安敦誌


つまらない話など
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「バカな俺」

眠れないので、古本で買ってきた「バカの壁」を読んだら、1時間で終わってしまいました。私は遅読なのでこういうのは珍しい。

内容は大きく分けて、脳と人間の理解に関する養老先生の持論の復習と、今どきの若者に対する愚痴と、現代日本に対する愚痴。

人間の脳味噌を遺伝子操作で大きくしてみたらとか、家康の「人生は重き荷を負いて遠き道を行くが如し」とか、あたかも自分で見つけてきたように話してきたネタがすでに書かれていた。この本は2003年発行だから、私が言い出すより前の話だ。まあいいだろう。この手の話に興味がある人間には誰でも気付くということなのだろう。

内容に目新しいものはなかったが、気になったのは最近の若者に関する愚痴の中で、最近の若者は前頭葉の働きが弱っているという話があった。もしそうだとすると、単に文化の世代間ギャップではなく、本当に今どきの若者は異常だという話になる。単なる老人の繰言ではないという話になってしまう。

この点がいやに引っかかったのは、私自身が自分より上の世代、あるいは同世代より、下の世代にシンパシーを強く感じるからだ。いろいろと本を読んだので、物書きの文体は少々古臭い部分もあるけれども、私は基本的にはサイバーな環境で育ってきた第一世代なのだと思っている。気分が沈むから自己言及しないというのがこのblogの裏ルールではあるのだが、今日は禁を破ってみる。

私が小学校に上がってすぐにインベーダーゲームブームがあり、父が1ヶ月ほど喫茶店に通い詰めるのに付き合ったが、翌月には自宅に中古のブロック崩しを内蔵する喫茶テーブルがやって来た。そしてクリスマスには黎明期の家庭用テレビゲームが頼みもしないのに我が家にやって来た。あれはあれで面白かったが。

勉強はLexi Dataのエル君と覚えたし、名前は知らないが電卓型計算自習機も買ってもらった。ゲームウォッチブームのときは任天堂以外のメーカー品をいくつか買ったし、5年生の冬にはぴゅう太の日本語ベーシックでベーマガのプログラムを盲目的に打ち込むこともあった。両親は共働きで、体が弱く運動嫌いだった私は、家でそうしたおもちゃと遊んでいた。

10歳になると塾に連れて行かれ、テストを受けさせられた。名前を知っていた唯一の私立中学の名前を志望校欄に書くと、採点結果に「再考」と書かれた。何度受けても同じだった。正規分布や標準偏差の意味も知らないうちから偏差値表に書かれた私立校リストを母と広げ、今ここら辺だね、今度はここら辺まで来たね、などとRPGのレベル上げのような感じで勉強していた。

結局地元の私立中に入り、中学三年間は比較的自由にやらせてもらったけれども、高校では格段に勉強が難しくなり、大学受験が迫っていることを実感した。ここでも「実力試験」と称して、定期的に全国基準の偏差値が報告され、調べれば「あんたはこのくらいの大学レベルだね」ということがわかる。常に客観的な情報に曝されてきた。松竹梅だと竹やぶの辺りだということを3年間言い聞かせられながらハイティーンを過ごした。

偏差値というのは確か、子供たちが志望校を選ぶ際に不安のないように大体の目安を与えてあげようと、中学校の先生あたりが教育現場に導入したのだという話を聞いたことがある。頑張った生徒が、本当の難易度を知らないで分不相応な学校を受験して失敗したり、逆にもう少し頑張れば手が届くのにあきらめてしまったりしないように、客観的なデータで安心させてやったのだという。非常に愛情深く立派な先生の話であるが、今では誰もが知るような無機質なシステムになってしまった。その先生はさぞ残念な思いをなさっていることだろう。

中学を卒業するころから、自分に対する違和感に気付き始めていた。どうも、世界に対して冷めているのである。周囲は成績表の数字を高めることや有名大学への進学などに強いモチベーションを示しているのだが、どうもそうした流れに素直に乗ることができない。関心はむしろ、自身をコントロールするということが非常に苦手である自分自身の問題へと急速に向かい始めた。それまで、そうした問題は年齢とともに解消すると思っていたのに、実はそうではないということに気付き始めたころでもあった。

