安敦誌


つまらない話など
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受想行識亦復如是

※ 読む人も少ないだろうから、人間の知能を五蘊に分解する考え方の説明は省く。

以前は、「いわゆる人工知能」の下層(「受」「想」のあたり)までをコネクショニズムで実現し、「行」については従来通りチューリングマシンが受け持ち、「識」は人間が専有するのが良いのではないかと思っていたが、最近はやはりコネクショニズムで五蘊の全域をカバーし、下層の一部に古典的なチューリングマシンを組み込むのが良いと思うようになってきた。

ヒントン先生は教師なし学習するネットワークを下位に組み込むことでバックプロパゲーションの限界(多層化が認識率向上に寄与しないという問題)を打破したけれども、そこで用いた、「より少ない内部情報で、より多くの入力情報を再現する」という基本戦略にはかなり汎用性があるのではないかという気がしている。

最近話題の「人工知能」が出来るようになったことというのは、「色」(センサー)から取得した生情報を単純にフィルタリングしてエッジ情報などの特徴要素を抽出する「受」(シグナルプロセッシング)と、そこから何が見えているかを判定する「想」(コグニション)までの部分で、特に「想」の部分が従来のディジタルプロセスが苦手としていた部分になる。

何があるかを認識できている状態(想)が外部から与えられた場合に、そこから次にどうすべきかを判断する「行」の部分を実行するのが、古典的なチューリングマシン上のプログラムだった。だが、FORTRANの昔から「自動プログラミング」の名のもとにいろいろの研究が行われてきたものの、チューリングマシンがプログラムを本当の意味で自動生成するには至っていない。

であれば、「いわゆる人工知能」に至るまでには、「行」のレベルもコネクショニズムによる自動学習をするしかないように思う。コネクショニズムによる行のレベルの実現に成功すれば、その延長上に「行」のコントロールを学習する「識」の実現も見えてくるし、場合によっては「識」のコントロールを学習する、超人的知能の実現も見えてくる。

自明な「色」のレベルや、さほど可能性の幅が広くない「受」のレベルでは、パーセプトロンやバックプロパゲーションの世代でも破綻しなかったくらいで特に大きな問題はないが、現在のディープラーニングが実現している「想」の水準の上に「行」の水準を乗せるには、ある程度新しい技術が必要になるだろう。そしてそれはおそらく、google翻訳が導入しているような「注意」の機能、つまり文脈を特定し保持する機能になるだろう。

上層(入出力から遠い層)は下層(入出力に近い層)から得られるパターンを認識し、統合的な「解釈」を得る。そして、その解釈パターンを文脈情報として下層にフィードバックすると、下層は一時的に解釈に沿う認識を優先させるようになる。入力が多義的にとらえられるような曖昧なものである場合、上層から与えられる文脈情報(解釈)によって認識率が上がるだろう。ただし、解釈が間違っていると「勘違い」の状態に陥る可能性が上がる。勘違いを避けるには、より広い周辺情報の認識が必要になる。

「この流れでは、この情報をこう解釈するのが当たり前」という感覚が人間の認識には付きものだが、上層が下層へ認識をフィードバックして情報の取捨選択を制御することで、カクテルパーティー効果のような認識率向上が望めるだろう。このことで人工知能はおそらく「より人間的」になるだろうが、また一方で、「より凡人的」になるだろう。

先日、ソフトウェアが将棋囲碁で名人をコテンパンにしたが、現在の将棋囲碁ソフトはおそらく、分厚い「想」と、薄っぺらい「行」があるだけで、「識」は全く無いはずだ。「想」というのは、とにかく対戦経験を積むうちに磨かれる、盤面状態に対する「直感」であり、統計的な「定石」の判断や、中盤での「大局観」もこの中に含まれる。眠る必要もなく疲れも知らないソフトウェアは、ソフトウェア同士の対戦も含め異常に多くの経験を積んでおり、「想」のレベルでの蓄積は超人的に分厚いはずだ。

