安敦誌


つまらない話など
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マナーとマンネリ

「物理」という熟語を漢文とみなして読み下すと、「もののことわり」と読める。「人情」という熟語も同様にすると、「ひとのなさけ」と読める。似たような構文になっている。両者とも哲学の対象として永遠のテーマではあるけれども、ある種対照的なテーマでもある。

私は学校の成績で言えば物理が得意ということは無かったのだけれども、人情に比べたらはるかに理解しやすいと思っている。もちろんこれとは逆の傾向を持つ人もいて、そうした人からは薄情だとか精神病質だとかいろいろな言われようである。しかしながら、そうした傾向は持って生まれた先天的な器質による部分が大きいのではないかと思っている。肌の色や顔の形とそう違わない由来だと思っている。

互いに足りないところを補って協調することで、人間は繁栄してきたし、互いに理解できないことを否定するために戦争なども起こしてきた。ただ、どんな人間もある程度の物理を理解しているし、どんな人間もある種の人情を持っている。これは普遍的なことで、通常言うまでもないことなので意識に上ることは少ないのかもしれない。

そうしたことをふまえたうえで、やはり私は人情の理解に苦しむ。自分自身の感情も含めて、「相手の身になって考えてみればわかる」などと言葉で言うほど簡単には思わない。これにはある種の教育や訓練の成果もあるのだろうが、やはり先天的に若干の器質の違いがあり、人情を理解しやすい人というのはあるのだろうと思う。

そもそも人間の感情というのはある人の内側で起こっていることであり、クオリアの問題なども考えてみればわかるとおり、外側から正確に知ることは難しい。難しいのだけれども、人間という種はひとつのホモ・サピエンスという種であって、人間自身が感じているほどの差は無く、各人の脳の構造や働きは人種を越えて似たようになっている。そこで、大体の部分は自分の感情の起こり方と同じであろうと推し量ることが可能なのではあるけれども、細かい部分では決して同じではないので、そこが面倒なのである。

そのあたりの、「人情の機微」というやつを正確に把握してコントロールできる人格者もいれば、人間誰しも同じであって、差があるとすれば家庭や社会などの環境だけに原因があるとする人もいる。私はどちらにも属さず、人間のありようは多々あると理解しているが、個々の人の感情を理解することも、自己の感情のコントロールすることも苦手という類の人間であるように思う。一番面倒なタイプではあるだろう。本人がそれに気づかなければ幸せであるけれども、認識だけはしているのでやや不幸である。

自分の理解できないことは自分では理解できない。当たり前である。当たり前であるけれども、このことは当たり前すぎて逆に理解することが難しい。何が言いたいのかというと、他人も自分と同じように考えたり行動したりするのが当たり前だというようなことを述べる人が多いのだけれども、それは思うほど簡単ではないのではないかということが言いたい。

最近の話で恥ずかしいのだけれども、「マンネリ」ということばが、日本語ではなく外来語であるということを知った。「マンネリズム」という言葉があるけれども、こちらが「真似」あたりと同語源の「マンネリ」という日本語と、"-ism"という語尾で出来上がった和製英語だとばかり思っていたら、実は"mannerism"というヨーロッパ語から来ているのだった。これを常識としている人からすれば、「そんなことも知らないのか」という感じがするだろう。

"mannerism"は必ずしも英語とは限らず、フランス語やドイツ語の語彙としても存在するようだけれども、あえて英語読みすると「マナリズム」という具合になる。"mannerism"から、主義や特徴といった意味の接尾語である"-ism"を取り去ると、"manner"、すなわち「マナー」となる。「マナー」には作法という良い意味もあれば、「決まりきった形式」というやや否定的な意味合いもあるようだ。

ドイツ語に近い発音をすると「マネリスム」になり、フランス語に近い発音をすると「マニエリスム」となるようだ。マニエリスムというと、イタリアで写実的なルネサンス様式が興り、その後を受けた美術様式の一つも表す外来語となっている。

ルネサンス美術の巨匠ミケランジェロは、写実的な彫刻作品を得意としたが、必ずしも現実の人間のコピーを作るのが美しい造形ではなく、人が仰ぎ見たときにより美しい形状があることを知っていたという。そしてそのミケランジェロが壁画や天井画を描くとき、人物の手足や首は、現実の人間を普通に写真に収めたときとは違う形をしていて、具体的にはやや首が伸びていたり、回したほうの手が長くなっていたりすることがしばしば見られるのだという。

後世にマニエリスムと呼ばれた画風は、今では再評価されているけれども、名付けられた当時としては、ミケランジェロの技法を誇張した、同じようでつまらない画風との評価を受けていたらしい。現代人の目で見ると、つまらないという評価も理解できるし、技法を極めた美しさとしても理解できるのが面白い。

それはともかく、「マナー」と「マンネリ」が表裏一体であることがわかって、最近のマナーブームに対する違和感のようなものが少し理解できたような気がする。人間誰しも自分と同じであり、決まりきった形式を守る「マナー」が重要で、マナーを守らないやつはけしからんという言いようが目立つが、時代が変われば作法も変わるのであり、古い作法を持ち出して正統と騒いでみても、それが必ずしも人間を快適にしないということがわかる。

その一方で、ある種の作法が生じたのにはそれなりの理由があるのであって、ただその型を真似るのではなく、その作法が表す意味のようなものを読み取る必要があるのだと思う。例えば、畳の縁を踏んではいけないという作法があったとすると、そこには死者を運び出すときに畳の縁を踏んでも仕方が無いという決まりがあり、人の死を連想させて人を不快にするから自然と忌み避けるようになったとか、あるいは昔の住宅では畳の縁を踏むと畳がずれたり傷んだりしたなどという実利的な問題もあったのかもしれない。

それはわからないが、作法を守らないことを不快に思う人がいることは確かであり、そうした人への配慮は大切だろう。作法の向こうにある感情的な背景を理解することはもっと大事だろう。同様に、作法を守らない人が、なぜ守らないのか、作法を守れと言われてなぜ不快に思うのか、そうしたことへの配慮も必要だろう。

ただそこにマナーがあり、黙って守れといわれれば、黙って守る人と反発してかえって守らない人が出るだろう。ただし、マナーの背景にある意味を理解できれば、結果的にマナーは守られるに違いない。他人に何事かを理解させるのは面倒だし、他人を理解するのもまた面倒だけれども、そういう覚悟が無ければマナーを語ることはできないのではないかとも思う。一方的に自分にとって快適なマナーを他人に押し付けることは、それもまた一種のわがままだろうとも思う。

「もののことわり」と違って「ひとのなさけ」を理解することは難しいが、なんとか考えていかなくてはいけないものなのだろうと思う。
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by antonin | 2007-08-24 05:48 | Trackback | Comments(0)
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