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父方の祖父は、私が生まれる前に癌で他界してしまったが、医者であったという。父の実家には、かつて医院として使われていた一室を残す大正時代の旧家がまだあるが、私はしばらく訪れていない。祖父は、象牙の箸で父の頭を叩く厳しい人であったという。その一方で、父が空気銃を撃って家の外壁に穴を開けたり、外れた窓ガラスを粉々に割ったりしても意に介さず、雀を落としたりすれば共に焼いて食ったりもしたのだという。 その祖父には弟があり、彼も医者であったという。ベートーヴェンのレコードに耳を傾け、温和な性格であったという。父はそうした家業を継がず、祖父の他界のあとに遺産の一部で中古車を買い、勉学を嫌って当時敷かれたばかりの東名道を東上し東京に出たのだという。父は素朴な人で、今も私に人間の前世について熱心に語りかけてくる。その父の弁によれば、私はその大叔父の生まれ変わりなのだという。クラシックが好きで、性格が温和だからなのだという。父は、幼い妹の面倒を見るやせっぽちな私の姿しか見ていない。 祖父と大叔父は、共に軍医として戦地に向かったという。祖父はその豪胆な性格から、常に前線に出ようとして士官に引き止められるような迷惑な医者であったという。対して大叔父は、困難なフィリピン戦線に赴き、末路詳細もわからぬ玉砕部隊の一員として今もかの地に眠っているのだという。そしてその魂は靖国の社に祀られていることになっている。 私は科学の徒であり、死後の霊魂の存在を信じないが、もし生前の大叔父が、防衛の域を超える武力の宣言に対して声高に否定する私の言論に接することがあったならば、一体なんと言ったであろうか。仮にも武家の末裔にふさわしからぬ腑抜けと見るだろうか。我が御国に捧げる命を惜しむ国賊と断じただろうか。あるいは、何も言わずに微笑んだだろうか。 個人にできることには自ずと限界があり、なればこそ、その中で死力を尽くさなければならない。それはあるいは従軍であり、あるいは言論であり、あるいは無念の逃避行であろうが、それを決めるものは必ずしも個人の手中にはない。 今、そうした深淵に臨むが如き心情であるのは、あるいは考えすぎなのであろうか、あるいは論理を弄ぶ悠長なのだろうか。 間もなく訪れる新正月には、大叔父についてもう少し詳しく聞いてみたいと思う。
by antonin
| 2006-12-18 18:46
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