安敦誌


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一市民の宇宙論

今日は風邪をひいて一日中眠っていたので、まだ眠れない。
眠れぬ夜の友に、先日購入した「ホーキング宇宙を語る」を読んだ。
すると、学生時代に考えていたヨタ話を思い出して、いろいろと考えてしまった。



当時図書館で見つけて喜んで読んでいた本に「ライフゲイムの宇宙」というのがあって、パーソナルコンピュータ誕生以前のメインフレーム機に触れることのできた学生たちに一大ブームを巻き起こしたというライフゲームについて説明する本があった。

ライフゲーム(Game of Life)というのは、こちらなどに紹介されているようなもので、本来は生物の繁殖をシミュレートするものだった。生命のゲームであるからライフゲームというわけである。ルールはシンプルで、ある生物のまわりに、「同種の生物が多すぎると(食糧不足などで)滅亡してしまう」そして「同種の生物が少なすぎても繁殖ができずに滅亡してしまう」というルールを設けた。これだけでは生物は減る一方、最善でも一定数量を保つだけであるので、「周囲に適度な数の生物がいる点には新たに生物が増える」という条件を付け加え、生物群がどのような繁栄と衰退を見せるか、そして最大の繁殖を見せる条件が見られるか、というところを探るようなものであったらしい。

ところが今日一般に「ライフゲーム」といえばコンウェイという学者の設定したルールに従ったものを指し、生物の繁殖シミュレーションとは一味違ったものとなっている。前掲の「ライフゲイムの宇宙」でとりあげられたのもこれである。実際コンウェイは有名なライフゲーム以外にも多くのルールを試したらしいが、有名になったライフゲームのルールはいくつかの優れた特徴を持っていた。

ひとつは、極めてシンプルなルールで非常に多様な結果を生じるという点である。ライフゲームはオセロや囲碁に似た外見をしているが、オセロや囲碁が「白」、「黒」、そして「無」という3つの状態を持っているのに対し、ライフゲームでは「無」と「有」の2つの状態しか持たない。さらに、初期状態の設定以外に外部からの干渉を必要としない。つまり、人間のようなプレーヤーが毎回手出しをしてやる必要がない。そういう意味では、ゲーム(試合)ですらない。

こんな単純なものがどうしてブームになったかというと、単調すぎてコンピュータにしか実行できないような単純なルールが、実に多様で面白い世界を見せたからである。たとえば、r-pentomino(アール・ペントミノ)という、たった5つの「有」状態の並びからできた模様が、1103ステップに及ぶ周期的でない変化を作り出す。なお、ライフゲームでは生物繁殖という本来の定義に照らして、ステップの代わりにgeneration(世代)という単位を使うことが多い。

単純なルールが多様性を生み出す過程は、今では物理学の重要なテーマのひとつとなっていて、一時流行した「カオス」や「フラクタル」などのキーワードを軸に研究が進められている。単純で、かつ決定論的な(ある時点の状態が1つに定まれば、その後の状態も1つに定まる)ルールを持ったライフゲームが、予測不能とも言える複雑な結果を生む事実は、複雑にできている私たちの宇宙の法則も、簡潔な法則に還元できる可能性を示してくれたことになる。

他にも、「どこまでも移動する初期設定が存在する」とか、「無限に増殖する初期設定が存在する」といった性質をこのゲームのルールが備えていることがわかった。何から何まで初期設定で用意してやらなくても、うまく初期設定を用意すれば、あとは勝手に移動したり増殖したりする可能性を持っていることになる。

こちらのページにJavaアプレットで作られたライフゲーム環境があるが、左下のリストから特徴的な初期設定パターンを選んでステップを開始することができる。くり返し模様を見せるパターンも面白いが、リストの最初にある"Glider"(グライダー)というのが「どこまでも移動する初期設定」というやつで、初期設定以外にもランダムパターンの干渉の結果として発生したりすることがある。リストの最後にある"Gosper Glider Gun"(ゴスパーのグライダー銃)というのが「無限に増殖する初期設定」のうち最も規模の小さい部類に入るもので、周期的にグライダーを生成し続ける。

