自分の頭で考えてみよう」などと言うのだが、こういうものにはおそらく生まれつきの向き不向きがあって、自分の脳の器質に合わない方法を使ってみても、きっとその提唱者のようにはうまくいかない。憧れる人というのは自分にはない能力を持った人であることが多いが、近親憎悪みたいな感情があっても、結局は自分に似たタイプの人に倣うのが効率がいい。顔かたちと違って、脳の機能というのはまだ簡単に弁別できる時代ではないので、画一的な学校教育が続いている日本のような国では、本当に自分に合った学習や考え方のスタイルを見つけ出すのは簡単ではないだろう。

現代日本が苦手だとは言いつつも、記憶が外部化できる時代に生きていられるというのは、海馬の小さい人間にとっては非常に助かる。抗生物質の使い過ぎで免疫系がバカになって花粉症などを起こしているが、それでも現代医学がない時代に生まれていたら、結構な確率で成人前に死んでいただろう。まあ、現代でも精神的に生きづらくて死にそうな20代を送っていたのではあるが。学校というのは記憶重視の時代の方法論がまだ色濃いので困った環境だったが、社会というのはもうちょっとだけ自由なので、そのあたりで救われた面はある。

もしも人工知能というものができたならば、それはおそらくディープニューラルネットワークのような低水準からの脳のシミュレータではなく、もっと現行検索エンジンに近いユニットを多数相互接続して作られた分散ネットワークのようなものになるだろうから、現行のデータベースには直結できて、人間の海馬に相当するような機構はいくらでも強くできるだろう。むしろ、詳細な記憶に支配されすぎてローカルミニマルみたいなものに拘束されないように、詳細すぎる記憶を能動的に遮断するくらいじゃないと正常に動かないかもしれない。詳細記憶に支配されすぎると、おそらくアスペルガー症候群のような動作になってしまう。

ムスコ1号は私によく似て、ワーキングメモリーが非常に小さい。立体図形の脳内回転などの操作が得意な一方で、文章の読み書きが苦手で、作文などでは非常に苦労している。平時はとても穏やかだが、一線を越えると突然キレる。このあたりも私の子供時代によく似ている。考えることを重視した画一的なゆとり教育から、反復を重視する画一的な陰山メソッドに移行した現在の学校教育とは相性が悪く、問題児扱いされて苦しんでいるようだ。

一方、ムスコ2号は記憶力抜群で、特に教えてもいないのに文才があり、兄とは非常に対照的な脳のつくりをしている。物わかりはいいが、自分が譲った不満はなかなか忘れてくれない。春から小学校に入るが、学校ではうまくやっていけるタイプだろう。ムスメは私の父に似て、攻撃的で頑固者だが、寂しがりやである。私は父を見て育ってきたのでこういう性格は嫌いじゃないが、ヨメはどうにもこういうのが苦手らしい。

たった3人しかいないうちの子供たちが、恐ろしいほどに三者三様なので、あまり親の立場で正確なアドバイスはできないが、できればたった2人しかいない親の意見に影響されすぎず、なるべく大勢の大人の意見に接するようにしてもらえたらいいんじゃないかと思う。学校の教室というのも、小学校の場合はたった1人の担任教師しかいない閉鎖空間なので、中学校以降のような教科別教員のいる学校へ進んだ方が生きやすくなるんじゃないかと思う。どんなに品性に優れた教師でも、数人の生徒には必ず嫌われるし、どんなに下品な教師でも、数人の生徒には慕われる。結局、人にはどうしようもない相性というものがあって、このあたりは親兄弟であっても例外ではない。

世界というものは、家庭や学校なんかよりずっと広いものなので、あんまりがっかりせずにいろんなものを見ていってもらいたい。

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by antonin | 2015-03-06 03:57 | Trackback | Comments(0)
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