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台風23号で死者・不明89人に・79年以降で最悪の被害(ニュース) ひどい話ですね。お悼み申し上げます。 今日の漂着地:「ローマの休日」よりマルタ騎士団写真館 「ジャン・ド・ラ・ヴァレッテ・パリゾン」を検索していて到達。「ジャン・パリゾ・ド・ラ・ヴァレッテ」とも言うようです。 個人的に、長たらしい人名というと真っ先に思い浮かぶのがこの人。 まあ、Pablo Diego José Santiago Francisco de Paula Juan Nepomuceno Crispín Crispiniano de los Remedios Cipriano de la Santísima Trinidad Ruiz Blasco y Picasso López (パブロ・ピカソ)さんみたいな人もいますが、こういう寿限無みたいなのは別として、高貴な身分のお方は正式な名前が長いことが多いですね。通称は短くても、形式的な名前は長いという。王や皇帝になると単名になったりしますが。 日本人で思い浮かぶというと、松平二郎三郎元信。後の徳川家康が、人質として取られていた今川家で元服を迎えた当時の名前がたしかこんなだったと思います。大名だと「~守」などの役職がミドルネームに入ることが多いようですね。大岡越前守忠相とか。 ジャン・ド・ラ・ヴァレッテに話を戻すと、この人は16世紀当時の聖ヨハネ騎士団総長です。彼が総長をしていた当時、聖ヨハネ騎士団は地中海のマルタ島に領地を得ていたのでマルタ騎士団とも呼ばれますが、元は聖堂(テンプル)騎士団と並んでヨーロッパから来たキリスト教徒の聖地イェルサレム巡礼者を助けた修道騎士団です。聖堂騎士団が巡礼者が道中盗賊に教われないように守護したり、路銀を預かったりしたのに対し、聖ヨハネ騎士団は聖地に病院を建て、病人を看護治療していました。聖堂騎士団の騎士がテンプラーと呼ばれたのに対し、聖ヨハネ騎士団の騎士はホスピタラーと呼ばれました。 十字軍が聖地イェルサレムを征服、イェルサレム王国が樹立すると、これらの修道騎士団は十字軍とイスラム勢力の対立に巻き込まれていきます。 聖ヨハネ騎士団を最初に知ったのは塩野七生(ななみ)さんの「ロードス島攻防記」を読んだときでした。5,6年前、会社の食堂に置いてあったやつを読みました。ここに登場するのが、聖ヨハネ騎士団がまだロードス島に陣取っていた頃の、若きジャン・ド・ラ・ヴァレッテです。かっこよかった。 久しぶりにまた読んでみるかな。 参考:十字軍に由来すると言われる聖ヨハネ騎士団の紋章マルタ十字(「山と旅のホームページ」より)
by antonin
| 2004-10-21 21:29
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