安敦誌


つまらない話など
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言葉遣いとジェンダーとその周辺

【季節風】“友達感覚”の行く末は-話題!のニュース:イザ!

コミュニケーションの悪循環 (ゴミ箱の中の雑記帳)


言葉遣いの問題は、実は我が家にも及んでいて、公立の保育園に通い始めた我がムスメの言葉遣いが最近汚いということで、そういう言葉が出るたびに親は注意している。

だがしかし、理屈っぽさを親から受け継いだムスメのこと、タダでは引き下がらない。「さっきのパパの言葉は汚い言葉だったよ」と、逆に注意されてしまった。そんなとき「いや、パパはおじさんだから別にいいんだ」と答えておいたが、なるほどこれは難しい話なのではないかと思った。

引用した友人のブログでも、例として引用されているのは全て女性だ。それがたとえば父親であったり少年であったりしたならば、言葉遣いが悪いなとは思っても、記事にするほどに印象に残っただろうか。

昔は、男は男らしく、腕白でもいいがたくましく育ってほしいのであって、多少言葉遣いは汚くとも、それは侠やバンカラなどといって別段叱られたりはしなかった。一方で、女は女らしく、言葉遣いは美しく、性格はつねに優しく、子供が好きで、少し控えめであることが周囲から求められていた。

「おまえ、ちょっとその服の汚れなんとかしろよ」

というセリフがあったとき、それが父から息子に対する言葉であったときと、娘から母に対する言葉であったとき、感じ方がまったく違うのではないだろうか。古い日本文化には、男と女、親と子、年長者と年少者、夫と妻といった二項関係に、はっきりとした区別だけでなく、はっきりとした序列と、それぞれに明確なイメージがあった。上のセリフは、父の子に対する言葉としては印象どおりに認められたのに対し、少女の親に対する言葉としては、決して認められることがなかった。

ところが、現代は男女同権の時代である。区別はあるが、序列はない。夫婦も、兄弟姉妹も、対等な立場にあるのが、少なくとも建前上の常識になっている。年功序列の意識はまだ健在であるといっても、昭和20年までのそれが神の法に近い常識であったのに対し、現在では単なる習慣であるか、あるいは皆が若さに憧れているようにも見える。男も女も、老いて尊ばれることがなくなったから、見た目の美しさや内臓の健康さなどを競って、「アンチエイジング」などというものに奔走している。老いるというのはそんなに醜いことだろうか。

言葉遣いにしても、礼を失する言葉は確かに良くないが、母が子に「あぶねえんだよ」というのに対して言葉遣いが悪いと説得するときに、同時に父が子に同じ言葉を発することもたしなめるべきなのか、美しいわが国の文化として男女では言葉遣いが違って当然だと教育を改めるべきなのか。

自分自身も、「ヤメロ、コラ、バカ」といって子供を制止したり、「スゲー、デケー」などと言って感心したりすることもあるが、ムスメがそれをまねするのはやめさせなくてはならない。一方で、東京の男性には多いらしいが、「そういうことよ」「それはやめてね」などと言ったりもする。これは丁寧な言葉といえなくもないが、字面だけを見れば女言葉である。もちろん、イントネーションなどに微妙な違いがあるから、いわゆる「オネエ言葉」には聞こえないはずではあるのだが、ジェンダーの区別を重視した「美しい日本語」としてはふさわしくない。

男女の区別という水準から否定するジェンダーフリーは昨今批判にさらされているが、さすがに男尊女卑の水準にまで戻ろうという人も少ないだろう。しかし、男は強く、女は優しく、という固定観念からは簡単に抜けることが出来ないし、そうしたものが積み重なったものを文化というのだろうと思う。常識というよりもcommon sense、共通感覚という言葉で言い表したほうが良く、これが共通していないと共同生活は非常に難しくなる。


少し話はそれるが、最近いたるところで、「マナー」に関するhow toものが人気で、とある消費者金融の広告などにも使われている。山の手線内の液晶テレビ番組でもそうしたものを放映している。けれども、言葉遣い、所作、立ち居振る舞いのマナー、決まりきったお作法というのは、その発生時には十分な意義があったとしても、現在でも有効とは限らない。東京では有効でも、大阪でも有効とは限らない。北海道や沖縄でも当然違う部分があるだろう。

マナーやお作法は、知らないより知っているほうが確かに有利ではあるのだけれど、肝心なのは他人を不快にしないことであって、お作法を守らないと無作法であると考えて不快感を覚える人がいるから、お作法を守るのである。形式を守っても、それが慇懃無礼な印象を与える場面なら、むしろ作法を無視してでも親しみの気持ちを伝えるべきだろう。究極的には、相手の心理状況を察して対応を臨機応変にしなくてはいけない。

言葉遣いも、年功序列や格式が重んじられる場面では丁寧であったり厳しかったりと演じ分ける必要があるが、果たして現代の日本で母親や若い女性にどこまで柔らかい言葉遣いを要求として突きつけることが出来るだろうか。

仕事上がりに襟元を緩めてジョッキでビールを飲む女性、人前でタバコをふかす女性、生活費が足りないわけでもないのに子供を保育園に預けて仕事をやめない女性。どれも、昔の基準では女性失格と言われても仕方のない仕草や生き方であったに違いない。けれども、それらは徐々に男女同権の原理のもとに認められつつある。「いらねえよ。腹なんか減ってねえんだよ」という少女に、それを咎める思想的な原理は一体どこに求めるべきだろう。


いたわりの気持ち、他人を尊重する気持ち、その中で、自分の意思や希望を伝える言葉遣い。綺麗とか汚いとかいう感覚的な判断では追いつかないほど時代はめまぐるしく変わっている。