一方の「行」はというと、「最終的に勝つ」という自明な目標に加え、「終盤は詰めに持ち込む」だとか、ごく基本的な理屈を除けば、現在のソフトウェアではあまり複雑な目標は持っていないはずだ。ルールを守るのに最低限必要なもの以外の目的を排除したほうが、人間で言うところの「無心」になることができ、「想」の水準での直感的な学習が研ぎ澄まされていくはずだ。

人間はというと、「今日はこの戦術で行こう」だとか「この手筋なら相手はこの戦術に持ち込もうとしているはずだ」という「行」のレベルの思考をいろいろとやっている。このことによって、「想」の水準の認識に文脈情報を与え、ある特定の文脈での認識率を高め、効率向上を図っている。しかし、それは「プロ棋士の常識」であっても、将棋のルールが与える全空間での認識率を高めるとは限らない。常識外の認識率を落としている代わりとして、常識内での認識率を上げることが可能になっている。

しかも人間の場合、「この局面でこう戦術変更したら、師匠の助言に逆らうことにはなりはしないか」というような、「行」の上にある「識」までが雑念として邪魔をしてくることもある。ソフトウェアには今のところ「識」はない。「ソフトウェアが名人を倒してしまって良いものだろうか」とか「こんな手は失礼には当たらないだろうか」という葛藤をするための機能は、おそらく実装されていないだろう。

こういう人工知能は、非人間的な厳しさで特訓され尽くした5歳児のようなもので、特定分野について天才的な能力を持つ一方で、普通の大人が持つバランスの取れた人格は未成熟、あるいは全く無いような状態になる。天才型の究極といった形になっている。上位の認識結果が文脈情報として下位の認識をコントロールするということが人間的に曖昧な情報を処理するための鍵となるが、一方で「上位の認識」が過去の学習対象に対して硬直的過ぎると、文脈情報が固定化されすぎ、下位の認識が単調になる。これが、発達した人工知能の「凡人化」の原因になる。

人工知能の凡人化を避けるには2つの方向性があり、ひとつは、ネットワークに割り当てるモデルニューロンを豊富にし、より幅広い解釈について学習させるという正攻法になる。もうひとつは、創造的な、しかし誤りに陥る危険を伴う方法で、複数のランダムな解釈パターンを下位層に送り、揺らぐ認識の中から最も良い解釈を探るという方法になる。前者は秀才的で、後者は天才的である。

上位層の解釈が下位層の認識を統合する作用であるとすると、創造的な認識というのは一種の脱統合ということになる。「行」がランダムホッピングして「想」の統合を解くのであれば、最終的に「アハ体験」みたいな創造的なアイデアが得られるかもしれないが、「想」がランダムホッピングして「受」の統合が解かれれば、幻聴や幻覚につながる可能性がある。

常識的な固定観念を緩める程度であれば天才的創造力を導出可能になるが、一方で、強烈な精神的ショックで自然な自明性を喪失するレベルになり、統合の乱れが「受」の階層にまで及ぶと、統合失調の様相を呈するのだろう。「想」と「受」の区別が恣意的なもので、実際のネットワーク上では連続的であることを考えると、「天才と気違いは紙一重」というのはそういうことなのではないか。

囲碁や将棋のソフトのような直感の塊のような段階を過ぎ、行や識の機能が実用的になり始める、「いわゆる人工知能」の初期段階では、まずは凡人的な、安定して常識的な認識が優先して求められるだろう。そういう常識的な人工知能が普及してくると、次には「コントロールされた狂気」であるところの統合緩和が行われ、人工知能が少しずつ創造的な発見や発明をできるようになってくるはずだ。

技術的課題を乗り越えて、そういう人工知能が現れるには、どう少なく見積もってもあと30年はかかると思うが、その時代に「人間にしかできないこと」とはなんなのだろう。疲れることと飽きることと、その周辺、といった具合になるのかもしれない。疲れることと飽きることが高度な学習にとって根源的なのであれば人工知能もこれを実装せざるを得ないが、実際はどうなのだろう。

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by antonin | 2017-05-02 03:26 | Trackback | Comments(0)
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