安敦誌


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アメリカのプロテスタント的な部分

塩野七生さんの「ローマ人の物語」は書店で平積みになっている第一巻の初版を買った覚えがあるのだが、引っ越しのどさくさか何かで無くしてしまった。それでそのまま読まずにほったらかしになっていたのだが、あるとき文庫になったのでそれから通読したのだけれど、あれを読んで、アメリカ合衆国という国が少しわかったような気がした。

アメリカ合衆国というのはフリーメーソンが建てた国で、個人的な理解では「修正ローマ帝国」なんだと考えている。実際の北米大陸にはフランス的な部分だとかスペイン的な部分だとか、もっと野卑なフロンティア精神だとかがいろいろと混ざっているけれども、地理的には東海岸にある国家の中枢には、フリーメーソン的な連邦政府の思想がある。共和党は寡頭制の頃を理想としている風があって、一方の民主党には初期帝政の、市民と護民官(ただし終身制ではない)というあたりを理想としている感じはある。けれども、どちらも基本的に軍事的強権で自由経済圏を守るというローマ帝国の理想を共有している気はする。

ローマ帝国は王政とか共和制とか帝政とか、政体で分けることもできるけれども、日本人から見ると、国教が多神教の時期と一神教の時期で印象が全く違う。大統領は就任式で聖書に手を置いて宣誓をしたりしているが、基本的に信教の自由は建前として堅持されている。このあたりは多神教ローマと一神教ローマの中間的なものになっている。アメリカ合衆国は、ただ一人で公選制で4年の有期職の大統領を頂点に持っていて、そこに元老院(上院)と衆院(下院)が付いている。このあたりも共和制ローマと帝政ローマの中間的な体制になっている。共和制ローマには任期1年の二人の執政官がいて、帝政ローマには終身制の一人の皇帝がいた。

皇帝という広域国家のトップが終身制だと、選んでみたら実は無能でしたというときに暗殺するしか退位させる方法がない、というのがローマを衰退させる一因だった。コンスタンティヌス帝はキリスト教の宗教的権威を使ってそのあたりをうまくコントロールしようとしたらしいが、逆に息子のコンスタンティウスの代から早くもキリスト教司教の勢力が皇帝権より強くなり始め、西ローマ帝国が滅ぶとキリスト教会のトップが教皇となって君臨するようになってしまった。

そうして長くカトリックが続くのだけれども、聖地巡礼や十字軍などを通じてヨーロッパとオリエントの接触は細々と続いていて、古代ギリシア文化の実質的後継者となっていたイスラム教だとか、キリストを生んだ時代の名残りを伝えるユダヤ教だとか、あるいは東ローマの正教だとか、カトリックの常識が通用しない文化に接する人達に出会う。一番代表的には聖堂騎士団だとか病院騎士団といった、戦時だけではなく平時も絶え間なく巡礼者保護の活動をしていた修道騎士団なんだろうが、建築や美術を学びに行っていた石工などもそのうちに入っていたのだろう。

そういう中で、巡礼者の路銀を預かってトラベラーズチェック的なものを発行するところから始まった金融業が聖堂騎士団の中に起こった。そこから発展した、カトリックの戒律では禁制だった有利子融資の技法だとか、薬学も含めた化学だとか、構造設計のための幾何学だとか、そういうあたりが、信仰と権力の真っただ中にいるカトリックの司祭たちには理解されずに発達し、ヨーロッパでは迫害されながら徐々に秘密結社になっていく。それからユグノー戦争だの30年戦争だのフランス革命だのを経験しながら、最終的に新大陸に合衆国が樹立する。

新大陸を得て、秘密結社だったフリーメーソンは開放的に発展していくのだけれども、石工みたいな技術者の自由思想とは別に、カトリックの禁制を犯してキリスト教の起源に迫るプロテスタントの活動というものの中には、ローマ皇帝に祖国を破壊され、その後も迫害を受け続けたユダヤ教徒の怨念のようなものが静かに横たわっているように感じる。アメリカ合衆国にも、フリーメーソン的な科学的発想と個人の自由を愛する傾向と並行して、プロテスタント的な、カトリックの博愛を強制する態度に反発してユダヤ教に接近する傾向が感じられる。

ユダヤ教には、単に古い時代の「アブラハムの宗教」を伝える人々とは別に、国家を持たない民族の悲哀と怨念のようなものが潜んでいる。ヨーロッパでのユダヤ教徒のイメージというと、医者か学者か金融業者というステレオタイプがあるが、学者は別として、医者と金融業者というのは、人が困った時に頼る職業というところが共通している。いつの世でも、どこの土地でも、よそ者の「異教徒」として生きていた時代、医学や金融資産など、どんなに差別されようが最終的に人間が頼らざるを得ない技能を有する人間だけが生き残ることができたという、ある種の淘汰圧がユダヤ人のステレオタイプ的な「憎たらしいがきわめて優秀な人々」という像を作り出したように見える。