そんな具合で大した勉強もせず、辞退者で欠員が出た大学に補欠で入学した。大学を卒業するころになると、そうした無気力はより程度を増し、日々図書館で本などを読んで過ごしていた。本を読んだりプログラムを組んだりしていると楽しいのだが、本業がひどくつまらなく感じられた。それでも第2次ベビーブームのころでもあったので、迷惑だから早く出て行ってくれという様で卒業した。懲りずに電子関係の学科に入り直したのだが、きっと自分の自律不全は親の過保護によるものだと考え、家から350kmほど離れた大学を選んで一人暮らしに挑戦した。

ここでは自分の興味のあるテーマを選択したつもりであったが、やはり早々に情熱が燃え尽きてしまい、また体よく卒業証書をもらって厄介払いされた。しかしここで心身ともに不調になり、就職先では程なく神経を患ってしまった。

そうした正に人間失格と言うにふさわしい自分史の果てに、肝心なことには無気力で、要らんところで頑張ってしまい、ときどき必要以上に興奮し、些細なことで怒り、そして落ち込み、自身の無能さに参ってしばらく寝込む。こうしたことを20年ほど繰り返してきた。もう直るとも思えないので、「ありのままに受け入れる」という戦略を取ろうとしているが、なにぶん感情のリンク異常であり自律に関する不全であるので、なんとも面倒で困っている。

こうした「異常」は生来のものと諦めてきたが、前頭葉がどうだこうだといわれると困ってしまう。大人の脳トレーニングでもしたら改善するのだろうか。こう言うと「専門家に相談したら」という意見が必ずあるが、そんなものはとっくにやっている。たぶん医学的な解はまだ見つかっていない症状なのだろうと思う。

「今どきの若い者は」と外から嘆くことのできる人は幸いである。離れようのない自分自身を嘆くというのは、なかなかにして不幸である。自分に問題があると気付いたのなら努力して改善したらいいじゃないか。まさにそのとおり。しかし、モチベーションが上がらなくて努力ができないという問題を改善するための努力を始めるのに必要なモチベーションを上げるには一体どうしたらいいのだろうか。

よく、死ぬ気になれば何でもできるという人がいるが、あれも幸いである。死ぬのが嫌で、生きていたいものだから、死ぬと言われればなんとしてでも生きてやろうと思うのである。生きるのにほとほと嫌気が差して、もう面倒だから生きるのすらやめようという人に、死ぬ気になれば何でもできるといって、いったい何ができるのだろう。七輪とガムテープを買ってくることだろうか。読む人の涙を誘う立派な手紙を書き残すことだろうか。その心理を経験した人でないと、きっと理解ができないのである。

泥沼に、首まで浸かっている。もがくと沈むので、もうじっとしている。なぜ這い上がろうとしないんだと叫ぶ声が聞こえるが、もうそんなことはとっくに何年も試しているのだ。首まで浸かってひとまずの安定を見ているのだからほっといてくれ。快適ではないが、死ぬほどではない。引き上げてくれてもいいが、それは難儀であり、別に期待もしなくなった。

泥から首だけ出して、大層なことをわめいている。通り過ぎる人は、泥首が偉そうなことを言っても説得力がないと哂いながら、時には罵りながら通り過ぎる。ときには沼のほとりに佇んで話しかけてくる人もいる。たいていそうした人は話を聞いてもらいたいだけなので、退屈だが聞いてやる。たまに退屈だと言うと怒って去っていく。その繰り返し。

泥首なりの幸せ探しというのも確かにあるのだろう。理解できない人は批判だけでいいが、当事者としてはやはり、わずかに燈るモチベーションの火を絶やさないための研究をしていかなくてはいけないような気がする。修身というのは、やはり大事だったのだなぁと、修まらない身でつくづく思う。偉そうなことを言わないのが迷惑を掛けない道だというのもわかっている。しかし、黙っていても結局どこかでドッとキレてしまうのだから、却ってタチが悪い。

次のタイトルは「超バカな俺」ですかね。
書きませんけどね。
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by antonin | 2007-02-09 05:28 | Trackback | Comments(2)
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Commented by アッサ at 2007-02-09 06:07 x
なんだか言いたいことを言ってもらえたような爽快さがある。
全く同じ経験をしてきたわけではもちろんないが、僕が感じたことがあったり感じていたりすることがそこここに書かれているように見える。
Commented by B705 at 2007-02-09 18:02 x
なんだかほっとするよ。その心境は似たものを僕も感じている気がする。もちろん状況や経過などはほとんど同じものはないかもしれないけれど、不思議に違和感を感じないのだから、ほっとする気がする。僕の場合、商売上、決してオモテに出さないだけで、内面は泥首そのものだよ・・。商売上はこの状況で続けるのはイカンと思ってもいる。・・飲もうぜ。
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