このように、よくできたパターンを組み合わせていくと、驚くほど複雑な構造をライフゲームのマス目の上に作り出すことができる。「ライフゲイムの宇宙」の中では、ORだかANDだか忘れたが論理ゲートが作れることを紹介していた。このとき、グライダーが情報伝達を担う「粒子」として働いていた。

ここでようやく宇宙論の話に戻れるのだけれど、量子論の世界にはゲージ場というのがあって、ある粒子の周りに引力や斥力を生じる「場」が取り巻いている。その「場」で生じる力は、実は粒子同士がゲージ粒子というさらに細かい粒子を交換することによって生じるのだという。

私は数学が苦手で、ゲージ場理論の本当のところは知らない。ニュートンの時代よりこちらの物理学は、数式によって記述できたときに初めて厳密な理論になるのである。数式を読めないでは理論の真髄を理解することはできない。そういうわけで、ここから先は一市民のヨタ話というわけである。

ヨタ話宣言をした勢いがあるうちにこの話をしておこう。アインシュタインの相対性理論前夜の宇宙観に欠かせないものとして「エーテル仮説」がある。当時は、光を含めた電磁波が進行方向と直角のエネルギー振幅を持った「横波」であることがマクスウェルの理論といくつかの傍証で確信された時代であって、横波の伝達には何らかの「媒質」が不可欠だということになっていた。

このエーテル仮説は、マイケルソンとモーレーの有名な光速度測定実験によって「否定された」というのが一般的な科学史の認識であるように思う。ところが、よく調べてみると、エーテル仮説は否定されたのではなく、アインシュタインが提唱した相対性理論によって「必要がなくなった」というのが真実であるようである。否定されたのは「エーテル中を進行する慣性系では進行方向とそれに垂直な方向で光速度が変わる」という仮説であって、エーテルの性質に関していくつかの修正を認めれば、エーテル仮説そのものは否定されないのである。

一般的な科学史観に対して違った見方を導入すると、即ち「トンデモ」であるケースが多いので、ここは慎重にならざるを得ないが、ホーキングの本を読んでも他の資料を見ても、エーテル仮説は「否定された」のではなく、「無用になった」というのはかなり確からしいようである。

エーテルを「電磁波の媒質」から「絶対空間」と置き換えてみると、ローレンツが提唱したような理論(ローレンツ収縮など)を援用すれば、エーテル仮説は否定されない。むしろ、それ以前のエーテル仮説を証明しようとしたマイケルソンとモーレーがそれに失敗した、というようになる。ここでは慎重に補足しておく。ここで言う失敗とは、実験の結果に誤りがあるという意味ではなく、光速度差の測定によりエーテルの存在が実証できるだろうという見込みが誤りだったという話である。

「実証できなかった」というのは、「否定された」ということとは別の意味を持つ。相対性理論によって全ての慣性系は相対的になった。言い換えると、絶対的な静止座標があっても他の慣性系と区別が付かないということである。区別が付かないということは数式で表された理論には登場しないことになるから、論じる必要がない。したがって、エーテル仮説は無用の長物となったのである。ただし、絶対的な静止座標が無限にある慣性系のひとつとして混ざりこんでいても、問題とはならないのである。そういう意味でローレンツにより修正されたエーテル仮説は否定されていない。

なぜそうまでエーテル仮説、あるいは絶対座標にこだわるのかといえば、これらが否定されてしまえば私たちの世界でのゲージ粒子が、ライフゲームの世界でのグライダーのようなものである可能性が否定されてしまうからである。逆にそれが否定されないとなれば、私たちの世界が静止したグリッドに並べられたコインの表裏にまで還元される可能性があるということである。

私たちの世界がライフゲーム上に実現できるかというと、そうはいかないだろう。コンウェイのライフゲームは本質的に2次元のルールしか持たないし、今のところ「質量」という属性を持ったパターンは発見されていない。逆に言えば、3次元に拡張したライフゲームを慎重に吟味して、私たちの世界で発見された素粒子と似たような性質を持つパターンが存在するようなルールを発見することができれば、それは大変なことである。

