安敦誌


つまらない話など
by antonin
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責任のありか

尼崎の事故からしばらく経って、予想通り効率化のためにマージンを削り落とした様子が明らかになってきました。報道では「過密ダイヤ」と呼んでいるけれども、実際は過密、つまり時間当たりの本数が多いのではなくて、本来1時間半かかる区間を1時間弱で走らせるとか、そういう余裕の削り方だったようです。

参考:「たなか@さくらインターネット」より「ダイヤは過密ではない

その他にもJR西日本はいろいろと問題点が指摘されていますが、それはそれとして、ちょっと気になるところがあったので、長文を書いてしまいました。ヒマな人はご覧下さいませ。



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なにか、事件や事故があったとき、いつも「責任」のありかを求める話になる。これは妥当な話だと思う。人間社会は誰もが責任を持って行動することで成り立っているのだから。けれども、事件や事故の事後に責任の話を始めると、いつもドロドロとした感情論ばかりが目立ち、肝心な行動は遅々として進まないというパターンが多いような気がする。

それはなぜだろうかと以前から考えていたのだけれど、現在の日本で一般的な、責任の所在を求めるやり方が悪いからなのではないかと思うようになった。要は、根本的な考え方をちょっとだけ変えたらよろしいんじゃないかと思う。

たとえば、豪雨で洪水が起こり、町の一角が水浸しになった、という事件を考えてみる。この事件に対する責任の所在を考えるわけだけれど、このときまず考えてしまうのが、「事件の原因は何か」ということではないだろうか。原因がわからなければ責任の所在がわからないというのは、まぁまぁ、順当な考え方だと思うのではないか。この発想の根本にあるのは、「事件の原因を作った者が責任を取るべき」という考え方だろう。これがまぁ、常識といえる。けれども、実はこの「常識」が諸悪の根源であって、これを改めるべきではないかと思っている。

マスメディアでは日本とアメリカなどを比較して、日本では事件・事故に対する対応が遅いとか、原因究明が下手とか、そもそも事故隠しが多発するとか、そういうことが頻繁に指摘される。この原因が、「事件の原因を作った者が責任を取るべき」という暗黙の前提にあるんじゃないのか。

さっきの例で考えると、普通は「洪水の原因は何か?」というところから入る。頭をやわらかくして考えると、豪雨が降ったから、ということになる。原因は自然現象、天災ということになる。これでは責任が追求できないので、次は堤防が決壊したのが原因という話しになる。ここで、ようやく責任が追求できる。堤防は人間が作ったものだからだ。そうすると、堤防の管理をしているのは誰だとか、堤防を建設したのは誰だとか、堤防を設計したのは誰だとか、そういう犯人探しになる。個人を吊るし上げるのは気が引けるとしたら、「国」や「自治体」、あるいは「企業」など、なるべく抽象的な対象を犯人にして、お前が悪いということを言い出す。

国にしても企業にしても、結局実際に対応しているのは人間だから、お前が悪いと言われると、いやいや自分(たち)は悪くないとか、いやいやあいつだって悪いとか、いきおい、そういう話になる。すると今度は、そうだ、そいつも悪い、という話になって、いろんなところで悪者探しが始まる。そうすると、科学的な原因追求とか、改善実施や被害補償とか、そういう話はどんどんあとにまわされていく。

そうして最後には、末端のまじめな担当者の首を切って終わりとか、もう引退寸前のトップが少し早めに引退して終わりとか、場合によってはみんなが事件を忘れて終わりとか、そういう幕引きになることが多い。特に、原因を作った当事者自身が事故に巻き込まれていたりして、すでに死亡している場合などには、誰も責任を取れないまま簡単に終わったりする。被害者がいる場合、何の補償も無く泣き寝入りとか、裁判で何十年も戦った末にようやくいくらかの金銭補償とか、そういう救いの無いことになる。

これらの現象は、「責任を取る人」と「原因を作った人」が同じになるべき、という発想から来ているように思う。この考え方をがらっと変えて、「責任を取る人」と「原因を作った人」をスッパリと切り分けてみたらいいんじゃないだろうか。「責任を取る人」というのを、「責任を遂行する人」と言い換えてみるともっとわかりやすいかもしれない。では、原因を作った人が責任を取らないなら、誰が責任を遂行していくのか。それは、責任遂行能力のある人、ということになる。しかも、それは一人である必要はない。

さっきの洪水の例で言うと、洪水の原因を探す作業はやはりおこなうのだが、それは犯人探しのためではなく、あくまで洪水の再発防止のためにやる。また、「原因を作った人」ではなく、「責任を遂行できる人」が対策を実行するから、被災者の救済や二次災害の防止など、迅速性が要求される対策は、「原因を作った人」がはっきりする前に、「遂行できる人」の手によって、さっさと実行に移せる。堤防の管理者が水没した住居の被害補償まで迅速にできるとは思えないし、そもそも堤防の管理者に補償義務があるかも未確定だから、被害者に対しては専門の組織がまず補償する。誰かに賠償を請求するのが妥当なら、その専門組織があとで請求する。請求できないなら、それ相応の財源を充てる。(国費とか保険料とか。) もちろん、堤防の修理や改良など、原因を作った人が責任遂行能力を持っているような場面もあるだろうから、そういう場合は本人にやってもらう。