もちろん、カトリックの禁制が不合理で、異教徒だからその禁制を無視して、死体を解剖したり利子を取って金を貸したりという合理的活動ができたのだから、そのことでユダヤ人が力を付けたという見方もできる。しかし、カトリックの禁制も、単に権力の都合による抑圧というものではなくて、経済は停滞するとしても、弱者を守るための慈愛の精神というのが根底にある。ステレオタイプ的ユダヤ人の活動というのは、そういう慈愛を踏みにじって私利を追っているようにも見える。そこに財力への羨望が重なって、カトリック教徒からユダヤ教徒への差別や偏見が助長されたのだろう。

そういう差別の中で生き抜くために、ユダヤ人側もなりふり構わず合理主義を押し通すようになる悪循環のようなものもあったのではないか。信仰としてはあくまで誠実だとしても、キリスト教徒から向けられる嫌悪の情に対して、切り返し的とは言え、悪意の応酬もあったのではないか。大日本帝国時代の朝鮮人でも、移民導入後のフランスにおけるマグレブ人でも、彼らが暴力的だとか悪意に満ちているだとか言うことは簡単だけれども、その遠因はやはり多数派の庶民が少数派の庶民へ無意識の差別をしていたというあたりにあるのだろう。

そういうわけで、一部のユダヤ人は歴史上の祖国を武力で破壊したローマ帝国の末裔であるキリスト教徒たちを憎んでいただろうし、そういう態度がヨーロッパのキリスト教がユダヤ人をより差別的に扱うという悪循環につながったのだろう。その頂点がナチズムからホロコーストに至る暴挙だったのだろうが、ドイツのキリスト教徒たちが嫉妬した資産階級のユダヤ人は相当部分が国外へ亡命し、一方でそういう資力もコネも持たないような社会的弱者のユダヤ人ばかりが、結局は殺害された。

最近の日本でみられる「嫌韓」も、何かそういった悪循環の一種にしか見えず、気分が悪い。そして、アメリカとフランスでは事情が違うにしても、イスラム教徒への偏見にもそういう悪循環が見えるし、キリスト教徒からイスラム教徒への悪意にも気分が悪くなる。ナチスドイツに迫害されたユダヤ人を多く受け入れて救ったアメリカ合衆国にしても、プロテスタントに潜むユダヤ的な憎しみの痕跡のようなものが共産圏の崩壊後に強く滲み出ているように見えて、やはり気分が悪い。

フリーメーソン的なあっけらかんとした個人自由主義は好きなのだけれども、「アメリカンドリーム」と呼ばれるような、天文学的な貧富の差を許す新自由主義というのは、ユダヤ的な、被差別の中で生まれた屈折した割り切りの痕跡のように見えて、あまり好きではない。ユダヤ人は別に嫌いなところは何もないけれども、かつて村上ファンド的に翻訳された「金を儲けて何が悪いんですか」という割り切った態度は、どうも好きになれない。儲かるのは美徳だけれども、儲けるのは悪徳だと感じる。この部分については、禁制の極端さは別として、ナイーヴなカトリックの心情のほうにむしろ好感を覚える。

また共産革命のような若者の暴動を誘発するまでこういう傾向が続くのか、ナチズムのような憎悪が渦巻くまでこういう傾向が続くのか、よくわからない。歴史に興味がある人たちはタックスヘイブンを規制しろだとか富裕税を上げろなどと言い始めているが、上げ潮派のような人達はまだまだ元気そうに見える。そういう人たちが必ずユダヤ人なのかというとそういうことはないのだが、その思想の根底には歴史上のユダヤ人たちの鬱屈があるようにも思う。

美術館が無料で開放されるとか、大学教育が無料で提供されるとか、そういう背景にはある程度ヨーロッパ人が血を見てきた過去の歴史があるのだけれども、そういう文化資本も市場に投げ出してしまう態度というのは、本来市場主義者であるはずの私にも理解しにくい。

ドイツにもトルコ移民などが入ってきていろいろの摩擦が起こっていたようなのだけれども、最近どうなっているのかという話をあまり聞かない。プライマリーバランスをプラスに振って負債を圧縮した原動力がどういう運動なのかというのも知らない。フランスの原子力偏重を横目で見ながら、フクシマを見て原発ゼロに舵を切ったらしいが、自然エネルギーを活用しながら電力輸出超過をどうやって維持しているのかという事情を知らない。

北欧の高福祉思想がほころびを見せている中で、やっぱり米国主義、ということではなく、枢軸国の悪夢を連合国に思い起こさせない程度に、今の日本が参考にすべきは再びドイツという気がしているのだが、どうもマスメディア経由ではドイツ関連の情報が取りにくい。日本語世界にドイツ語の情報が少ないのが、単に商業的需要の反映なのか、あるいは枢軸国の復権を嫌うユダヤ資本が支配しているというマスメディアの陰謀というオドロオドロしいものなのか、そのあたりはなんともわからないが、「修正ローマ帝国」の西部前線にある列島の住民として、東部前線にある地域の動向が少し気になる。

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by antonin | 2015-04-08 02:23 | Trackback | Comments(0)
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