もっとも、そういった、世界の根源に触れるような発見がなされるまでにはまだしばらく時間が掛かるだろう。一番厄介なのは、私たちが素粒子と呼んでいるものが、本当に「素」と言える粒子なのか、という問題である。「原子」という名前が示すとおり、もともとは原子こそが物質の最も原始的な姿と考えられていた。ところが原子は、"atom"(「分けることができない」というギリシャ語に由来する語)という名前に反して、原子は原子核と電子に分けることができた。当初、原子核は陽子の集まりと考えられていたので、すでに百種類近く発見されていた原子が陽子と電子の2種類に還元されたのは喜ばしいことと歓迎された。

ところが原子核には中性子も存在することがわかり、湯川の理論により中間子が予想され、さらには粒子加速器の進歩によりハドロン(重粒子)やレプトン(軽粒子)と分類される多数の粒子が見つかった。その後、ハドロンは6種類のクォークに還元できることがわかったが、それでもそれが真の素粒子であるという保証はどこにもない。将来、技術の進歩によりクォークやレプトンの内部構造が見つかる可能性も否定できない。

そうは言っても、「真の素粒子」というものがあったとして、その姿は観測可能なものなのであろうか。私たち人間は、私たちの宇宙の中にいて、この宇宙の法則に従って生きている。そして、この宇宙に存在する「もの」を使ってしか素粒子の姿を観測することができない。

コンウェイのライフゲームのグリッドを想像を絶する規模まで広げたときに、そこに知的生命が存在できると仮定しよう。人間は数十兆個の細胞からなっているし、体重が60kgとすれば陽子・中性子が3.6 x 1028個ほど集まっていることになるので、それ以上の規模のマス目を用意することになる。もちろん、地球や太陽系や銀河系や銀河団を表そうと思えば、それなりの規模を用意しなくてはならない。

ホーキング氏のように人間原理から2次元世界では知性を生むような多様性は実現できないとおっしゃる方もいらっしゃるかもしれないが、そういう方は3次元に拡張したライフゲームを想像していただきたい。ともかく、その世界ではグライダーのようなパターンが素粒子のひとつとして重要な役割を果たしているとしよう。

ライフゲーム上の知的生命体がグライダーを観測することができたとき、グライダーが4つの離散的な位相を持っていることは、他のパターンと衝突したときの結果の違いなどから観測可能かもしれない。また、他のパターンとの衝突が可能な範囲などから、3 x 3マス程度の範囲の大きさを持った粒子であることが観測可能かもしれない。(それが3 x 3のマスから成っているかを知ることができるかどうかは別として。)

ところが、世界の最小単位としての1マスを観測したり、グライダーの真の姿、つまり、
b0004933_4424087.gif

こんな形を観測することが可能だろうか。言い換えると、グライダーのパターン(=観測対象)を限りなく拡大したパターン(=観測結果)に写し取るようなパターン(=観測手段)は存在するだろうか。

ライフゲームの外側にいる、つまり「神」のような立場にいる私たちからはグライダーの形が一目瞭然だが、ライフゲームの中にいる知的生命体からは、原理的に観測不能である可能性がある。これは、私たちが私たちの世界の真の素粒子を厳密に観測できない可能性を示唆している。現に量子物理学の世界では、物理量を一定の誤差をもってしか測定できないという不確定性原理の壁が存在している。(正確にはふたつの物理量の誤差の積が一定以下にできないという原理。一方の精度を犠牲にすれば他方の精度は高められる。)

こんなときに有効な唯一の方法が、仮説を立て、シミュレートすることである。ライフゲームの住人が、彼らに利用可能な道具を使ってグライダーと同じものを(彼らに十分観測できる寸法で)作り、あるルールでそれを動かしたときに、素粒子としてのグライダーと同じ振る舞いを見せたとしたなら、グライダーの内部構造を説明できたことになる。ただし、それはあくまでも「説明」であって、それと同じ内部構造が実験的に観測されない限り永遠に「証明」されない。たとえば、グライダーと全く同じ外部作用を示すという意味で等価ではあるものの、内部構造として素粒子としてのグライダーと全く似ていないモデルを彼らが立てたとすれば、それは決して否定されない。もちろん、"Lightweight Starship"(軽量宇宙船)など、他のパターンの性質も説明できる普遍性は求められるが。