原因追求は、あくまで対策実施のためにおこなう。そうすれば情報は比較的簡単に出てくるだろう。そこで悪質な犯罪行為が見つかれば当事者を罰するのは当然だが、問題はあったにしろ通常の業務内容が事件・事故の原因になったのであれば、特に罰しないで対策を命じる。ここで対策に必要な原因はさらに掘り下げる。原因を解明したら、ちゃんと公開する。そうすれば他でも役立つだろう。もし原因として組織の問題があったなら、対策実施能力があるのは末端の担当者より、もっと上層の管理者になるだろう。たとえば企業の製造現場で事故が起こったときに、その対策責任者として実際の作業者ではなく社長が出てくるというのも、対策の実施能力という面で見れば自然なことになる。責任を取るというのは、頭を下げることだけではない。

「責任を取る」という言葉を考えてみると、どうも「罰を受ける」という言葉と同じ意味で使われている場面が多いようだ。そうすると、責任の話をするときにどうしても「罪」がどこにあるのかという議論になってしまう。「原因を作った人」と「責任を取る人」を別に考えるということは、犯罪に対する罰則適用の話と、事件・事故に対する対策実施の話はスッパリ切り分けて、罰を与えることより対策実行の方を重視しましょうよ、という提案とも言い換えられるかもしれない。そういうことだったら進んで引き受けてくれる人も多いだろう。罰なら誰も受けたくない。

不祥事を起こした企業の社長が出てきて、「責任を取って」顧問なんかに退くなどと言う。けれども内心は、たまたま社長をやっていたときに不祥事が起きたから運が悪かったなどと思っている。そこで退職金がいくらだなどとマスメディアに書き立てられて、また問題になったりする。そんなことをしないで、社長職を速やかに誰かに代行させて、自分は不祥事に関する対策臨時執行役員などに降りて問題を徹底的に片付け、それから社長に復帰するなり退職金を堂々ともらって引退するなりすればいい。

洪水の例なら、「悪いのは豪雨、何とかするのは私たち」というくらいの気構えがいいんじゃないだろうか。犯人探しと容疑回避で醜い言葉が飛び交うのは見たくない。実際に社会が変わっていくのは緩慢だけれども、まずは「誰が悪いのか」より「今から何ができるか」を優先するように考え方を切り替えるだけでも、ずっとものごとがうまく運ぶんじゃないか。そう思うんですけれども、いかがでしょうか。
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by antonin | 2005-05-19 21:36 | Trackback(1) | Comments(6)
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Tracked from yurikamomeが言.. at 2005-05-25 22:27
タイトル : スメタナ作曲、連作交響詩「わが祖国」より「ブラニーク」
 JRの電車の不通のおかげでちょっと1日狂ってしまったが、それはそれで楽しいこともあった1日でした。  遅い出社で急ぎたまった仕事をこなし、その後は鎌倉腰越に、電車はどうせダイヤが乱れたままだろうから、また遅れるとイヤなので車を借りて向かう。  余裕を見て出かけたら、思いのほか道路が空いていて、約束の時間の30分前に着いてしまった。  先方もちょっと早めに来たので、早めに終わったが、その次の人が来ない。車のなかでノートパソコンを開き別件の書類作成。  と1時間ほど待つこと2件目の打ち合わせ、そ...... more
Commented by ぶれ at 2005-05-24 23:05 x
( ゚ー゚)( 。_。)ウン♪  とっても素敵な考えでし!
挙手 (*`◇´*)/ 賛成♪ あんとにんさんに、ぶれの上司になって欲しいでし。せめてぶれの上司にこの文章を読ませたいけど、きっと彼には理解できないだろうな。たった1枚のプリントの内容さえ、誤解釈するかれには・・。  やっぱり、ぶれは、あんとにんさんの文章読むの大好きでし♪
Commented by ▽・(◎◎)・▽ at 2005-05-25 20:11 x
やっぱり しゃちおーわ しゃちおーお やめて うんてんし に なって うんてん するのが えーとおもー でしでし
Commented by ぶれ at 2005-05-25 23:08 x
初心に戻れ!でしっwふぁぜろの提案にも賛成でしっ!日替わりで、整備士にもなって、線路の点検もするでしっw
Commented by antonin at 2005-05-26 21:31
いつもコメントありがとうございます。

>ぶれさま
意見に納得してもらえてうれしいです。
社会の「常識」に物申してしまったので、今すぐどうなるってもんじゃないんですが、自分ではなるべくそう考えるようにしています。

>ふぁぜ~ろ
社長が運転士だなんて!!
現場が迷惑ですw
Commented by ▽・(◎◎)・▽ at 2005-05-28 15:00 x
ぎゃはは
Commented by B705 at 2006-12-08 22:56 x
そもそも「責任とはなにか、何を意味するのか」について掘り下げないと、極めて浅はかな展開になりますね・・。感情と理論は対立するものとして捉えず、その和解を図るところに「責任とは何か」というそもそもの解決が見えてくるように思います。僕の業界では、その「責任逃れ」が(理論を弄ぶところから発生したりもして)目立ち、これでは根本から腐る、と悲しく思います・・。
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