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捨て子の少女の死と、脱・格差社会のもと (宋文洲の傍目八目):NBonline(日経ビジネス オンライン) この記事は要約しません。ぜひ原文をお読みください。そして、より詳細を知るために宋さんのblogからこちらの記事をお読みください。 どうでしょう。涙を流される方が多かったのではないでしょうか。私も、この一連の少子高齢化に関する記事がなければ泣いていたに違いありません。しかし、私は泣けませんでした。そして、読み返すうちにまた悲しみと怒りがわいてきました。この泣ける話に隠された現実の危機を、なんとしても認識してもらいたいと思いました。 私は、少子高齢化によって日本の財政のみならず日本の経済そのものが悪化すると理解していましたが、この記事を読むまで宋さんは単にそれを知らないだけだと思っていました。しかしここに及んで、実はそうではなく、宋さんは社会は豊かであるより貧しいほうがむしろ良いと感じていることに気づきました。宋さんのblogの記事から引用します。 中国の農村部では年金や保険の制度はまだ未整備です。僕が日本に来るまでは「計画経済」が厳密に実行され、大した薬はありませんが、農村部でも医療費はほぼ無料でした。 この一文に、宋さんのスタンスを見出すことができました。つまり、市場経済による豊かな社会に対して否定的であり、計画経済の貧しい世界のほうが、人々の心は豊かであったと、宋さんは考えていらっしゃるのではないでしょうか。いえ、考えているのではなく、感じているのだと思います。これは、高度経済成長前の日本を知る60代以上の世代についても近いものがあるのではないでしょうか。これを言葉で否定するのは難しいことですが、私の理解とは異なる部分があるのでこれから述べることにします。 私は、貧しければいい、豊かであれば悪いとは決して思いません。もちろん、豊かでありさえすればいいとも思っていません。しかし、豊かであっても幸福な社会を作り出すことができると信じています。懐古主義には果てがないのです。 アメリカにはAmishという、見たところ19世紀初頭あたりの技術で生活することを続け、機械化文明を頑なに拒否する民族があります。しかし彼らの生活といっても、ローマ文明が地中海を制覇する以前の素朴な生活に比べれば高度に文明化したものといえますし、四大文明が勃興する以前の生活に比べれば、よりいっそう高度で豊かな文明社会であるといえます。旱魃や日照不足で餓死したり家を追われたりしたAmishの話も聞いたことがありません。 皮肉にも彼らは、狭い社会で結婚を繰り返してきたことによる遺伝病の治療に、世界最先端の遺伝子操作技術による治療を受け入れたといいます。それが悪いことだとは言いません。何事もこだわりすぎは良くないものです。 そして、貧しければ人の心が豊かになるという話にも、三分の理があると感じています。つまり、人は苦境に置かれれば、自然と助け合うものなのです。貧しさとは人類にとって典型的な苦境のひとつです。そして、病気もまたそうです。どちらも、程度がひどければ死に至ります。そうした過酷さの中で、人は助け合い、優しさを見せます。だからといって、コントロール不可能な苦境を放置する理由にはならないと、私は考えます。 普段どんなに憎たらしい子供でも、その子供が明日をも知れない命であると知れば、涙を流し、どんなに醜く振舞ってでもその子を救いたいと思うでしょう。それは実の親に限らない話です。そして、大人たちに思いもかけず優しく愛情を注がれた子供は、必ず感謝します。何とかしてその感謝の気持ちを伝えようとします。そして、努力も空しくその子供が死んでしまったら、大人たちは涙を流すでしょう。すべては死に至る病気が演出した美しい物語なのです。 だからといって、その病気を称えることができるでしょうか。憎たらしい子供が、今日も憎たらしい言葉を発しながら、元気に走り回っているのを見るほうが、私はずっと幸せです。そして、経済的な豊かさが子供の命を救う一助になるならば、社会は豊かであるべきだと思っています。 もちろん、何事も極端に走るのは良くありません。今や人類の規模に対して小さくなってしまった地球に、大きな負担を掛け続ける物質浪費型の社会は改めるべきです。けれども、それは貧しい社会のほうが望ましいということではありません。豊かな都市と貧しい農村の格差が問題であると同じように、数の多い高齢者と数の少ない若者の格差も問題ではないでしょうか。 きょうだいがいる、いとこがいる、友達がいるというのは、子供にとって何にも代えがたい貴重な経験です。親にとっても、子供がいるというのは非常に素晴らしい経験です。もちろん、身体的な問題によって子供を生めない人がいるのは知っています。そうした人々への配慮は重要であり、そうした人を尊重する考え方を共有する必要があります。また、子供が嫌いというのも、ひとつの立場ですから尊重すべきですが、小さいうちから子供に接していれば、子供の扱いには慣れてしまうものだとも思っています。 つまり、少子化の問題は、人口を減らしたほうがいいという個々人の投票結果などでは決してなく、結婚、出産、育児などに対する、経済的、文化的、心理的障害が多すぎ、人々が二の足を踏んでいる結果に過ぎないのだと私は感じでいます。 独身時代に給料をすべてつぎ込み、時間も自由に遊びまわっていた人が、結婚し、子供が生まれれば一気に不自由になります。結婚しないほうが恋愛は自由で、結婚してしまえば仲間と一緒に遊んでもらえないこともあるでしょう。子供が生まれたら時間もお金も自由にならなくなり、独身時代のほうが良かったと言っている若い親の声も聞こえてきます。もともと自分より歳の離れた小さい子供など接したことがないので、子供の扱い方がわからない人が増えています。金も自由も奪われ、泣いてばかりの子供に怒りを覚え、虐待する親が出てくるのも当然かもしれません。 少子化には、こうした問題が潜んでいます。お金の問題だけではないのは当然です。人間の幸福の問題として、決して放置してはいけないのだと私は思います。 最後に、人の心を豊かにする苦境の話と、戦争の話をしたいと思います。 -------- Index 戦争と貧困 その光と影(1) 戦争と貧困 その光と影(2) 戦争と貧困 その光と影(3) 戦争と貧困 その光と影(4)
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| 2007-02-09 21:36
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