この思考実験は、実験でこの世界の全てがわかるとは限らないという可能性を示す。さらに言えば、ライフゲームの中の生命体は、その「外の」世界について、全く知ることができないことになる。「ルール」「初期状態」「グリッドの大きさ」が全く同じなら、そのルールを実行するシステムがなんであっても、ライフゲームの中の世界には全く影響を与えないからである。例えばそれがパソコンであっても、スーパーコンピュータであっても、量子コンピュータであっても、あるいは根気のある人が鉛筆と消しゴムで紙の上に描いたのであっても、ルールが守られている限りにおいては、同じ初期状態から発したライフゲームの進行は全く同一のものになる。

もっとも、私たちが仮に神のような存在としてライフゲームのパターンを眺めるなら、あるステップでライフゲームの進行を止めて、そこにあるパターンに細工をして彼らの「運命」をもてあそぶことは可能である。ルールと初期状態を与えた「創造主」であるからこそ、気まぐれにそのルールを破ることも可能なのである。「全智」であるかどうかは別として、基本的に「全能」であることは可能である。

私たちが何らかのライフゲームに似た世界の住人と考えると面白い。私たちから決して「外の世界」や「創造主」を見ることはできないが、逆は可能なのである。グリッドの上で、ひときわ目立つような動きを私たちが見せたならば、それを眺めた創造主が面白がってルールを破り、私たちに干渉してくることは可能なのである。

私は旧約聖書にあるような、あるいはホメロスの歌にあるような神と人間の関係は信じない方だけれども、人間の動きに興味を持った「外の世界の何者か」が私たちの世界にちょっとしたいたずらをすると考えれば、それはそれで楽しい。

私たちの世界の素粒子の挙動を説明するような、ライフゲームに類似のルールの発見には本当に興味を持っているし、もしそのようなものが提唱されれば、物理学の世界に新たな可能性を開くだろう。いつのことになるかわからないが。


こういう毒にも薬にもならないヨタ話をできるのも、目立たない一市民のBLOGの良いところだろう。もう朝になった。身支度をして仕事に出よう。

参考:"The science and the life of Albert Einstein"より「ハイゼンベルクの不確定性原理
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by antonin | 2005-04-08 06:04 | Trackback | Comments(4)
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Commented by ble_n_dy at 2005-04-11 23:48
( ゚ ρ ゚ )ボーーーー  1回読んだだけでは、ヽ(´∞`)ノ アウアウ?....
きっと、リアルの世界では、会話することもないような、ぶれとは別世界にいるんだろうなぁ。難しいこといっぱい知っているあんとんさんて凄い!
Commented by antonin at 2005-04-12 01:48
>ぶれ様

いつもコメントありがとうございます。元気づけられます。
こういう文章を物理科の学生あたりに読ませるとメキョメキョに叩かれたりするんですよね。コッソリやってます。

難しいこと、とおっしゃいますが、興味のあることは延々考え続けたりすることができるもので、才能の壁にぶつかって停滞することはあっても、それなりの論を人は持っているものです。

ぶれ様のところの、「声」に関する話などはちょうどそんな論が表に出ている感じがして、感心します。私はボーカルの入った音楽をほとんど聴かないのでチンプンカンプンですが、すごいなぁ、と思います。
Commented by トンタマパール at 2014-06-08 16:51 x
始めまして。難しいことはわかりませんが、宇宙は単純な仕組みが複雑な結果を生み出している。複雑な結果の世界だけど、その背景には単純があるのだと思います。化学には無縁の素人宇宙論ですけど気が向いたら読んでみてください。トンタマパールで検索すると、宇宙のしくみ、と出てきます。
Commented by antonin at 2014-06-20 00:15
>トンタマパールさま

リンク先、拝見しました。
読んでみて理解できたかというと、理解できませんでした。が、考えているテーマが私自身がときどき考えてきたテーマと重なるので、興味深く拝見しました。
そして、なんでしょう、実に素晴らしいプレゼンテーションセンスですね。見ていて楽しくなります。非常に惹きつけられます。文字の配色も図像のレイアウトも素晴らしいです。
オートマトンみたいなモデルで考えた場合、過去と未来の状態が全単射の関係にない限り未来は状態数として減少していくんですが、そういう記述もあって興味深く読みました。カッコ内はやっぱり理解できませんが。
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