冷静に見れば、年功序列や男尊女卑がなぜ必要なルールであったのか、そしてそれがなぜ価値を失いつつあるのかを考えたとき、科学技術の進歩による食糧確保や戦争の方式と形態の変化から来る男の役割の変化と、家事の負担、子供の死亡率の減少による妻や母の役割の変化、医療の進歩による高齢者の増加や文字情報の増加による「生き字引」の価値の減少などがその根拠なのだろう。

戦争で命を張る男への尊敬や、共同体を作って一日中家庭の周辺で働かなければ実現できなかった家事育児システムに全ての女性を繰り入れる必要性、多産多死を乗り越えて多くの子孫を残した年長者の存在と知恵への畏怖などが徐々にその根拠を失って、その影響のひとつとして男女同権が生まれ、その更に延長上に、男言葉を使う女性の発生があるのだろうと思う。年功序列が崩れた延長上に、孫を叱ることのできない祖父の発生があるのだろうと思う。

人を不快にしないというのは本当に難しい。感覚を共有していなければ、なお難しい。言葉遣いが悪いと責められるムスメは、私の言行にどんな矛盾を見出しているだろうか。それを考えるとそら恐ろしい。結局のところ、他人を幸せにすることが巡り巡って自分自身の幸せにつながるという、普遍的な原理にまで遡って考えるしか答えを出せない時代なのではないかと思う。利己が始点でも、利他が始点でも、鶏と卵のようなものであって、好循環が回ればどちらでもいいのではないかと思う。

「情けは人のためならず」という諺が、情けを掛けると相手のためにならないという解釈をされないように、地道に教え伝えていくしかないのではないかと思う。言葉遣いが良くなるのか、あるいは耳が慣れて言葉が障らなくなるのかはわからないが。
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by antonin | 2007-06-03 14:25 | Trackback | Comments(10)
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Commented by ▽・(◎◎)・▽ at 2007-06-07 11:11 x
こどもに、「ヤメロ、コラ、バカ」などと、らんぼーな、ことば を、つこては いけません。
その ばーいわ、「こうりああ、やめんかい、どあほんだら」と いいまふ
それでも やめんと、「まどから、ほーりだすぞ、この、くそがきあ」といいます
こないだ、おーさか から、おいが あそびにきたので、いっしょに、でんしゃ のって、そういうこと いうてると、 まーりに だれも おらんよに なりまひた なんでやろか
Commented by antonin at 2007-06-07 13:12
「らんぼーな、ことば」というと、ちょっとフランス文学の香りがしますね。

しないか。

「怒りのアフガン」あたりだとまたかなり違って、血と汗と土ぼこりの みくすちゃー ってところですか。
Commented by ▽・(◎◎)・▽ at 2007-06-07 17:25 x
らんぼー、わ、りせ を やめて、ぱり に いえで してきた ので、たぶん、らんぼーな、 ことば わ つかわんかった と おもー のやけど、
「うちわ こーやと おもーで」 とか ゆーてたん ちゃうかしらん
けども、いちばん すきなんわ かみう の 「ままん が しんでもーた、ひーん」 いうのが よろし。 ものの ゆいかた が じつぞん そのもの あ。
Commented by ▽・(◎◎)・▽2 at 2007-06-07 17:29 x
きんにく むきむき の ほーわ、 どんなん やろね。あれやったら、 わかやまの くまのの やまおく いう かんじ ある。
Commented by antonin at 2007-06-08 11:17
りせ って、高校くらいに相当するんだっけ?
尾崎豊もそうだけど、早死にすると崇拝されるよね。

実存とか地平とか射程とかって言葉は個人的には苦手。
Commented by ▽・(◎◎)・▽ at 2007-06-08 16:51 x
いひひ、 おざき ゆたか も、いきてたら、 へんな おっさん に なって、TVなんか で、 なんやら ゆーてた かも しれへんね。 あまし そーぞー しとないは あはは
もー じつぞん ゆーて も、 どこぞの ひねくれた りたいあ じーちゃん の してはる てうち・そば の おみせ のこと かいな、 て おもーよねー
それより も、 さがん の 「かなしみよ こんにちわ」 (ぼんじおるの とりすてせ) が きれーで よろしある

Commented by ▽・(◎◎)・▽ at 2007-06-08 16:54 x
あ、 りせ わ ちうがく と こーこー まぜたよーなもん らしー。
そこから ばかろれあ うけて だいがく いくねんけど、 いかん ひと も おーい。 ふらんす の だいがく わ いっても なんの とくにも ならへんらしー
Commented by アッサ at 2007-06-10 04:07 x
TBどうもです。
なるほど確かに僕が言及したのは女性の話ばかりでした。
ただ、僕が注目したのは
話者が女性だったことや、その言葉遣いが (女性として) 美しいものではなかった
というところではなくて
話者が感情をむき出しにしていて、言葉を受け取る人の気持ちを考えたりす
ることができてなさそうに感じられる
ということでした。
もしかすると「感情を露わにする」ということに対する判断も変わりつつあるのかもしれないけれど…。

Commented by antonin at 2007-06-10 06:21
「感情を露わにする」というのは、決して悪いことではないと思うのですね。感謝や慈しみ、喜びも感情ですから。
やっぱり、言葉遣いやマナーに違和感を感じる人が増えているというのは、過去の日本人に共通していた感覚を共有するための教育プロセスが消失していることに問題があるのだと思います。
それと、やはり情報化と交通の高速化と社会の平準化によって、それまで接することのなかった社会文化の人々が互いに接する機会が増えた影響が大きいと思います。
「あんな下品な子と付き合ってはだめよ」という母親は減ったと思います。それが良いことか悪いことか、簡単に結論は下せないはずです。
Commented by antonin at 2007-06-11 23:07
亀レス。

「かなしみよ こんにちわ」(仁鶴師匠風に)
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